さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’)番外編3 個別政策か国の仕組みか(Ⅱ)普通の企業のように
個別政策よりも国の仕組みを改革していく必要性について論じている。
この国の統治システムの課題
日本の官僚軍人たちは、全く無責任であった。真の知恵を持っていない人々だった。官僚は、国益よりも省益を優先させていた。官僚は、責任を分散させて明確にしない。それは、当時も今も全く変わりがない。
先に挙げた辻政信(脚注3、4)は、GHQから「第三次世界大戦を引き起こしかねない男」と警戒されたという。しばし公職から追放されていた。
ただ、追放解除後の一九五二年に、旧石川一区から立候補して衆議院議員になった。自由党を経て自由民主党の鳩山一郎派に属すなど、衆議院議員を合計四期、参議院議員を一期つとめている。
日本人は、何故こんな男の存在に怒りを燃やさないのだろう。日本を滅ぼした官僚軍人の典型である。彼のような人ばかりではなかっただろう。しかし、彼を罰しない(罰することの出来ない)官僚制度というものが確かに存在する。私たちは何故憤らないのだろう。
今日でも、似たような例があるだろう。もちろん、官僚の各個人々々がすべて悪い人ではない。しかし、日本の官僚システムにおいては、辻政信のような存在を自ら罰することが全くできない。責任が分散され、かばい合いがなされるからである。
ある人々は言う。今回の選挙でこの国はメチャクチャになる、と。彼らは、日本の高度成長は官僚システムが達成したと考えている。だが、元ソニーの故盛田昭夫氏の著作によるまでもなく、日本企業は官僚政治によって沢山邪魔され手足を縛られて来たのが事実だ。
高度成長期の通産官僚は高慢だった。「欧州や米国は日本の技術革新から学べば良い」という尊大な態度を取り続けたという(脚注5)。他の省庁も五十歩百歩であろう。
むしろ、彼らにとっては、現行システムの方が責任を問われずに自分たちに都合の良いことが出来る。あるいは、現在の閉塞感、政治経済の失敗についても、誰かに責任があるという形で明確にしなくて済むシステムなので好都合なのである。
彼らからすると、極言すれば、辻政信のような人物が存在しても、国を滅亡に導いても、多くの国民を苦しめても、一生懸命考えて国の為にやったことなので問題ないのである。失敗しても、やむを得ないのである。官僚仲間の責任を追及するなど考えられないのである。
この国の統治システムには、何か根本的な間違いがあるのではないか?そのような疑問を呈する人々が、国民の中に一体何パーセントいるだろう。
普通の会社のように
どうすれば良いか?何のことはない。普通の会社のようにすれば、それだけで済む(図2)。
1)現行の国家公務員試験そのものを廃止する
2)キャリア、ノンキャリアを区別せず、適正な職務を与える
3)問題行動があれば、厳正に罰する
4)収入と支出のバランスが崩れていれば、優先順位をつけて支出全体を削減する
5)収入を増やす方法を選択する
6)10〜30パーセント程度の予算の組み替えを行なう
実に単純である。当たり前の話である。たったこれだけのことが、どういうわけか日本では出来ない。例年の予算全体の組み替えは、全体から見てたったの1パーセント程度だという。普通の会社なら当然の、予算の大きな組み替え自体が、今の霞ヶ関には全く不可能なのである。
何故出来ないのか?これにも不思議はない。人は自分の首を絞めることはできない。官僚が上の六つを実行しようとすると、自分たちの首を絞めることになる。「省益」が台無しになるからである。自分たちの天下り先確保と、利益を生み出す補助金のシステムが崩れるからである。
彼らにとって誠に居心地の良いシステム、それを彼らが維持しようとするのは当然だ。しかし、彼らの「素晴らしい」システム自体が、私たち国民を苦しめている。そして、かつては日本を戦争の泥沼に引きずり込み、滅亡に導いた。今でも、将来にツケを廻して滅ぼそうとしている。
我が国がかつて誇っていた、もうどうすることもできない「官僚政治」に別れを告げるにはどうしたら良いか?もういい加減に、私たちは気付くべきではないだろうか。「何とかしなくては」「国の仕組みを変えなくては」と。
