さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅴ)コトダマ(Ⅰ) 言霊の怖さ
日本人は議論が上手か?考えるのが得意か?合意を形成するのがうまいか?目標を達成するために冷徹になれるか?その結果、日本人は歴史の中でどのような利益を享受し、どのような不利益をこうむってきたか?
日欧比較文化学と「日本通史」学
今回からは、三回(予定)にわたって、日本在住の作家、評論家、日本史研究家として活躍中の井沢元彦氏の著作(脚注1、2、3、4)を窓口にして考えてみる。
日本人は議論が上手なのか下手なのか、考えるのが得意なのか思考停止しやすいのか、合意を形成するのがうまいのか苦手なのか、目標を達成するために冷徹になれるか他の何かを犠牲にできずに目標を失ってしまうか、また何故そうなのか考えてみたい。
前二回は、海外在住の日本人の作家、評論家で、日欧比較文化学にも造詣の深い松原久子氏の著作(脚注5)を窓口にして、欧米人の世界観、歴史観がどのようなものであるか考えてみた。
我々日本人は、欧米人の鏡に映る世界観、歴史観をボンヤリと眺めている。無意識のうちに自分をそこに投影している。そういった我々の世界観、歴史観は歪んでいないだろうか。
他の国の人々の主張をただ黙って聴くばかりでなく、もっと意見をはっきり述べて議論していくべきではないだろうか。問題意識はそこにあった。
日本人論とか日本人の世界観を考える上でもう一つ大事な視点は、我々が自国の歴史から学んでいるかどうかという点だと思う。そこでご登場願おうと思っているのが井沢元彦氏である。
井沢氏についてコメントする前に、井沢氏と松原氏の共通点をあげてみよう。作家、評論家として活躍していること。そればかりでなく、本業の他に得意分野を持っていることだ。
松原氏は、日欧比較文化学という切り口によって、日本の歴史を客観的に描き出すことに成功している(脚注5)。井沢氏は、日本史の研究を通して、日本史全体を貫くキーとなる概念を発見し、歴史のみならず現在の課題を読み解くことにも成功している(脚注6)。
私は井沢氏の考えに100%賛成しているわけではない(脚注7)。しかし、彼が発見したキー・コンセプトと日本史のとらえ方には、驚きと感嘆の声とともに心から同意する。
また議論の組み立て方には尊敬を払いたい。我々が自国の歴史から教訓を真剣に学び取り、将来進むべき正しい道を選び取る助けとなる。
彼は、作家としての活動をはじめたあと、一九九二年<平成四年>に最初のノンフィクション作品「言霊(ことだま)」を発表した。そのあと数々の評論活動を展開し、次々と個性あるメッセージを発信している。
その中では一貫して、右派的と受け取られる発言を繰り返している。それゆえか、ハナから彼の理論に耳をかさず理解を示そうとしない人がいる(脚注8)。しかし、本当に日本の将来を思うなら、それは決してとってはいけない態度だと思う。
井沢氏は、日本の歴史を学んで不思議に思ったそうである。なぜ、時代ごとに細分化された話ばかりで、時代を超えたつながりが一切わからないのだろう。日本の歴史とは一体どういったものなのか全く見えてこないのは何故なのだろう、と(脚注9)。
誰にもわからないのなら自分で調べてみようと、彼は研究に研究を重ねた。日本の歴史全体を俯瞰する、言わば「日本通史」学である。十数年にわたる研究の果てに一つの結論に到達した。それをまず「言霊(ことだま)」として上梓したわけである。
コトダマ(言霊)の怖さ
「コトダマ(言霊)」とは「言葉に宿っている不思議な霊威」(広辞苑)で、古くは「万葉集」にも出てくるらしい。日本語の中で最も古い概念の一つであると紹介したうえで、井沢氏は次のように述べる。
「こう言ってしまえば、この二十世紀にことさら取り上げるべきものではないと思われるかもしれない。
とんでもない話である。まず、コトダマは今でも生きている。われわれ日本人のすべてがこのコトダマの影響下にあり、支配されていると言っても過言ではない。しかも、さらに致命的なことに、日本人は自身がコトダマに支配されていることを、まったく知らないのである。
その支配が日本民族全体を幸福へ導くならば、あるいは放っておいてもいいかもしれない。ところが、このコトダマは日本を危うく滅ぼしかけた。そして将来、もし日本を滅亡に導くものがあるとすれば、それもやはりコトダマなのである」と。
今も生きていて、日本人すべてを影響下におき、無意識のうちに支配し、日本民族全体を滅ぼしかねないコトダマ。そう聞くと、恐ろしい怪物のようなものを思い浮かべるが、実際に次のような説明が続く。
「コトダマとは、日本人の心に巣喰う恐ろしい妖怪である。まず、われわれがやらねばならぬことは、この妖怪の正体を知り、それを退治することだ。そんなことをする必要がないと思う人は、その恐ろしさを知らないのである。
もっともこうは言っても、にわかに信じられないのは当然だ。私自身もコトダマの研究を始めて十数年になるが、日本人がこれほどまでにコトダマに毒されていることが分かったのは、つい最近のことである。しかし、今ではコトダマを克服さえすれば、当面日本人が悩んでいる問題の大部分は解決されるとすら思っている。
たとえば、言論の自由の問題、差別語問題、未来予測の問題、そして日本史上の数々の疑問の解決、それに戦争と平和の問題-----。
それに加えて、あえて言おう。あの悲惨な太平洋戦争も、コトダマを克服さえしていれば、起こることはなかっただろう。これは、けっして誇張して言っているのではない」と。
井沢氏は、コトダマという恐ろしい妖怪の正体を明らかにし、われわれ日本人を悩ませている当面の問題が妖怪コトダマによることを指摘する。妖怪を退治し、諸問題を解決しようと提案する。
初めて読む人に特にインパクトを与えるのが、顕著な例として挙げている「あの悲惨な太平洋戦争」についてだろう。そこに行く前に、コトダマの基本的な姿を紹介しよう。まだ妖怪とは思えない段階からはじまり、次第に化けの皮が剥がれていく。(つづく)
脚注
1)井沢元彦「言霊」1992年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
2)井沢元彦「言霊Ⅱ」1997年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
3)井沢元彦「『言霊の国』解体新書」1993年、小学館。
4)井沢元彦「穢れと茶碗」1994年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
5)松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」田中 敏訳、2005年、文藝春秋。
6)「優れた歴史小説の書き手は、必ず歴史を読み解くキーを所有している。井沢君にとってそのキーは、言霊であった。日本人の心の奥に潜んでいる言霊への怯えや、無意識な支配力を解析することにより、彼はこれまで歴史の陰に隠された真実を、いくつも掘り起こすことに成功してきた。
現代の我々の行動も言霊に支配されている。宗教でも道徳律でもない言霊というものが日本人を縛り、それゆえにこそ、日本人は独特なのである。この本は、希有な日本人論ともなっている」(作家:高橋克彦氏による紹介文、井沢元彦「言霊」ibid)
7)後ほどその詳細については述べるつもりである。
8)井沢氏は、「新しい歴史教科書をつくる会」にも所属している関係もあり、いわゆる左翼系の「進歩的日本人」からはあまり良くは思われていないフシがある。
9)井沢元彦「点と点が線になる日本史集中講義」2004年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
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2009年2月15日日曜日