さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’)番外編8 教育が危ない(Ⅲ)日本語が通じない?
現代大学教員悲歌(エレジー)
危機が叫ばれているのは初等中等教育だけではない。高等教育でも状況は驚くばかりであるという。
地方大学のある講師が「ついに、ここまで来たか…」と言ってしばし言葉を失った。学生とやりとりをしていて、日本語が通じないことに愕然としたのである(脚注13)。
「『怠惰』って何?」
「『まごまごする』ってどういう状態?」
「『骨が折れる仕事は嫌です』って、『骨折する仕事』が嫌なのは当たり前。違う意味があると思ったのですが…」
「英文解釈の講義で学生に『often』の意味を調べさせても、『しばしば』はもちろん、『頻繁に』といった訳語が理解できない。『よく~する』ではどうか、と聞いても、『よく』は『good』の意味としてしか認識していない学生すらいる」
「履修登録の説明書が読み取れないので新年度のオリエンテーションが成り立たなくなってきた。基本的な語彙(ごい)力がないために、英語ならぬ日本語の理解力やリスニング力が落ちている」という。
中学高校レベルの漢字テストを課している大学もある。空欄が目立つ答案がある上に、「診談」(診断)や「業会」(業界)などの誤字も目立つという。
問題は日本語の力だけではない。定員割れを起こしていた某大学工学部には、理系であるのに四則計算ができない学生が入ってきた。まさに3+2X4=20?の世界である。
対応に困った教員は、小学生レベルでつまずいていた学生に「百ます計算」をさせてみた。するとある学生は計算の面白さに気付いて熱心に勉強するようになり、計算力を高校一年レベルに引き上げることに成功。卒業後は、晴れて自動車部品の工場に就職できたという。
また別の某地方大学では、学生と教員の間で「交換日記」をつけている。最初は「面白かった」「つまらなかった」程度しか書かない学生が、教員に5W1Hを指導されてようやく少しずつ表現力が身に付いてゆくという。
さらに別の某大学では、学生数人が講義中に教室の後ろでカップ酒を飲みながら麻雀をしていたそうである。講義中に席を立って教室をウロウロする学生がいたり、大学になじめず家に引きこもる学生がいたりするのは、ごく当たり前の姿らしい。
国公立大学でもお寒い現状のようである。教師の側が毅然として臨まないと講義が成立しないという。「日本語能力の低下は、日本語による思考論理力の低下を意味するのでは?」と題したあるウェブサイト(脚注14)では、現状を次のように嘆息している。
「この記事を担当している筆者は、大阪の国公立大学に籍をおいていますが、学生の幼児化は国公立大学でも避けられず、学部の授業(専門科目)で、現況の事情を講義していても、私語が飛び交い授業を成立させるのに苦労しています。
余りにも酷いので、大学院生の助けを借り、授業中に私語を止めない学生へは強い警告を行った上で、学生証の取り上げと退室を科すようにしました。最近、ようやく授業を予定どおり進行させられるようになりました。
真面目に授業を受けている学生に対し、自らの私語が迷惑であり、なおかつ授業を妨害しているという認識がない点に驚愕させられています」と。
教える側は、評価の大変厳しい科目であることをうたっているので、選択する学生にはそれなりに学習への覚悟があるものと予想する。しかし、「幼児化した学生はそのように考えないらしいから不思議です」と結んでいる。
昨今の大学教員は何とも涙ぐましい努力をしている。今や大学教授の仕事は、小学校教師とほとんど変わらない。ただただ意欲のない学生を引き止め、学習意欲を高めて学力の底上げをするよう求められているという。大学教育は既にサービス産業である。
失われゆく日本語
コミュニケーション科学を専門にする小野博氏(独立行政法人メディア教育開発センター)は、大学生の日本語基礎力を調べたという(脚注13)。驚くべきことに、国立大生の六%、私立大生の二十%、短大生の三十五%が「中学生以下」と判定された。
それは二〇〇二年のデータだが、二〜四年前の同様の調査では、国立大生の〇・三%、私立大生の六・三%、短大生の十八・七%であったので、急速な日本語語彙力の低下がうかがえたという(表11)。
表11 中学生レベル以下の大学一年生の割合
国立大 私立大 短大
1998〜2000年 0・3% 6・3% 18・7%
2002年 6% 19% 35%
大学生の日本語力の低下について、氏は次のようにまとめる。「外国人留学生と同等か、それ以下の日本語力しかない学生が出てきた。言葉の意味を学生に確認しながらでないと講義が進められない大学も少なくない」と。
前述した総授業時間数の国際比較調査の報告では、国語力と総授業時間数との相関は存在しないような結果となっている(脚注12、図7〜8)。
しかし、日本語の危機は、敬語や丁寧語が使えないというのレベルをとうに超えている。前掲のウェブサイト(脚注14)では、産経web(脚注15)に掲載されていた事例を次のように引用している。
「本の街、東京・神田神保町にある国語作文教育研究所。所長の宮川俊彦さんは長年、企業や官庁の昇進や入社試験の論文などに目を通してきた“表現の定点観測者”だ。
約400社から依頼を受けた昨年は、1000作近くを読んだ日もある。実感するのは『語彙が乏しく、表現力が極めて低下している』ことだ。
音楽関連の会社が志望者に課した『友情』というテーマの論作文がとりわけ印象に残っているという。『友情は大事』『友達は大切。いつまでも一緒にいたい』…。乏しい語彙で、わずか数行しか書いていないものがかなりの数に上った」という。
企業でも、「オペレーターが日本語で書かれた取り扱い説明を理解できず、機械を故障させた」「社員が送った言葉足らずの電子メールが取引先を立腹させ、受注ができなくなった」など、日本語力不足が実害を生むケースも往々にしてあるという(脚注13)。
言葉を知らない若者は、逆に「何を言いたいか分からない」と話し手を批判する。知らない言葉に出くわしても「あの人の話はわからない」で済ませる。自分の努力不足や語彙力不足を決して嘆きはしない。実力不足を自覚しようとはしない。奮起しようともしない。
何ということだろう。学校現場で、企業で「失われゆく日本語」を懸念する声が広がりを見せている。(つづく)
脚注
12)渡辺良「学校の授業時間に関する国際比較調査」国立教育政策研究所(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/005/gijiroku/03070801/005.pdf
13)産経Webより、http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0705/01/news025.html
14)http://febnet.cocolog-nifty.com/column/2007/06/post_7095.html
15)www.sankei.co.jp/kyouiku/kyouiku/070501/kik070501000.htm、ただし現在はアクセスできない状態となっている。
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2010年5月22日土曜日