さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’)番外編4 壮大な実験(Ⅱ)トップダウンへ、地方分権へ
日本国中に漂う行き詰まり感、閉塞感の一因は、政治家がリーダーシップを発揮できない官僚支配の呪縛にある。そこから脱出する道筋は?今回と次回、模索してみる。
官僚支配は打ち破れるか
この官僚組織は、いわゆる五五年体制下で権限をさらに拡大した。行政における政治家の存在を骨抜きにしてきた。省庁での人事や予算執行の権限は、制度上は大臣にある。しかし、その権限が実際に行使されることはまずなかった。
日本の官僚組織は、制度上はともかく、政治家をいてもいなくても良い、お飾りのようなものとした。そのため、先にも記したように、総理大臣などは誰がなっても同じ。政治に期待してもムダ。日本の国は官僚が動かしている。そういう空気が流れることになった。
その呪縛を解き放とうというのが、新政権による霞ヶ関改革である。
新政権ブレーンの一人、元日本経済新聞記者の伊藤雄一郎氏(脚注8)は、次のように述べる。
国家戦略局という「構想には、菅直人の苦い経験が生かされている。菅は一九九六年、自社さ連立の橋本龍太郎内閣で厚生大臣に就任したが、就任直後の右も左もわからない状態で、官僚作文の記者発表によって言質をとられそうになった。
また『大臣レク』と称し、局長ら三十人が大テーブルで自分一人を取り囲み、次から次へと省内の問題について、『この件はこう答えてください』と官僚の決めた方針を説明された。少しでも反論すると、官僚は寄って集(たか)ってつぶしにかかった。
『大臣は役所を代表する責任者だが、同時に国民によって選ばれた代表として役所を指揮・監督するために送り込まれている。
官僚にコントロールされた大臣、事務次官会議の追認機関としての内閣でなく、国民が選んだ代表が統治する国会内閣制の仕組みにしなければ』と菅は主張する」と。
一九九八年、政権構想委員会が、菅直人、古川元久らによって設置され、のちに加わった 松井孝治、藤末健三などが中心メンバーとなり、政治家が官僚を有効に活用する方法論を練り上げていった。
特に松井がキーマンで、『国家戦略局設置に必要な法令の準備も、松井を中心に選挙前にあらかた済んでいた』(民主党関係者)。この松井プランを携えて、民主党は政権交代に臨んだのである(以上敬称略)。
ボトムアップからトップダウンへ
政策立案のプロセスも一変する。前出の伊藤雄一郎氏は、
「これまでの政策立案は、『ボトムアップ』が基本だ。課長補佐クラスが考えた企画を課長が認めたら、局長、次官を経て、大臣に説明し、国会に法案として提出される。
大臣に上がってくるのは、省内や他省庁との調整を終えた『出来上がった』案件ばかりで、口を挟む余地はない。
大臣以下、省庁幹部が出席する『省議』もあるにはあるが、近年は有名無実化している。つまり大臣は役人の作った料理を国会で並べて見せるだけの『お飾り』でしかなかった。……
閣議で個別の省庁の案件に他省庁の大臣が建設的な意見を言うことはまずなかった。仮に言うとしても、それは自分の省庁の利益代弁者という有様だった。
まさに『省益あって国益なし』である。こうした省壁に遮られた縦割り行政にも風穴を開けようという狙いもあるだろう。この改革によって、官僚の仕事は情報の収集、政策の選択肢提示、決定事項の実行にとどまることになる」と記す(脚注8)。
新しい政権による改革案は、言ってみれば、まさに最近の普通の企業のように、次のような原則を徹底するというものである(図2)。
(a)企業統治(コーポレート・ガバナンス)の摘要
大臣以下の政治家が官僚を主導する「トップダウン」の政策決定、統制の一元化
(b)透明性 (トランスペアレンシー)
(c)情報公開(ディスクロージャー)
(d)説明責任(アカウンタビリティー)の徹底
この当たり前のことが、日本の針路を決める際に、この国において十分にはなされてこなかった。それならば、この時代、国民が行き詰まり感というか閉塞感に苛(さいな)まれ、この国自体が漂流し続けたとしてもムリはあるまい。
これまでも、国の総力を結集しなくてはならない時に、政治家、大臣たちは全体を見据えたりすることなく、ボトムアップで下から挙がってきた書類にハンコを押すだけだった。
旨く行っているときは良かった。しかし、長期にわたる戦争や、冷戦構造の崩壊、グローバル化した経済危機などには対応できなかった。勝利に導くことなど出来ないに決まっている。まさに、リーダーシップが欠如している。
中央集権から地方分権へ
もう一つ大事なのは「中央集権から地方分権へ」というキーワードである。これまでも、地方分権改革推進委員会という有識者の会合が持たれ、福田内閣に第一次勧告、麻生内閣に第二次勧告を提出した。
その委員長を務めている丹羽宇一郎氏(伊藤忠商事会長)は、前鳥取県知事の片山善博慶応義塾大学教授との対談で、地方分権の大きな狙いは、お上依存から脱却して自立の精神を国民に持ってもらい、国民が主役の地方政府を確立することだと述べている(脚注9)。
地方分権の「地方に自由を」というのがメインヴィジョンで、次のような原則を掲げている。
(a)近接性の原則:国民にもっとも近いところで権限と責任をもって地方自治を行う。
(b)補完性の原則(サブサイディアリティ):地方でできることはすべて地方で行い、地方にできないことだけを補完的に国が行う。
そうなると、国が行うことは、次の三つに絞られるだろう。
1)外交、防衛(国の存立のために必要な事項)
2)ナショナル・ミニマム確保(人権・生存権・労働権など)
3)全国的に統一して定めることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要な施策・事業など(図3)。
これまでの第一次勧告で、地方分権委員会は、都道府県から基礎自治体に対して、六十四の法律で三百五十九の事務権限を委譲せよと提言した。
また、第二次勧告では、本来、自治事務であるものは地方に委ね、約五百法律の約一万条項のうち、約四千条項について国の縛りを見直すことを提言した。
ところが、各官庁からはほとんどゼロ回答だった。
「サービス実施のために国の財源を地方へ移さなければならないからですね。それは自分たちの権限や仕事を失うことになってしまう(片山)。
もうお話になりません(笑)。しかし、千丈の堤も蟻の一穴から崩れるともいいますからね(丹羽)」
霞ヶ関は全くやる気がない。地方分権の推進は、我々国民と日本の国を食い物にしている最大の利権団体である霞ヶ関を解体することに他ならない。
しかし当の官僚からすると、自分で自分の首を締めることになる。ゼロ回答以外のものを引き出すこと自体、どだいムリなのである。
中央集権から地方分権への権限委譲は、ボトムアップからトップダウンへの政策決定システムの変革とともに、「官僚内閣制との訣別」を志す者たちにとって、譲れない戦いの最前線となる。(つづく)
脚注
8)伊藤雄一郎著「菅直人の一歩」KKベストセラーズ、2009年
9)丹羽宇一郎、片山善博、「地方分権こそ霞ヶ関解体の第一歩」新政権は人事権を握り、省益しか興味のない役人を追放せよ、文藝春秋、10月、2009年
(2947文字)
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2009年9月24日木曜日