さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’)番外編6 強欲資本主義と日本(Ⅰ)デフレ、貧困、強欲資本主義
デフレスパイラル(の恐れが強いの)だそうだ。貧富の差が激しくなっているという。アメリカが唯一の超大国として君臨していた時代が終わりかけているものの、「強欲資本主義」はいまだに健在とのこと。現政権はとんでもない時期に経済の舵取りを任されたものだ。
今回は、日本の経済に焦点を当てて将来の方向性について書きとめてみたい。どういう社会の再構築が望ましいか考える。
ユニクロ栄えて国滅ぶ
物価が下がる → 企業が減収減益となる → 雇用が増えず賃金が下がる → 買い控えが起こる → 供給過多 → 安く売る → さらに物価が下がる → さらに減収減益となる → さらに賃金が下がる → さらに買い控える → さらに供給過多になる → さらに安売り → ……
この悪循環がデフレスパイラルである(脚注1)。日本の現状だそうだ。ずっと続くと、安定した職場に就職できるかそうでないで賃金格差が広がる。安定した職場の人も給料が増えない。給料が増えないなら、若者は結婚にも子育てにも踏み出せない。
人口もさらに減る。経済はますます縮小する。政治にも期待できない。教育もお金がかかるのでダメだ。中国などを中心としたアジアの成長の中で、この国だけが取り残されてしまう。日本は衰退の一途だ。そういった悲観論が蔓延している。
そんな中、ユニクロだけは絶好調だという。安売り競争の「勝ち組」といったところか。エコノミストの浜 矩子(のりこ)氏は、「自分さえ生き残ればいい、自分さえ勝ち残ればいいといった安売り競争の背後にある行動原理」を『自分さえ良ければ病』と呼ぶ(脚注2)。
氏はこの病の特徴を次のように説明する。
「自分にとっていちばん利益が上がるように行動しているつもりが、社会全体では不利益を生み、結局、自分自身も貧しくなってしまうことだ。
つまり剥き出しの自己利益追求の果てに待っているのは、共食い・共倒れの世界にほかならない。この現象を『合成の誤謬』という。
スーパーマーケットで買い物をする消費者は一円でも安く商品を買おうとし、スーパー側はコスト削減をすることで、一円でも安い値段をつけて、価格競争に勝とうとする。
双方ともに自分のために行動しているのに、それは労働者にはさらに一段の低賃金、企業には利幅の縮小をもたらす。結局のところ、みんな、自分で自分の首を絞めているのだ」と。
氏は、安売り競争を「社会を壊す恐るべき罠」と強く警告している。
貧困率
日本の貧困率(脚注3)が政府から発表され話題になった。かつては「一億総中流」と、賞賛とも揶揄ともとれる言われ方をしていた。しかし、今や二〇〇六年の統計で十五・七%の国民が相対的貧困の中にいるという。
OECDの定義によると、年収が全国民の年収中央値の半分に満たない国民の割合を、相対的貧困率と呼ぶのだそうだ。二〇〇八年の調査では、一世帯当たりの年間所得の中央値が四四八万円で、その半分である二二四万円以下が相対的貧困率の対象になるという。
同じ調査では、年間所得が二〇〇万円未満の世帯が十八・五%にも上るという。日本の国民の五人に一人、または五世帯に一世帯という驚くべき数字である。
二〇〇〇年の統計を欧米と比較すると、OECD加盟国の平均は八・四%。日本の相対貧困率は十三・五%で、米国の十三・七%に次いで二番目に貧富格差が大きかった。西欧諸国は軒並み十〇%以下で、北欧諸国が最も貧富格差が少なかった。
図1 相対貧困率の国際比較(http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4654.html より)
日本の相対的貧困率は一九八〇年代半ばから年々上昇している。特に一九九〇年代から、勤労者層の格差拡大が著しい。言わずと知れた非正規労働者の増加が主因で、非正規労働者間の格差も拡大しているという。
早稲田大学の若田部昌澄教授も、貧困率上昇に関連して「最近の調査によると、日本では高所得者層の数が増えているというよりは、貧しい人が増えているということです。これはゆゆしい問題です」と危機感を募らせている(脚注4)。
