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〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy Mental Health Spot 〜
Ⅱ)コフート 健全な自己愛と自己心理学(Ⅴ)自己愛の回復
パーソナリティー障害の方と身近に接すると、大きな衝撃を受けることが間々ある。ご本人も周囲も苦しんでいる。医療機関などにご本人が来られる場合も、その治療は困難を極める。「そもそも性格の問題であ」「病気ではない」「治らない」とも言われる。
現代でも、薬物療法は補助的な役割しか果たさない。コフートの時代は、その薬物療法すら現在ほど整ってはいなかった。コフートは、パーソナリティー障害、特に自己愛性パーソナリティー障害の方々と臨床現場で関わりを多く持ち、生涯をその研究と治療に捧げた。
コフートの治療原理は「転移(脚注8)」である。精神分析で言う「患者が過去の体験をもとにしたいろいろな感情を治療者に向けてくる現象」が「転移」である。フロイトが発見し、この現象を治療に積極的に利用した。転移を解釈し、それによって患者に洞察を得させようとしたのである。
特にコフートが自己愛転移、自己-対象転移と呼んだものに、「理想化転移」と「鏡転移」がある(図53)。理想化転移は中核自己の理想極が活性化された転移でり、鏡転移は誇大自己が活性化された転移である。
鏡転移はさらに、融合転移、双子転移、狭義の鏡転移の三つに分けられる。それぞれの中身は後述する。コフートの経験によると、理想化転移と狭義の鏡転移が見られる場合に治療の可能性があったという。
図53 理想化転移と鏡転移
理想化転移が起こるケースでは、理想極が形成する過程でトラウマを受けている場合が多い。断片化した心の構造を補償するため、患者は治療者に「理想化転移」を起こしやすい。
理想化転移という自己-対象転移(自己愛転移)は、理想化された「親イマーゴ(脚注9)」が心理療法の場面で活性化されたものと考えられる。女性クライアントが男性セラピストなどに「父親」像を見出すことを想像すれば良い(図54)。
図54 理想化転移(1)
治療目標は、まずセラピストも万能ではないことに気付かせることである。次に、自己と分析家に対する適切な評価と対応が可能となるよう支援することになる(図55)。
治療現場を離れた後でも、患者が自分と他者と対する適切な評価を持てるようにするのである。適切で現実的な対応が可能となるよう洞察を得させてゆく。繰り返しになるが、理想化転移を起こすクライアントは治療の可能性がある。そうコフートは述べている。
図55 理想化転移(2)
次に鏡転移を説明する。自己愛性パーソナリティー障害のクライアントは、断片化した自己愛に弾力性を取り戻そうと、誇大自己を活性化させることがある。治療者に対してそのような「転移」を起こすことを、広義の鏡転移と呼んだ(図56)。
図56 鏡転移
前述したように、広義の鏡転移には融合転移、双子転移、狭義の鏡転移の三つがある。まず、融合転移について少し解説する。
融合転移を起こすクライアントは、自己と治療者を混同し同一化する。患者は、セラピストの心理や行動を完全にコントロールできると錯覚する(図57)。コフートによると、このような現象が起こると、一般に治療は難しい。
図57 融合転移
二つ目は双子転移である。双子転移を起こすクライアントは、分析家を同類、同胞(双子)と感じ取る。同胞意識を持つ対象の元に、自分の感情を投影する。
患者はセラピストに、自分と同じ心理となることを期待する。同じ行動を取ることをクライアントは治療者に期待する(図58)。臨床経験上、この場合も治療は難しいという。
図58 双子転移
三つ目は狭義の鏡転移である。狭義の鏡転移を起こすクライアントは、自己と分析家の間に一定の境界線を認める。
誇大自己の欲求や優越感を満たすような反応を、患者はセラピストに期待する。適度に満たしてあげることによって治療へ結びつける(図59)。コフートによると、この狭義の鏡転移を起こすクライアントは治療の可能性があるという。
図59 狭義の鏡転移
図式化したものが図60である。未熟な中核自己は次の三つからなっているといえる。まず、未発達な誇大自己、傷ついた向上心という片方の極である。次に、もう一方の極も未発達である。傷ついた理想しか有していない。三つ目の執行機能(能力や技術)も傷ついている。
狭義の鏡転移を起こす場合、クライアントが求めているのは自己-対象からの「承認」「肯定」である。理想化転移が見られる場合、求めているのは「理想を受容してくれる自己-対象」である。
他方、双子転移という現象が認められる時、クライアントは「自分に似た自己-対象」を強く求めていて、安心感や信頼感を得ようとする。