今回の選挙は、私たちの手に国の進路の舵取りを取り戻すか、それとも従来どおりの「官僚政治」のままで行くか、究極の選択であった。国の仕組みを根本的に変えていくのか、そのままで行くのかの選択だった。
今度与党となる政党は、上記の1)2)は言っていない。3)も明確に実行できるかどうか不透明である。次の野党となる政党が、それら1)2)3)をマニフェストに記すなら、次の選挙で私はその党に一票を投じても良いと思っているほどである。
私たちは、この国では「どうせ官僚が政治を動かしている」「どうせ変わらない」という先入観、固定観念に捕われて来た。しかし、そのような考え自体を変えて行かない限り、私たちの国は再び滅亡である。日本に未来はない。
繰り返そう。国の仕組みを変えていくことは、お金をどこにどう配るかという個々の政策よりも、はるかに重要な課題である。
個々の政策は、後でいくらでも修正すれば良い。より良いものにしてゆけば良い。恐らくは、きっと満点などとれないだろう。いろいろな不満が残るだろう。しかし、四年後、国の仕組みを変える方向に舵を切れたかどうか、ただただ、この一点に注目したい。
国の仕組みを根本的に変えること。それは、今後の成り行き、次期政権与党の手腕を見る私たち国民の洞察力にかかっている。右寄りの意見を持っている人も、左寄りの意見を持っている人も等しく、刮目して見守るべき最重要課題である。(了)
(本論「個別政策か国の仕組みか」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件:1939年4月、関東軍司令官の名で「満ソ国境紛争処理要綱」という布告がなされた。これは、関東軍の作戦参謀となった辻政信が策定したものである。当時、国境線が明確に決定されていなかった地域が満州国とソ連との間に存在した。そこでの「現地司令官の自主的な国境線認定」が記されている。また、衝突が発生した際に、その時の兵力の多寡に関わらず、必勝を期すことも記されている。同年5月11日、外蒙古と満州国が共に領有を主張していたある地域において、外蒙古軍と満州国警備隊との小規模な衝突が発生した。関東軍は、要綱に従って直ちに部隊を増派し衝突が拡大した。外蒙古を実質植民地としていたソビエト連邦も、軍を紛争箇所に派遣した。関東軍司令部は紛争の拡大を決定し、ソ連支配下にある外蒙古の航空基地の空爆を計画した。これを察知した東京の参謀本部は電報で中止を指令した。しかし、辻はこの電報を握りつぶし、作戦続行を知らせる返電を行っている。この電報の決裁書では、課長、参謀長および軍司令官の欄に辻の印が押され、代理とサインされていた。参謀長および軍司令官には代理の規定が存在せず、辻の行動は明らかに陸軍刑法に抵触するものであった。軍法会議で死刑になってもおかしくないほどの重罪だった。憲兵隊は、民間人よりも、こうした軍人の軍律違反を罰するために存在していたにもかかわらず、辻の行動を黙認した。それもそうだろう。憲兵隊も官僚なのである。官僚は仲間の罪をかばい合うのである。官僚は自分たちに都合の悪い事件は、まったく摘発できないのである。日本軍は、このノモンハン事件で多くの犠牲者を出した。死ななくても良い多数の方々が亡くなった。ドイツから技術支援を受けていたソ連軍の機械化部隊にコテンパンにやっつけられたためではある。しかし、ノモンハン事件自体が、辻の無謀かつ勝手な行動によって引き起こされた対外戦争だったのであり、軍人官僚が日本を滅びに向かわせたという象徴的な出来事だった。
4)http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信
5)英国オックスフォード大学教授のイアン・ニアリー氏は、毎日新聞のインタビューに答えて述べている。「民主党が(日本の失敗を)官僚のせいだけにするのは不公平かもしれない。しかし、官僚は日本の経済成長を自らの功績だと自賛していたのだから、その失敗の責任を問われても不当とは言えない」「政策決定に関する実権を官僚側から政治家へ取り戻すことは、このプロセスの民主化という意味で極めて重要だと言えるだろう」と。
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2009年9月5日土曜日