さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’)番外編5 二度と負けない外交(Ⅳ)譲れない一点
日本の外交で絶対に譲れないコンセプトとは何か。
世界史に見る戦争
前回、外交政策の転換により起ってきた当然の心配を列挙した。
特に、「1」価値観を共有していない中国との東アジア共同体構築で、基本的な価値観を共有している米国との同盟関係をどのようなものとしていくのか?」と、
「7」中国の国益からすると、日本と米国との間に楔を打つとともに、日本を悪者に仕立て続け、国連の敵国条項をいつまでも残し、常任理事国には決してせずに戦後の大枠を変えないという外交政策に出る可能性が高いだろう。それにどう対応するのか?」である。
先の戦争が「世界征服をたくらみ他国の領土を侵略した」ことを全面的に肯定しろ、日本の犯した罪を世界中にさらに広めよう、永遠に記憶にとどめておく運動をこれからも展開しようというのが、残念ながら中国・韓国の立場のようだ。
反日を国是としている国々と、果たして共同体などができるのか?どのような形の共同体にしようというのか?という強い疑問が湧くのは当然だろう。
日本国内には、反日の根拠となっている彼らの歴史認識に対し、事実で反論して行くべきではないか、という意見が根強く存在するからだ。
たとえば「南京問題」一つとっても、世界史的に見て功罪を斟酌した時に、たとえば毛沢東の共産党が自国で行った七千万人超の犠牲者を生み出した行為(脚注13)と比べて、いったいどうなのか?その評価のバランスは、果たして釣り合いがとれているものなのか?
こうした疑問などを思いめぐらしているうちに行き当たったのが、古代ローマの歴史をテーマにした小説を書いている塩野七生氏の文章である。塩野氏は、八月十五日の日付で、その日に考えたこととして次のような文を寄稿している(脚注14)。これも長いが引用する。
「中世の十字軍時代の史料を読んでいて感じたことなのだが、当時の西欧のキリスト教徒にとっての十字軍は、イエス・キリストのために行う聖戦だった。ところが攻めて来られた側のイスラム教徒たちは、宗教戦争とは見ずに侵略戦争と受けとっていたのである。宗教心から起った戦争ではなく、領土欲に駆られての侵略というわけだ。
そのアラブ側の史料を読みながら、私は思わず、ならばその前の時代の北アフリカやスペインへのイスラム勢の侵攻は何なのよ、と言ってしまった。あの時代のイスラム教徒は、右手に剣、左手にコーランという感じで、地中海の南にかぎらず西側までもイスラム下に加えて行ったのだ。
戦争が、侵略かそうでないかという問題は、今に始まった話ではなく昔からのテーマであり、つまり戦争とは、攻めて来られた側から見ればすべて『侵略戦争』なのである。
ところが、この見方とは別に、攻めた側も攻められた側も『征服』という見方で一応は合意している戦争がある。
アレクサンダーの東征、ユリウス・カエサルによるガリア戦役がその好例だが、なぜこれらが『侵略』とは言われず『征服』とされているのか。
二例とも、すぐそばの強力な敵を排除することで自国の安全を保証するという意味では防衛戦争だったが、それに勝利した後も引き返さずに突き進んで行ったのだからこれはもう侵略だと思うのに、侵略ではなく征服とされている。どこにそのちがいがあるのか。
私の想像では、そのちがいはただ一つ、勝ったか負けたか、によると思っている。防衛戦争に勝ち侵略戦争に移っても勝ち続けて占領地に新秩序を樹立し、それが定着して始めて征服ということになるのだ、と。
ゆえに、征服までも長期に定着させるにはなかなかの『芸』、つまり政略(ストラテジー)が必要になる。アレクサンダー大王は自分もふくめたマケドニアの武将一万人と敗者側のペルシャの女たちとの結婚を強行したし、ユリウス・カエサルに至っては、現代の国会に当たる元老院の議席を、昨日までの敵であったガリアの有力者たちに提供したのである。
防衛と侵略の段階ならば軍事力が主人公だが、征服の段階に入るや、それも長期に定着させるとなると、政治感覚がモノを言ってくるというわけである。
