さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’)番外編5 二度と負けない外交(Ⅰ)戦後世界の大枠
日本の外交はどうあるべきか。新政権になって変化が起きてきそうだ。マスコミには、「不安」「戸惑い」「手探り」との言葉があふれ、特に「信頼を損ねる」「日米同盟を揺るがすな」「基本政策の継続を」という表現が踊る。
世界同時不況が進行する中、影響力に翳りが見えてきたアメリカ合衆国と、台頭する中華人民共和国に挟まれて、外交が得意とはいえない我が国が、どのように今後の舵取りをしていくべきか。まさに待ったなしの選択、決断が迫られる状況だ。
これまでの政策がすべて良かったわけではないだろう。でも本当に大丈夫だろうか?そう心配するのもムリはない。今回は外交に焦点を当てて考えてみる。
戦後世界の大枠
第一次世界大戦終結後、世界の人々はもう二度と惨劇を繰り返さないようにしようと考えた。にもかかわらず、第二次世界大戦が起こるのを防げなかった。その第二次大戦終結にあたり、アメリカ合衆国大統領フランクリン・D・ローズベルトは、特に次の点にこだわった。
それは、交戦相手国に対して決して妥協せず、勝者と敗者を徹底的に明確化することだった(脚注1)。ドイツに対しても日本に対しても、無条件降伏しか認めなかった。戦後処理でも、ニュルンベルク裁判、東京裁判で、勝者が敗者を徹底的に裁き、戦争犯罪者を処罰した。勝者は絶対的正義で、敗者を絶対悪とした。
第一次世界大戦終結時は、無条件降伏という形にこだわらなかった。停戦→講和会議→戦争終結という形をとった。それ以前の多くの戦争がそうである。無条件降伏が戦争終結の形となった場合の方が少ない。ニュルンベルク、東京などの戦争裁判自体が少なかった。
ドイツとともに(脚注2)、日本は「世界征服をたくらみ他国の領土を侵略した」とされ(脚注3)、戦争指導者が犯罪者として裁かれた(脚注4)。それをドイツも日本も受け入れ、再スタートを切った。これが戦後世界の大きな枠組みである。多くの論点が今なお存在するが、かくの如く戦後世界が始まった(図1)。
戦後世界はすぐに東西対立という冷戦へと変容していった。幾度となく深刻な危機を迎え、乗り越えつつ、ベルリンの壁の崩壊(脚注5)を迎えるに至った。冷戦は終結して、その後の世界はどんどんとグローバル化し、一つへと向かって行った。
しかし、終戦後の大きな枠組みはというと、形の上では変わっていない。国連憲章には、いわゆる「敵国条項」が残っていて、大日本帝国、ナチスドイツ、イタリア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、フィンランドが旧敵国に該当すると考えられている(脚注6)。
一九九五年の国連総会で、「敵国条項」を国連憲章から外す決議案が採択された。しかし、未だに大多数の加盟国から批准されておらず、国連憲章に残っている(脚注6)。これが現状である。
存在する論点
戦後世界の大枠という現実を、日本人の多くは反論せずに受け入れている。戦争自体を敵視し、忌み嫌い(脚注7、8)、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」している(脚注9)。ただ、今後の日本の行き先を真摯に考える上で、大きな論点が存在しているのは事実である。
その論点とは、次のようなものである。
(1)どのような歴史的事実があったのか?それぞれはどのような歴史的意義をもつのか?
(2)今後の世界は、どのような方向に向かって行こうとしているのか?
(3)日本の安全保障はどのようにして守るのか?平和はどのように達成されるべきか?
(4)国益に照らして、日本はどのような意見、情報を発信し、提案をしていくべきか?
それぞれを説明し徹底的に検証することは本記事の趣旨ではないが、上記の論点を踏まえた上で、次のような考えが真っ向から対峙している。
A)私たちには反省が足りない。二度と戦争が起きないように、もっと徹底的に戦争責任を追及するべきである。諸外国、アジアの国々に対して反省の気持ちを表し、行動でも誠意を示すべきである。戦争を美化しようとする動きに徹底して反対しなければならない。
B)私たちは、あまりにも受け身だった。言われるままで反論しなかった。歴史的事実とその意義は、ほんとうに、諸外国に言われ多くの日本人が受け入れいている通りなのか。はたして国益は守られるのか。もっと自分で考え、判断し、提案していかなくてはならない。
私たちの多くは、A)とB)の中で揺れ動いているというのが現状なのかもしれない。A)と言われればその通りだと思い、B)と言われればその言い分にも一理あると考える。
ただ、A)にもB)にも真実がある一方で、それぞれに「あやうさ」が同居しているように思う。
A)では、歴史的事実とその意義に対して、狭い視野からしか回答を見つけないようにしている印象がある。思考停止、他律的、受け身的で、対等な関係に立とうとはせず、いつまでも自主的な振る舞いができないように思える。
ロシア、韓国、中国、台湾との間に、領土問題や資源問題が存在し、それをどう解決して行くのか。国益とは何か、何でないかについて、A)では論じるのを避けていて、実際の問題の解決がはかれないように感じられる。
B)では、外交べたで、経験の少ない日本が、はたして「したたかな諸外国」と対等にやっていけるのか、「独りよがり」や「偏狭なナショナリズム」に陥るのではないかという心配がつきまとう。
これまでの舵取り
これまでの政権ではどういう態度だったのだろう。閣僚や要人が「妄言・失言」を繰り返しては、韓国や中国から非難の声が上がり、それに一つ一つ対応することが多かった。
確かに「村山談話」を発表して公式見解としている(脚注10)。しかし、上記のB)を表立っては言わないけれども、A)に対しても積極的、肯定的に対応しないというスタンスで、A)B)双方の意見の間で微妙なバランスをとっていたように思える。
国家安全保障の基本を日米同盟に置き、米軍の駐留を戦後一貫して認めてきた。それどころか「思いやり予算」と称して、二千百億円前後の在日米軍駐留経費を毎年負担してきた(脚注11)。
「靖国」や「教科書」に関しては、純粋な国内問題であるにもかかわらず、ずいぶん「非」を認め、「言い分」を聞くかのように配慮を重ねてきた。その一方で、中国や韓国の反日教育や偏向した教科書の記述内容には、一切意義を申し立てたり反論したりして来なかった。
アメリカは出来るだけ刺激しないように、中国や韓国もできるだけ刺激しないようにと、微妙なバランスをとりながら、国内の意見にも配慮しつつ政策を進めてきた。
アメリカに対しても、中国や韓国に対しても、そのままの外交姿勢、外交政策で良いのか?そういう疑問は確かに生じていただろう。(つづく)
脚注
1)アーネスト・メイ「歴史の教訓 戦後アメリカ外交分析」(進藤榮一訳)、一九七七年、中央公論社。
2)http://ja.wikipedia.org/wiki/ニュルンベルク裁判
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/ポツダム宣言
4)http://ja.wikipedia.org/wiki/東京裁判
5)http://ja.wikipedia.org/wiki/ベルリンの壁
6)http://ja.wikipedia.org/wiki/敵国条項
7)井沢元彦「穢れと茶碗」1994年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
8)「死、ケガレ、差別」、http://web.me.com/pekpekpek/さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策/Blog/エントリー/2009/3/22_ⅶ)_ケガレと差別.html
9)日本国憲法前文
10)http://ja.wikipedia.org/wiki/村山談話
11)http://ja.wikipedia.org/wiki/思いやり予算
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2009年10月17日土曜日