さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
ⅶ)ケガレ、死、差別(Ⅳ) 江戸時代と差別
江戸時代におけるケガレの避け方
ケガレを避けたのは平安貴族だけではない。軍事政権だった江戸幕府でも、明らかに「死」や「犯罪」に伴うケガレを避けていた。
江戸時代における幕府の政治は、老中の合議制で決められ、寺社奉行、勘定奉行、町奉行の三奉行で執行されていた。三奉行は、最高裁判機関である評定所を構成するメンバーだった。
寺社奉行は、一時期を除き将軍直轄だった。全国の社寺や僧、神職の統制、門前町の住民や寺社の領民、陰陽師など民間宗教者、芸能民の戸籍の管理や訴訟などが主な任務だった。
勘定奉行は老中の下で、郡代、代官、蔵奉行を支配し、財政と民政(勝手方勘定奉行)、訴訟(公事方勘定奉行)を担当していた。
町奉行も老中の管轄下だった。領内都市部(町方)の行政、司法を担当していた。与力や同心が町奉行の配下で働いた。
与力、同心は非常に特別な役職だった。出世して町奉行になるとか旗本になるなどといったことはなかった。他の役職に就くことができなかった。一代限りだった。でも世襲制だった。
すなわち、ある与力や同心が引退すると、家督は息子が継ぎ、息子はあらためて一代限りの役職に採用された。一代ごとに契約を更新する形をとった。
井沢氏は次のように書く(脚注4)。
「江戸時代というのは、原則的に世襲で、身分が固定している社会ですから、一代ごとに採用されるというのは非常に珍しい制度です。
つまり、こうした役人というのは、いわゆる犯罪という穢れにタッチする人間ですから、いわゆる旗本や御家人、つまり幕府の直属の家来とは別の扱いをするということです。」
また、「首を切る」という特別な役目を代々引き継いでいた人がいる。幕府が判決を下した死刑囚のうち、町奉行の管轄下にある人を処刑する役目の人間だ。山田浅右衛門(あさえもん)という名前で紹介され劇画にもなったという。
その役職は、当然のことながら幕府の役人だと考えられるが、本当の身分は浪人だった。幕府の役人ではなく、たまたま幕府の御用をつとめている、という形をとっていた。たまたま幕府の首切り役の代行をしている、という形になっている。しかも、その役目は代々世襲で受け継がれていた。
「つまり、江戸幕府というのは、そうした町人や浪人の死刑囚の首を切るという穢れた仕事を、幕府の直属の役人にはさせなかったということです」と紹介されている(脚注4)。
ケガレと差別
外国で一般的だった奴隷制度と極端な人種差別は、日本に存在しなかった(脚注17)。しかし、日本人が「差別」自体と全く無関係だったかというと、そんなことはない。
日本でも、人々は何か異質なところを見つけては「いわれない差別」をする傾向がある。その結果として、不幸な事件が起こったこともある(脚注18)。
いわゆる「部落」出身者に対する取り扱いは、「いわれない差別」の一つであった。出身地の関係からか、私自身はそういった「差別」自体が感覚的にわからない(脚注19)。正直に言うと、関心が全くなかった。ただ、日本史と日本人を読み解くキーワードを使って、「差別」を見たらどうなるだろうか。
もちろん、ケガレが日本における部落差別の根源である。科学的には汚れなど存在しないはずなのに、日本人は何となく汚いと感じる。このケガレが部落差別の背景にある。
ケガレを追求すると、神道の基本的な概念である「『死』=『ケガレ』」に行き着く。
そもそも「死」を取り扱う職業それ自体は、世の中で絶対に必要な仕事である。たとえば、先ほど出て来た昔の首切り役人の他、死体を片付ける、死体を埋葬する人、火葬にふす人などのことである。
また、人間だけでなく、動物の死体に触れる作業も存在する。動物を殺して皮を剥ぎ、その皮を生活必需品として、市場に提供する職業である。昔は動物の肉を食べることがなかった。
