さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅲ)野蛮(?)なヨーロッパ(Ⅰ) 隠したい動機
幸いなことに、日本では階級的奴隷制度が採用されなかった。奴隷と極端な人種差別は、われわれ日本人にはピンと来ない対岸の言葉、事柄、事象と言って良い。他の国々ではどうだったか?奴隷制と聞いて人々は真っ先に何を思い浮かべるだろう?
スラブ民族に関する興味
ずっと以前から疑問だったことがある。「スラブ民族」のことである。語感から「Slave: 奴隷」を連想するのは自然なことだと思う。しかし浅学にしてその関係の詳細を語る書物に出会うことがなかった。
数年前「驕れる白人と闘うための日本近代史」(松原久子著)を読んだ(脚注1)。もともとドイツ語で書かれたこの本は、いろいろな意味でパラダイムシフトを迫るものだった。
その中の「高潔な動機」という章に、ヨーロッパ人があまり語りたがらない話とともに、「奴隷:スレイブ」の名前の「由来」が非常に詳しく興味深く記してあった。疑問が解けた。
ヨーロッパ人海外進出の動機
疑問に対する答えを記す前に、まず著者の松原氏について説明しよう。訳者である田中敏氏は「まえがき」で次のように紹介している(脚注2)。
松原氏はドイツ語で、小説、戯曲、短編、評論を執筆するのみならず、現在はアメリカに居を構えて、欧米各国を舞台に講演、シンポジウム、討論会等々、『言挙げ』に八面六臂の活躍をされている。
松原氏は日本を言葉で防衛している貴重な日本人である。『傷ついて、傷ついて、悔し涙を流して』防衛している唯一の日本人である、と。
『言挙げ』とは、日本の弁明、言葉による自国の防衛である。日本の伝統文化の紹介や解説は、異国趣味と外交辞令もあって海外では歓迎される。しかし『弁明』はかの地では激しい抵抗にあう。
言葉で日本を防衛するということは、例えば歴史的な『真実』をきちんと伝えることである。しかし欧米で史実をきちんと伝えて誤解などにひとたび反論すると、傷つき悔し涙を流すほど大きな困難に遭遇するというのである。
さらに、欧米人を評して「黒を白とまでいっても自己正当化を憚らないしたたかな白人」、「自分たちから見た歴史が世界の正しい歴史だと思っている」と訳者は言っている。
内容に入ろう。松原氏は「高潔な動機」と名付けた章で奴隷について言及している。その章は、まずヨーロッパが海外進出をした理由に関する話からはじまっている。西欧人が語る海外進出の動機とは次のようなものだ(脚注3)。
自分たちの文化は他の民族に授ける価値があるという確信があり自信があった
全ての人間、全ての人種に有効な普遍的な宗教を持っていた
征服した国を統治し、新しい文明の尺度を注入し、住民を教育する義務を負おうとした
つまり、他民族を幸せにしようとした
白人が隠蔽したい動機と史実
ヨーロッパの学問、科学技術、教育、政治機構、法制度、経済活動、軍事技術など、どれをとっても彼らが自信を持っていることは確かだろう。普遍的な宗教というのもその通りだろう。植民地で学校を作り教育に力を入れていたことも事実だ。
だが彼らの語る「動機」は、いささか手前勝手に映る。教育の義務を負うと言っても、その実は愚民化政策で、自分たちが植民地を支配するのに都合が良いようにしただけではないか。本当に他民族を幸せにする気などあったのだろうか?など。
こうした表面的な批判をはるかに超えて、著者は根本的な反論を展開する(脚注4)。
当時のヨーロッパ人が海外に出かけた動機は明らかだ。オリエントとの交易に際してアラブ商人の独占的主導権を打ち破ることだった。
元々の動機が知識欲と探検への情熱であったというのは、美しいお伽話である。当時の自分たちの優れた文化を他の諸国に普及したいがために海を渡って出かけていったというのも、美しいお伽話である。
キリスト教が探検旅行の原動力であったというのも美しいお伽話である。そういった使命感に駆り立てられて資金を用意する支配者、危険な航海を決行する船長、雇われる船乗りはいない。全ては欲得だけだった、と。
著者が史実として指摘していることを辿ると次のようになる(脚注4)。
近東、インド、東南アジア、中国、日本に比べて、中部・北部ヨーロッパはかつて惨めにも貧しい大陸だった。いかに貧しかったかは、オリエントからヨーロッパに流入してきた品々とヨーロッパが他の地域に届けることのできた商品とを比較することによって理解できる(図1)。
オリエントから入ってくる交易品:
樟脳、サフラン、大黄、タンニンなどの薬品、鉱物性の油や揮発油、砂糖、胡椒、グローブ、シナモン、ナツメグといった各種の香辛料、染料、生糸、麻、高級絹織物、ビロード、金糸、銀糸、宝石、珊瑚、真珠、高価な陶磁器など。
ヨーロッパが納入できた商品(ささやかで簡単なリスト):
羊毛、皮革、毛皮そして蜜蠟。
(図1は脚注1を基に作成した)
ヨーロッパは、対オリエントの巨大な貿易赤字を抱えていた。不足分は全て、金・銀で支払った。何トンもの金・銀がアラブ商人の懐に消えた。しかし、ヨーロッパ上流階級の人々はオリエント商品を渇望した。貪欲で飽くことを知らなかった。
そこで、アジアへの輸出のために特別な商品が用意された。それはヨーロッパ人の奴隷である。何世紀にもわたって。
北部のヴァイキングが、中世初期、ロシアの川筋に沿って黒海まで南下した。奴隷は極北の国で捕れる毛皮に次いで主要な商品だった。『奴隷(スレイブ)』は、語源的に『スラブ人』と同じだ。
ポーランド、ボルガ河畔、ロシア平原、ウラル山脈に至るまで大掛かりな奴隷狩りが行われた。奴隷狩り専門家たちによって、スラブ人の男女が捕らえられ白人奴隷として商品とされた。特に女奴隷は金貨と交換できるほど高値がついた。
白人奴隷は、キリスト教国のキリスト教徒によって、捕らえられ、縛られ、猿ぐつわをかまされた。オリエントの贅沢品と交換するために運ばれて行った。オリエントの贅沢品を競って求めていたのは、王侯貴族、特権聖職者、富豪たちである。
大航海時代を生み出した原動力、ヨーロッパのダイナミズムと今日よくいわれるものとは何か?
