さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
xiii)ピースメーカー(4) 残酷な平和(Ⅰ)信長の残虐性
平和を創り出す働きについての第四回目、最終回である。日本は、世界の先進国の中で、例外的に平和が長く続いた国だと言える。いったい何故か?はたして、日本に真のピースメーカーは存在したのか?
理想化される平和
前回もまとめた通り、日本人は、コトダマイストだった。戦(いくさ)の準備をすると、戦争を実際に呼び込んでしまう。そういう考え方が主流だった(脚注1)。
我々は、古くからケガレを忌み嫌った。特に、死という最大のケガレを扱う連中として、武士たちを遠ざけていた。軍隊を「人殺し集団」と差別していた(脚注2)。
日本人には、ワを絶対視する感覚が染み付いていた(脚注3、4)。その感覚の故か、平和が長続きしやすかった。「ワ」「協調性」「話し合い」の精神の恩恵に、日本人はあずかっている。平和が保たれやすかったことと「ワ」の精神とは、互いに無関係ではあるまい。
「コトダマ」「ケガレ」「ワ」の感覚が、日本人を支配していた。この三つの原始的宗教観が、日本の歴史全体を通してずっと存在していた。日本史全体の中に影響を与えて、平和的な権力委譲が進められ続けた。
反面、日本人は「平和には崇高な価値があり、清らかなものである」と考える。それに穢れたものが触れる、関与することに、日本人には心理的な拒否感を覚える。
我々日本人は、あまりにも「平和」に理想を重ねすぎた。少しでも汚れた手段を使っていると、それだけで歴史上の人物を評価しなくなる。日本のリーダーたちは、概ね不人気である。以上が、前回の骨子だった。
今回は、織田信長に焦点をあてる。考えてみたいのは次の三つである。(1)彼の功罪、(2)その偉業によって味わっている日本人であることの幸福、(3)歴史の逆説、について。
信長の残虐性
織田信長(脚注5)には人気がある。天下統一の礎(いしずえ)を築き、志半(こころざしなか)ばで非業の死を遂げる。「天下布武」(てんかふぶ)、天(あめ)の下(した)武(ぶ)を布(し)く、という朱印に象徴されるように、武家による日本の統一を試みた。
「天下布武」というのは、「武家の政権を以て、天下を支配する」という意味である。日本人は、基本的に力で相手を屈服させるというやり方を好まないが、その中にあっても、信長には人気が集まる。
しかし、他方で、多くの人々は「信長は残酷でワンマンだった」と主張する。多くの事例をひいて、信長の残虐ぶりを指摘する(脚注5)。
特に言われているのが、「信長は非常に残虐な宗教弾圧をした」との指摘である。比叡山延暦寺を焼き討ちにし、みな殺しにした。一向一揆(本願寺)を弾圧し、最終的に屈服させた。それらを引き合いに出して、信長の残酷さ、独裁ぶりを主張する。
確かに、信長は延暦寺を攻略し、女子どもまで殺した。本願寺派と長年戦って、沢山の血を流した。戦いに戦いを重ね、力だけで相手をねじ伏せ、有無を言わせぬ形で天下統一を進めて行ったように見える。
しかし、それは一面にしか焦点を当てない、非常に偏った見方である。日本人が歴史に抱いている誤解、無理解が元になっている。真実は次の通りだ。(つづく)
脚注
1)「リアリストになりきれない日本人」、http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/2/28_ⅵ)リアリストになりきれない日本人.html
2)「死、ケガレ、差別」、http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/3/22_ⅶ)_ケガレと差別.html
3)「絶対視されるワ(1)」、http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/5/24_ⅷ)_絶対視されるワ.html
4)「絶対視されるワ(2)」、http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/6/7_ⅸ)_絶対視されるワ(2).html
5)http://ja.wikipedia.org/wiki/織田信長
(1740文字)
2009年7月12日日曜日