しかし、プラスチック製品も合成皮革製品も合成繊維もなかった。そのため、動物の毛皮が一般に重用された。トラクターなど農耕機器がなかった時代ゆえ、農耕作業には馬や牛が使役された。そういった家畜が死んだ場合に、死体を片付けることも穢れた作業となった。
これらの作業は、社会にとって絶対に必要不可欠な業務である。こうした作業にたずさわる人々がいなければ、世の中は全く動かない。
しかし、昔の日本人は、人間や動物の「死」を取り扱う作業そのものを、穢れていると考えた。そして、自分は穢れたくない、手を汚したくないと考えた。そこで、人や動物の「死」を取り扱う作業は、社会的な脱落者にやらせた。
たとえば、犯罪をかつて犯した「前科者」にやらせた。また「前科者の子孫」や家族にもやらせた。ケガレである罪を犯した人々は、それ自体で穢れていると考えた。「前科者の子孫」や家族も、それ自体で穢れていると考えた。そうした穢れた存在に、穢れたものを扱わせた。
日本では過去において、「死」に関する穢れた作業を、社会的な脱落者がやらされていた。社会的な脱落者は身分が固定され、そこから逃げ出すことができなかった。
「死」に関することを取り扱っていない人々、すなわち穢れていないと自称する人々から「差別」されることになった。非常に残念な話である。
そして何と呼ばれたか。「非人」=人に非ざる者、「穢多(えた、えった)」=ケガレが多い者と呼ばれた。差別される側は「差別」を強く意識する。他方、差別する側は「差別」しているという事実にすら気がつかない。
今では信じられないことだが、こうした差別は広範囲に及ぶ。寺社の雑役(死者を扱う)、死んだ牛馬の処理、皮革産業に携わる身分、刑吏(犯罪を扱う警察業務、司法業務)、罪人、病者、乞食、それらの人々の世話をする人々をはじめ、
陰陽師、神官、医師(病気や死を扱う他、ヤブ医者という蔑称もある)などが含まれる(脚注20、21)。
ケガレに端を発するこのおぞましい「差別」という問題は、大変気の重くなる話である。井沢氏は、次のように表現している(脚注4)。
「死を扱う作業は、どうしても穢れに触れることになります。しかしその穢れというものは、日本人が最も嫌うものなのです。ですから、いわゆる普通の人間はそれをやりたがらない。
それで犯罪者のような社会の脱落者にそれをやらせる。それをやらせることをもって、さらに彼らを穢れた存在と見なす。その結果、人にあらざる者、非人という呼びかたをするわけです。」
「日本人はその必要性は認める。そうした職業は、社会には実際に必要である。必要ではあるけれど、その存在を認めたくない。そこで非人という言い方が出てきたわけです。
これは、人間性に対する大変な侮辱の表現だと思います」と。(つづく)
脚注
4)井沢元彦「穢れと茶碗」1994年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
17)http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/1/12_ⅲ)野蛮(?)なヨーロッパ.html
18)http://ja.wikipedia.org/wiki/関東大震災
19)明治2年の版籍奉還により身分制度が廃止されたのに引き続き、明治4年に解放令が出されて身分外身分階層が廃止された。北海道には基本的に同和問題は存在しない。解放令後に北海道が開発されたためである。
20)http://ja.wikipedia.org/wiki/同和問題
21)その他「周縁的身分論」として提唱されている、身分差別を把握する近世史研究も存在する。その視点から言うと、土木業者、石切、大工、芸能民(鳥追いと言って、戸口に立ち手を叩きながら祝詞を唱えて米や銭をもらい歩く人々などがあった)、陰陽師、神官、医師など、地域共同体よりも職縁による結合が強い人々も、地域社会から絶えず「さげすみ」の対象となる可能性をはらんでいたという。地域によっては、藍染め職人や織機の部品を作る職人も含まれたようだ。
(3256文字)
2009年3月25日水曜日