さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅺ)ピースメーカー(2) 貴い犠牲(Ⅱ)絶賛される帝国陸軍
陸軍の行動を絶賛したメディア
一九二九年<昭和四年>、経済大恐慌が全世界を襲った(脚注6)。世界経済は、植民地を有する西欧主要諸国によりブロック化されていった。自国ブロック以外との貿易を制限し、他国を事実上締め出した。
日本は、英ポンドブロック、米ドルブロック、仏フランブロックなどから排除された。広大な植民地を持たない日本は、自国ブロック内部での経済成長が見込めなかった。
国内では、「満蒙(満州とモンゴル)は日本の生命線」とまで言われるようになっていた。一九三一年<昭和六年>、政府の失政もあり、有効な経済対策を打ち出せない状態が続いた。深刻な不景気にもがいていた。
南満州鉄道を警備するために満州に駐留していた日本軍は、関東軍と呼ばれていた。一九三一年九月十八日、関東軍によって、奉天(ほうてん:現在の瀋陽、脚注7)付近の柳条湖(りゅうじょうこ)で、南満州鉄道の線路が爆破された。満州事変の始まりである(脚注8)。
関東軍は、石原莞爾(いしはらかんじ)、板垣征四郎(いたがきせいしろう)、土肥原賢二(どいはらけんじ)らによって率いられていた。
本国からの連絡を待たずに、翌十九日までに、関東軍は奉天、長春(脚注9)を占領する。土肥原を奉天の臨時市長に就任させてしまう。二十一日には、林中将率いる朝鮮軍が、独断で越境し満州に侵攻した。一企業の爆破事件が、国際的な紛争に拡大した。
若槻禮次郎(わかつきれいじろう)内閣は戦線不拡大の方針を決定した。外務大臣の幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)は、戦線を奉天で止(とど)めること、錦州(遼寧省、奉天の西隣)までは進出しない方針を、陸軍大臣を通して陸軍参謀総長に伝え、参謀総長も諒承した。
その旨を、幣原外相は米国にも伝えた。ところが、参謀総長からの抑制命令が届く前の日に、関東軍は錦州攻撃を開始する。もちろん米国は激怒した。関東軍も、政府が作戦を漏洩したと激怒した。幣原外相の国際協調主義外交が、内外ともに決定的なダメージを受けた。
満州事変では、三万から六万の兵力で十六万を撃破し、六ヶ月で満州全体(現在の中国東北部三省、南から北へ、遼寧(りょうねい)省、吉林(きつりん)省、黒竜江(こくりゅうこう)省)を占領、治安を安定させた。作戦それ自体を見るなら、大成功だった。
また、こうした軍事行動は、植民地を拡げてゆくために、かつて欧米列強がとった方法とあまり変わらなかった。取ってつけたような理由を後づけする形で、自国の行動を正当化して領土を増やしていった(脚注10)。
かつて、中南米・アジア・アフリカで自分たちが使った帝国主義的手法を、日本はそっくり真似た。英米からすると、自分たちも持っていた中国への野心を、日本はあまりにも露骨な形でむき出しにした。
この時まで、欧米の利害と対立しないように、日本はうまく立ち回って来た。しかし、満州事変以降、欧米の既得権に敢然と挑戦するかのような存在となってしまった。
政府は「当初から、関東軍の公式発表以外の内容の報道を規制した」と言われている。政府の不拡大方針は無視され、国際協調主義外交と訣別することになる。十五年戦争(脚注11)の暗い時代はこうして始まった。
いかに情報操作がなされていたとはいえ、新聞各紙は関東軍の行動を絶賛した。電光石火の関東軍の軍事行動を見事だと讃えた。失策続きで弱腰な内閣に比べ、関東軍の判断は英断だった。そういう印象を読者に残した。かくして世論は、満州事変賛成に固まっていった。
当時のメディア・新聞は、戦争に反対だったのだろうか?世論を満州事変賛成に導くのに、積極的に加担した。そう言って良いだろう。(つづく)
脚注
6)http://ja.wikipedia.org/wiki/世界恐慌
7)奉天:現在の瀋陽=シェンヤン;中国東北部三省のうちの一つ、最も南に位置する遼寧(=りょうねい)省にある。
8)http://ja.wikipedia.org/wiki/満州事変:中国側呼称は九一八事変。
9)長春:現在も同じ呼称;中国東北部三省のうちの一つ、中央に位置する吉林(=きつりん)省にある。
10)リーガルフィクション(法的擬態):取ってつけたような「もっともらしい理由づけ」は、リーガルフィクションと呼ばれる。国際政治上の技巧の一つで、黒を白と言ってでも自分の正当性を主張する、欧米諸国が最も得意としてきたテクニックである。
11)http://ja.wikipedia.org/wiki/一五年戦争:日本による侵略性を認めない人々、ないし消極的な人々からは、しばしば否定的に受けとめられる表現である。
(1927文字)
2009年6月21日日曜日