バブルがはじけたあとの一九九〇年代、日本社会はズタズタに切り裂かれた。多くの人々が塗炭の苦しみを味わった。そこに百年に一度の危機が見舞った。最悪の事態は過ぎたものの、危機前の水準には戻っていない。二番底が来る可能性も否定できないという。
強欲資本主義
百年に一度の危機による日本経済の落ち込みは他の国と比べて突出しているという。日本がを生産して輸出しているは高付加価値の耐久消費財である。どこでも不況になって真っ先に切り詰めるのは、耐久消費財の購入である。日本のものが売れなくなるのもムリはない。
しかも、既にGDPの一・八倍の借金を背負っている。昨年八月の総選挙で生まれた政権を、反対者たちは「経済政策がない」と切り捨てる。「経済成長戦略を描け」と迫る。日本はこれから漂流してゆくに違いない脅かす。私たちを悲観論ばかりが取り囲んでいる。
ただ、日本ではそもそも「経済成長」の見通しが立たず、日本の高度経済成長の要因はすべて失われているという。ピラミッド型の人口構成、賃金対比教育度が高く勤勉な就労人口の存在、安価で無限のエネルギー源、米国という巨大消費者市場など。
八月に敗れた政党ならば「経済成長」が可能となるのか?上述の状況下では、誰が政権を担っても簡単、単純ではなさそうだ。
経済成長神話の夢を追い求め続けることが可能なのか?神谷秀樹(みたにひでき)氏は次のように述べる。
「人口減、労働人口減、資源の制約、環境の制約などで、『よくてゼロ成長』の日本が、未だ高度成長の夢に浸り、将来の経済成長を当てにした借金を積み重ねるなど、次世代に対してあまりにも無責任である。
『借りるのも使うのも僕の世代。返すのは君の世代』というようなことを容認することは明確に間違いだ」と。
小泉時代の「構造改革路線」はレーガン・サッチャー路線の延長といえた。経済成長一本やりだった。一九八〇年代はそれでも良かった。しかし効率化だけが優先され、所得の再配分や不況の克服という安定化が無視され、社会の歪みが増した。時代にそぐわなかった。
所得格差について注目すべき統計がある。二〇〇七年、アメリカ人の上位〇・〇〇一%の金持ちが国民全給与所得の六%を得て、上位一〇%が約五〇%を独占したそうだ。アメリカの「経済成長」は極端な所得格差をもたらすものだ(脚注5)。
強欲(グリード)な資本主義、優勝劣敗、強い者が一人勝ちする。「これまでの資本主義」である。「強欲資本主義」と呼ばれる。富める者には恩恵をもたらすが、圧倒的多数の庶民にその恩恵は回らない。こうした極端な富の集中が強欲資本主義の正体である。
台頭著しい中華人民共和国でも、極端な貧富の差が生まれている。年収が一千万円から二千万円の人々が全人口の一〇%だという。何と日本の人口に匹敵するほどの人が富裕層だとのことである。今年中にGDPは日本を抜くと予想されている。
しかし、一人当たりのGDPは世界で二桁の順位でしかない。内陸部の農村から沿岸部への出稼ぎ労働者は、ひと月あたり二万円台の給与で働いているとのことである。拝金主義が横行している。中国の実態は共産主義ではなく、強欲資本主義そのものだろう。
さて日本はどうしたら良いのだろう。強欲資本主義を真似ることで、日本に何か利益があるのだろうか。(つづく)
脚注
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/デフレスパイラル
2)浜 矩子「ユニクロ栄えて国滅ぶ」安売り競争は社会を壊す恐るべき罠だ、文藝春秋、10月、2009年
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/貧困率
4)若田部昌澄「民主党よ、経済政策の基本に戻れ」拝啓 日本国内閣総理大臣鳩山由紀夫様
5)神谷秀樹「ウォール街『強欲資本主義』は死なず」文藝春秋、10月、2009年
(3200文字)
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2010年3月22日月曜日