第二次世界大戦での日本も、防衛で始まり侵略に移った後でも勝ちつづけて大東亜共栄圏を樹立し、しかもそれが百年もつづいていたとしたら、侵略戦争と言われることもなかったろう。だが、その前に負けたのだ。
七百年も昔にキリスト教側の敗退でケリがついてはずの十字軍でさえも、今なおイスラム側では侵略戦争としているくらいなのだ。つい半世紀前に終わった戦争が侵略とされてもしかたがないのではないか。
ゆえに私には、日本がしたのは侵略戦争であったとか、いやあれは侵略戦争ではなかったとかいう論争は不毛と思う。はっきりしているのは日本が敗れたという一事で、負けたから侵略戦争になってしまった」と。
塩野氏が「あれは侵略戦争だった。日本はもっと反省しろ」という立場なのか、「自虐的な歴史観はダメだ。もっと誇りを持て」という立場なのか、浅学にして私は知らない。しかし、「不毛な論争だ」という意見は、まさに傾聴に値すると思う。
負け戦をしない
塩野氏は、日本の進むべき道を一言で言い切る。「二度と負け戦さをしないで済む」道を選ぶべきだというのである。続きを引用しよう(脚注14)。
「この後は、過去ではなく現在と未来に話を進める。そこで論じられるのはただ一つ。どうやれば日本は、二度と負け戦さをしないで済むか、である。
憲法では戦争はしないと宣言しています、なんてことも言って欲しくない。一方的に宣言したくらいで実現するほど、世界は甘くないのである。多くの国が集まって宣言しても実現にはほど遠いのは、国連の実態を見ればわかる。
ここはもう、自国のことは自国で解決する、で行くしかない。また、多くの国が自国のことは自国で解決する気になれば、かえって国連の調整力より良く発揮されるようになるだろう。
二度と負け戦さはしない、という考えを実現に向って進めるのは、思うほどは容易ではない。最も容易なのは、戦争をすると負けるかもしれないから始めからしない、という考え方だが、これもこちらがそう思っているだけで相手も同意してくれるとはかぎらないから有効度も低い。
また、自分で自分を守ろうとしない者を誰が助ける気になるか、という五百年前のマキアベッリの言葉を思い出すまでもなく、日米安保条約に頼り切るのも不安である。
なにしろ数千人の兵士を失っただけで厭戦気分に満ちてくるアメリカ人が、石油も出ず民主化の必要もない日本を守るのに、自国の若者たちを犠牲にするとはどうしても思えないのだ。
軍事同盟に頼りきるわけにいかないとなれば、国際的に孤立しないことに賭けるしかない。だがこれが、外交ベタの日本人には難事ときている。と言って、難事だからと避けつづけるわけにはいかない。二度と負け戦さをしないためには、これしか方法はないのだから」と。
塩野氏は、さすがに「古代ローマ史」の専門家だけに、現実主義的である。しかも、歴史に照らして、大局に立ったものの見方をしている。
今後の舵取り
これまでの外交政策が良かった。そのまま続けて行くべきだ。そう考えている人は多くないだろう。子どもの外交から大人の外交へ。御用聞き外交から自立した外交へ。この変化は、恐らく多くの人から支持されるだろう。
政権交代により、外交政策は大きく舵を切った。
しかし、「容易ではない」ところの「二度と負け戦さはしない、という考えを実現に向かって進める」(脚注14)ために、どの方向に向かうべきか?そこに、道の大きな分岐点があり、議論が出てくるところである(図4)。
図4 手綱捌きが求められる外交
ここに手綱がある。日本人が大の苦手としている「外交」という荒馬についている。これまでは、あたかも他の国に握られていたかのようだった。その手綱を、今後どのように捌いて行くべきか。
壮大な実験が待っている。失敗の許されない試みである。国の繁栄と存続の運命がかかっている。国民生活の安全、私たちの生き死にがかかっている。(了)
(本論「二度と負けない外交」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
13)石 平「中国大虐殺史—なぜ中国人は人殺しが好きなのか」2007年、ビジネス社
14)塩野七生「日本人へ 八月十五日に考えたこと」文藝春秋、10月、2009年
(3350文字)
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2009年10月20日火曜日