図60 「転移」とクライアントが求めるもの
自己愛性パーソナリティー障害のクライアントを前にして、治療者はまず「共感的な理解と対応」を心がける。次に、起こっている「転移」を分析、理解する。
そのうえで、分析家は「自己評価」を適切に調整し、クライアントが向上心や理想、執行機能を「変容的内在化」させてゆくプロセスを支援してゆくのである(図61)。
図61 セラピストの関わり
治療上、非常に大切なことをまとめる。私たちの自己は「重要な他者」からさまざまな能力を吸収してゆく。奪い取るのではなく、複製して自分の中に取り込んでゆく。これを繰返すところに、自己の健全な「成長」がある。この過程は一生のあいだ続く。
私たちは「重要な他者」と触れることによって成長してゆく。「重要な他者」およびその能力に熱中するすることで成長を続けてゆく。
コフートは言う。自己愛性パーソナリティー障害などの障害を抱えた方たちであっても、自己は傷ついている。しかし、何か「欠陥」を持っているわけではない。自己のどこかが「欠損」しているわけでもない。
彼らの自己が成長して行くのに「もう既に遅すぎる」ということはない。レッテルを貼るべきではない、と(図62)。
こういったことは、何も自己愛性パーソナリティー障害を抱えた方々だけに限らない。子どもや他の家族、それ以外の他者との関わりの中で、「おや?」っと思ったり「どうしたらよいのだろう」と課題を抱えたりしている場合にも当てはまる。自分自身についてもである。
彼らも私たちも、「自己」は成長過程の中にあるのだ。成長するのに「遅すぎる」ということはない。レッテルを貼らない方が良いのである。どこかに「欠陥」があるわけではないのだ。自己が「傷ついている」状態にあるだけなのだ。
図62 自己の成長は継続的なプロセス
相手の言いなりになるのは止めた方が良い。全部ダメだと完全に否定したり抑圧したりするのも間違っている。「適度な欲求不満」を持つような、「共感」と「枠組み」のバランスが必要である。
こども(患者)だけでなく、親や支援者の「自己愛」が、より洗練されたものとなることが重要である。ともに「自己」がより成長すること。それが課題を乗り越えてゆくのに大切なことであろう(図63)。
図63 適度な欲求不満と健全な自己愛
コフートの理論から理解できることは、患者さんとその支援者が「自己愛」をより洗練されたものにしてゆくことの重要さである。「自己」は継続的に成長する。「欠陥」があるとレッテルを貼り合わないように支援することの必要性である。
私たちは、精神分析的自己心理学から、健全な「自己愛」の重要性を学ぶことができる。傷つき、病みやすい私たちの「自己」は、健康的に成長してゆく豊かな可能性がある。その可能性を大いに学びたい。
コフートは、私たちの自己が一生涯にわたって成長すると主張している。今後も、重要な他者と多く出合い、自己を成長させていきたいものである。
(了)(本稿「ハインツ・コフート 健全な自己愛と自己心理学」の冒頭に戻る)
ハインツ・コフート 健全な自己愛と自己心理学
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脚注
8)転移:抑圧された感情を、抑圧した時とは違う人物に対して感じることを感情転移と呼ぶ。精神療法の現場では、ふつうクライアントがセラピストに対して向けてくる。その現象が「転移」である。逆に、セラピストがクライアントに対して感情転移を起こす場合もある。それは「逆転移」と呼ばれる。
9)イマーゴ:ユングが提唱した分析心理学の用語である。心象、形象とも訳される。内面心理で形成され、直感的に心の中に生起され、意味を表現する「外的対象の像」とされる。本文の例で簡単に言うと、親のイメージと考えて良いだろう。
参考資料
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/コフート
2)http://ja.wikipedia.org/wiki/自己心理学
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/自己愛
4)http://ja.wikipedia.org/wiki/フロイト
5)http://ja.wikipedia.org/wiki/自己-対象
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2011年7月10日日曜日
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Book Shelf : 心でっかちな日本人/下流社会/驕れる白人と闘うための日本近代史