さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅺ)ピースメーカー(2) 貴い犠牲(Ⅴ)犠牲者絶対主義
犠牲を無にできない主義
先に見た通り、日露戦争終結の頃、日本の大衆は軍部よりも好戦的だった。好戦的な大衆に迎合する形で、新聞は「屈辱講和」「戦争継続」を叫んだ。
満州事変でも、民衆は好戦的だった。よくやった。汚職と失政ばかりの政治家たちより、よっぽど頼りになる。好戦的な民衆に迎合する形で、新聞は関東軍による電光石火の作戦行動を絶賛した。
何故、日本の国民は好戦的だったのだろうか?樺太(現サハリン)の南半分だけでなく、全部取れ。満州だけでなく中国全土を取ってしまえ。そういう「領土欲」「帝国主義的欲望」のせいか?
戦後を支配し続けて来た歴史観における常識は、「日本は『帝国主義的欲望』を満足させるため、他国の領土を侵略した」というものである。
しかし、「帝国主義的野望」以上に、大きな理由が存在する。「日本人の言動を規定する根本原理」による。他国の人々にはとうてい理解し難い理由である。
それは次のような考え方である。「ある目的を達成するために多くの人間が犠牲になった場合、その成果はどんなことをしてでも守られるべきである。そうしなければ、犠牲になった人々の霊が浮かばれない」(脚注25)。
具体的には、日清・日露戦争を通して、日本は大陸に権益を得た。そのために十数万の将兵が犠牲となった。その犠牲者(英霊)に申し訳ないような言動は、厳に慎まなければならない。英霊の思いに応えるような行動こそ、生きている我々は選択するべきだ。そういう考えである。
だから、日露戦争では、次のように考える。ポーツマス条約で戦争を終結するなんて、大陸に眠った犠牲者に申し訳ない。「講和反対」「戦争継続」「平和の値段が安すぎる」と、大衆の声が燃え上がった。
満州事変でも、次のように考える。内閣は、英霊に申し訳の立たない方針ばかりを指示する。「軍縮、軍縮」と言い、「戦線不拡大」という。政治家たちに比べ、軍部の方が頼りになる。これで戦争犠牲者が浮かばれる。こういって、帝国陸軍の行動が絶賛された。
多くの犠牲によって得られた成果は、それ自体絶対的な価値を持つ。これに異議を唱えたり、批判を加えたりすることは、一切許さなかった。もし、批判を加える者があれば、厳罰に処してもかまわない。この成果を守るために、国が滅びることになってもかまわない(脚注25)。
そういう言い換えが可能である。「まさか」と思うほど極端な考え方だ。しかし、その「まさか」が、現実となった。犠牲によって得られた成果を「死守」しようとするために、国が滅びたのである。
中国戦線が膠着する中、日本はABCD包囲網による経済封鎖を受けた(脚注26)。アメリカは「中国から完全に手を引け」と要求した。それに対し、陸軍は「英霊(戦死者の霊)に申し訳ないから撤兵できない」と突っぱねた。
二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなり、一か八かのギャンブルに出た。一九四一年<昭和十六年>十二月八日のハワイ・オアフ島真珠彎攻撃に始まる対米英宣戦布告である。そして、見事に国が滅び、多くの犠牲によって得られた貴い成果そのものも失ったのだった。
先の戦争を「自衛のための戦争」と呼ぶ人々がいる。国を守るためにやむを得ず立ち上がったと言う。少なくとも、当時の日本人は、心からそう思っていた。何故か?それは「犠牲を無にできない主義」という、日本人特有の思考原理、行動原理の故である。
今でこそ、そうした原理に従って行動した人々のことが理解できない。我々は、後知恵から次のように振り返る。当時の多くの人々は、不承不承(ふしょうぶしょう)戦争に狩り出されたに違いない、と。
しかし、「犠牲者に申し訳ない」という行動原理は、広く広く国民の間に浸透していた。恐らく、左寄りの人々ですら、内心葛藤を抱えつつも、「犠牲を無にできない主義」を肯定する言動をしていたのではないだろうか。
メディア・新聞も、この行動原理に染まっていた。メディア側は、好戦的になっている大衆の心情がよく理解できた。その心情と叫びにマッチする記事を書いた。イヤイヤではなく、大衆の心情に、心からの同意を寄せて書いた。(つづく)
脚注
25)井沢元彦「『言霊の国』解体新書」小学館文庫、1998年、小学館。
26)http://ja.wikipedia.org/wiki/ABCD包囲網
(1792文字)
2009年6月24日水曜日