それは、
(1)自然に呪われたヨーロッパ大陸の貧しさを克服したいという願望
(2)元を正せば彼らの絶望と怒りの産物、だという。
彼らが渇望している贅沢品と引き換えに、彼らから金、銀、白い肌の女性を奪い取ったアラブ人に対する激しい怒りそのものだというのである。
大航海時代に最初に登場した海洋国家と呼ばれる国はポルトガルである。スペイン、オランダ、イギリスが続く(脚注5)。特に、ポルトガルは、執拗に粘り強く、苛酷な戦いをものともせず、交易ルートの覇権を巡って邁進した。
オリエントの財宝を直接我が物にするためだ。この目的を達成するには、アラブの船と商人を絶滅させるしかなかった。アラブが、その既得権を戦わずして放棄するなどありえなかったからである。
事実、苛酷な戦いを経て、ヨーロッパ人はアラブを打ち破って世界の富を手に入れた。あとは、オランダがポルトガルの覇権に挑戦し、イギリスがオリエントに圧倒的な権益を築く。
あとでフランスも挑戦するなど、ヨーロッパ人同士が内輪もめしながらアジア諸国を分割してゆく。その過程を詳述はしないが、彼らは自分たちが世界に出て行く目的を達成し、欲望を満たした。
世界史で習った記憶があるだろう。胡椒は一時期貨幣の役割を果たしていた。胡椒を巡って交易権の争奪が起こった、と。胡椒ごときで何故?と不思議だったのではないだろうか。
しかし今や深く理解できる。すべては、胡椒に代表されるオリエントの交易品(贅沢品)、それを独占的に手に入れるための紛争だった。
以上が、当時のヨーロッパ人が海外に出かけた本当の動機である。
では、欧米では、白人奴隷が商品となっていたという事実を教科書でどのように教えているのだろうか?一般的な教科書や歴史書にはほとんど記載されていない。ほんの申し訳程度、恥ずかしそうに触れられている。
キリスト教徒の男女の奴隷が北アフリカのサラセン人のもとへ売られていった、と。もちろん、悪人は野蛮なサラセン人の海賊で、犠牲者は可哀想なキリスト教徒だ。そういう印象を受けるように書かれている(脚注6)。
アラブとの戦いについて、歴史書にはどう書いてあるのだろうか?当時のヨーロッパ人の成功は、それまで実権を握っていたアラブ商人が商売から手を引いたからである。ヨーロッパの歴史書は美しい言葉でさらりと触れている(脚注6)。
見事な技と言うべきか、臆面もないと言うべきか、立派な教科書のねつ造というべきか。彼らが主張するもっともらしい「高潔な動機」とは、自分たちの不都合な史実を隠蔽するためのレトリックだった。
先に紹介した、訳者「まえがき」の表現を思い出していただきたい。「黒を白とまでいっても自己正当化を憚らないしたたかな白人」と西欧人を評していること。「自分たちから見た歴史が世界の正しい歴史だと思っている西洋人」と断じていること。
これを言い過ぎと感じられる向きもあっただろう。しかし、今や、はっきり読み取れたに違いない。自分に都合の悪い史実を隠蔽し、美しい言葉で自分たちの歴史を都合良く飾って論じる欧米人の一面が。「なるほど」と。(つづく)
脚注
1)松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」(田中敏訳)、2005年、文藝春秋。ドイツ語原著のタイトルは「宇宙船日本」、副題は「真実と挑発」、日本語版には、あえて日本人向けに挑戦的なタイトルが付けられている。
2)松原久子、ibid. 1~3頁。
3)松原久子、ibid. 121頁。
4)松原久子、ibid. 121~127頁。
5)http://ja.wikipedia.org/wiki/トルデシリャス:スペインとポルトガルは地球上に勝手な子午線を引いて地球をちょうど二つに丸まる分割した。ブラジルからインドネシア・フィリピン・日本までの東半球をポルトガルの取り分、アメリカ大陸の大部分を含む西半球をスペインの取り分とした。その取り決めを「トルデシリャス条約」と呼ぶ。アジアにポルトガルが進出し、中南米を主にスペインがとるという結果となった。実質的にオリエントの交易権を奪ったポルトガルに対して挑戦していったのが、オランダ、イギリス、フランスということになる。
6)松原久子、ibid. 124、128頁。
(4268文字)
2009年1月12日月曜日