さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
ⅺ)ピースメーカー(2) 貴い犠牲(Ⅵ)絶対的な平和
平和の絶対的価値
戦前の日本を支配していた「犠牲を無にできない主義」に基づく行動原理は、実は戦後の日本をも支配してきた。ここでも、まさかと思うかもしれない。しかし、事実は次のような例で簡単に見抜くことができる。
大東亜戦争(太平洋戦争)で、三百万人以上の犠牲者を出した。その死を無にしてはいけない。我々の抱えている現状は、戦没者の方々に申し訳ない。よく耳にする言い方である。
特に「絶対平和主義」を主張する人々は、憲法改正とかPKO(国連平和維持活動)に目くじらを立てて反対する。少しでも賛成の意見を出す者には、戦没者の死を無にするなと声を上げる。反論は一切許さない。「ダメなものはダメ」と。
「平和」には絶対的な価値がある。それは、多くの犠牲によって贖(あがな)われた成果だからだ。その「平和」は、絶対に守られなくてはならない。軍隊はダメ。自衛隊もダメ。殺人集団はダメ。戦争のことを研究してはダメ。国際関係を今も支配する原理を学ぶのもダメ。
戦前戦中と比べてみる。当時、報道と教育のスローガンは「鬼畜英米」だった。「鬼畜」を非難する内容以外には、一切触れてはならなかった。非理性的、非論理的な報道、教育だった。
「鬼畜」とされたものを分析することは許されなかった。敵国の言葉、英語を使わない報道と教育がなされた。「鬼畜」を倒すための合理的な研究をすることも許されなかった。「こういう良い面がある(あった)」という表現を使うと、非難が浴びせられた。
戦後、戦争はもうコリゴリだというコンセンサスのもとに、平和絶対主義が生まれた。「鬼畜」は、「軍隊」「戦争」に替わった。新しい鬼畜に対して、とにかく怒りと憎しみの感情を育てるのが、一番の眼目になった。またしても、非理性的な教育がなされた。
別の面からも比べてみる。日清・日露戦争の頃から設置されていた、最高戦争指導機関を「大本営」といった(脚注27)。軍事報道は、大本営からの発表に一元化されていた。「大本営発表」である。
大東亜戦争(太平洋戦争)後半では、戦況が不利になっても、さも日本軍が勝利しているかのように、大本営は虚偽の情報を報道した。不利なことは知らせずに隠し、有利になる事実は誇張してでも報道した。
戦後、大本営発表はなくなったか。どうだろう。連合国軍に占領されていた時期、アメリカやGHQに不利なことは一切報道されなかった(プレスコード、脚注28)。日本人はアジアの人々にどれほどの犠牲と苦難を与えて来たことだろうか。それだけが強調して報道された。
戦後日本が国際社会に復帰した後、どういうわけか、中国、北朝鮮、ソ連については、良いことだけが報道されていた時期があった。他にも、戦後問題の処理に関して、ドイツが常に比べられる。しかし、そのドイツが戦後に憲法改正を何度もしていることなど、一切報道しない。
いわゆる平和絶対主義の影響下にあるメディアでは、反対の意見を持っている人々の集会について、一切報道しないことがある。何故かと問うと次のように答える。「あれはナショナリストの集まりであるから」と。
戦後の「多くの犠牲によって贖われた成果」は「平和」である。その成果を守ることは、絶対的な正義である(脚注25)。その正義のためなら、不利になることは隠そう。不利になる事実は隠そう。有利な情報だけを誇張して知らせよう。それは「大本営発表」と同じである。
現在も「大本営発表」は続いている。メディア自体の姿勢は、戦中も戦後も一貫して変わらない。メディアは世論を形成するために、載せる記事と載せない記事を選んでいる。形成された世論に迎合する。部数を増やせる記事を書く。そんな批判が当たっていなければ良いが。
立場を超えて支配している日本人の行動原理
戦後に見られる「犠牲を無にできない主義」は、何も「平和絶対主義」のグループによる専売特許ではない。反対の考えをする人々も、全く同じ行動原理に従って振る舞う(脚注29)。
次のように言う。「東京裁判史観」(脚注30、31)では、日本だけが悪いことをしたことになっている。戦後、日本人は「自虐史観」を後生大事に保ってきた。
彼らは続ける。はたしてそうだろうか?三百万以上の人々は、何のために命を落としたというのか?大東亜戦争で死んでいった人々は無駄死にしたのか?
彼らが主張する「貴い犠牲によって贖われた成果」は、次のようなものである。
長い間、白人の支配下にあって植民地とされ苦しんでいたアジア諸国は、日本の働きもあって解放された。日本は、良いことをした。一部でうまく機能せず、確かに不都合を生じたり、全員を全ての面で満足させることが出来なかったりした。しかし、全体としては悪くなかった。
「平和絶対主義」のグループが拠り所とする、同じ理由を使って、その人々とは百八十度違った主張をする。すなわち、「大東亜戦争の犠牲者」「英霊」に申し訳ない。もう「自虐史観」はやめよう。日本人が成し遂げた働きを評価しよう。誇りを持とう、と。
もちろん、数多(あまた)の本を洪水の如く出版し続ける彼らも、次のような指摘を受けている。自分たちに都合の悪い事実をあまり書いていない。有利な情報を選んでいる、と(脚注29)。
真のピースメーカーはどこに?
日本が鎖国の扉を開けて、世界の荒波に漕ぎ出していく過程の中で、真のピースメーカーとなった人はいたのだろうか?今回取り上げた世論と新聞は、真のピースメーカーだったのだろうか?
日本人に特有な「犠牲を無にできない」主義は、真のピースメーカーとなるのに、役立っているのだろうか?それとも邪魔になっているのだろうか?
そういった行動原理は、極端から極端に振れる可能性を有している。歴史に照らして、細心の注意を払い、冷静に判断してゆく必要がある。
人類の歴史の中で、世界中で戦渦が絶えたことは、ほとんどない。人間の歴史は、戦争の歴史と言ってもよい。戦争はいわば日常であり、当たり前のものであった。その日常の中に、日本は、いっとき身を置いた。
それを恥じるべきなのか、それとも恥としなくて良いのか。断罪すべきなのか、それとも誇りとすべきなのか。これから、我々はどうしたら良いのか。どちらを向いて進んでいけば良いのか。そのいずれかではなく、違った第三の道を歩むべきなのか。我々は問いかけられている。
日本は、世界の文明国の中で、例外的に平和が長く続いた国だと言える。日本で平和が長く続いたのは、いったい何故なのか?
次回は、「ピースメーカーのあるべき姿」の第三回である。はたして、日本に真のピースメーカーは存在したか?日本に平和が続いた理由を、歴史の中から検証したい。(了)
(本論「貴い犠牲」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
25)井沢元彦「『言霊の国』解体新書」小学館文庫、1998年、小学館。
27)http://ja.wikipedia.org/wiki/大本営
28)http://ja.wikipedia.org/wiki/プレスコード
29)自虐史観vs自由主義史観、平和絶対主義vs歴史修正主義:これらについては、別項目を立てて詳しく述べる。
30)http://ja.wikipedia.org/wiki/東京裁判
31)http://ja.wikipedia.org/wiki/東京裁判史観
(3005文字)
2009年6月25日木曜日