さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
xiii’’’’’’’’’’’)番外編10 過激な隣国と日本(Ⅰ)お隣りの本音
隣家と境界線に関する争いを好んでする人はいない。国内なら法律があり裁判所もある。しかし国と国の間ではどうか。古来より、力ずくで奪ったり奪い返したりだった。モノを言うのは腕力。軍事力がなければ、不幸を嘆きつつ領土を盗られても泣き寝入りである。
ただ、日本人はそう思っていない。十九世紀までならいざ知らず今の日本で、境界線を巡って隣国と「もめ事」になろうとは!今回の尖閣諸島を巡る中国の一連の主張は、多くの人々にとって青天の霹靂にも等しい出来ごとだっただろう(脚注1)。
特に、明治政府時代の外交政策を拡張主義的だったと批判し、戦争責任を一身に背負って贖罪意識に染まり切った我々にとっては、驚くべきことだった。
また特に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して「安全と生存を保持」しようと決意した(脚注2)日本人にとっては、とうてい理解できなかった。つまり「悪いのは自分で隣国は善意である」ことを信じるよう条件づけられた私たちにとっては。
デモからわかる中国の本音
海上保安庁の巡視船に激突して来た中国漁船乗組員を悪質として逮捕拘留している間、中国政府は強硬に日本を非難し続けた。船長以外を釈放しても収まらず、宣戦布告じゃあるまいし駐中国大使が深夜に呼び出され脅された。
あげくの果てに、国連総会出席のためにニューヨークを訪れていた温家宝中国首相は、記者団に向かってまなじりを吊り上げ強い口調で言った。「即時無条件釈放を!」と。私たちは何故それほどヒステリックになれるのだろうといぶかった。
ところが、その翌日という最悪のタイミングで、日本は船長を釈放してしまった。圧力と恫喝に屈する国という印象を世界にまざまざと残した。
しかし、中国の強硬姿勢は収まるどころか、翌日には謝罪と賠償を日本に要求する始末(脚注3)。おまけに反日デモまで広がった。一部は暴徒化し日本車をひっくり返す、日系店舗に投石するなど先鋭化した。
私たちは戸惑う。「何故、日本だけが標的になるのか」「私たちは何か悪いことをしたのか」「善意のカタマリであるはずの隣国人がそこまで怒るのは、こちらにどんな落ち度があるのだろう」「向こうの言い分にどこまで耳を傾けるべきなのか」と。
あるいは身内で犯人探しをして政府を攻撃する。「弱腰だ」「三国干渉に屈した時に匹敵するほどの国辱だ」と。
デモ隊の掲げる横断幕について次のように解説する記事が目についた(脚注4)。紹介する。戸惑いを隠せない私たちに大事なことを教えてくれている。
図1 四川省成都の反日デモ(脚注5)
「また中国各地で反日デモが起きた。デモの主体は20歳代前半のネット右翼である。インターネットやショートメールの『釣魚島(尖閣諸島の中国名)を防衛せよ』というメッセージに興奮し、日系のスーパーや日本車に投石した。
暴れ回る若者たちは反日デモの本当の正体ではない。
四川省成都で起きたデモの写真(東京本社版は17日朝刊社会面)を見れば分かる。先頭に道幅いっぱいの横断幕が3列。横断幕を持つ約20人がデモの中核部隊だ。その後ろから続く烏合(うごう)の衆とは違う。統制のとれた集団である。
ネット画像で横断幕の文字が読める。
第1列は『国恥莫能忘 民族当自強』(国恥忘るなかれ。民族自強せよ)
第2列が『収回琉球 解放沖縄』(琉球を回復せよ。沖縄を解放せよ)
第3列が『抵制日貨!』(日本製品ボイコット!)
これ(この三つの横断幕の主張:引用者による補足)が(デモ隊の:引用者による補足)正体である。2番目の琉球沖縄回復は、蒋介石の怨霊(おんりょう)の声である。
第二次世界大戦の直後、蒋介石は、台湾だけでなく沖縄本島を含む琉球諸島も日本から取り返せると思った。
ところが、サンフランシスコ平和条約では日本の領土放棄は決まったが、米国は琉球を統治下に置き、台湾の帰属は『アンデターミンド(地位未定)』。蒋介石は激怒したが、逆らえなかった。
1972年、米国は沖縄を日本に返還する。台湾は『地位未定』なのに、中国の朝貢国だった琉球を日本に返還した。しかも台湾の一部である釣魚島まで
--そこで始まったのが『保釣』(釣魚島防衛)運動である。在米の台湾系中国人留学生による反米運動だった。たちまち香港、台湾の学生に広がった。これが現在まで続いている。
北京は蒋介石と同じ立場である。1971年、米中正常化のためにキッシンジャーと会談した周恩来は、蒋介石の言い分を借りて米国に台湾地位未定論の撤回を迫っている。(『周恩来キッシンジャー機密会談録』毛里和子、増田弘監訳、岩波書店)
周恩来は台湾の地位未定論に屈した蒋介石を『売国』と言った。デモのスローガンである『国恥』とは、これを指すのである。
さらに、地位未定論をあいまいにしたまま『主権棚上げ・共同開発』で日中平和友好条約を結んだトウ小平と、その系譜を引く『戦略的互恵関係』の胡錦濤国家主席だ。
今現在の『国恥』とは、東シナ海の日中共同ガス田開発だろう。共産党の保守派、軍部に蒋介石の怨霊が乗り移り、トウ小平路線にかみついている。本当に深刻な党内路線闘争である。(専門編集委員)」
これがまず気付かせてくれるのは、中華人民共和国が尖閣諸島はおろか沖縄に対しても本気だということである。「解放」の意味するところは、チベットや東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)と同じで、つまりは共産党人民解放軍による侵略と制圧である(脚注6)。
二つ目は、そういった将来を本気で心配している日本人がどれだけいるのかという危惧である(脚注7)。また、そういう心配を表明する人たちの意見が、即座に「右翼」「強硬派」というレッテルを貼られて、封殺されてしまうのではないかという怖れである。
あるいは、信じたくはないが、日本人の中に中国の言い分をまともに受け入れる人々がいる。彼らは、沖縄が日本の固有の領土であるという主張すら退ける。結果として、中国による「沖縄解放」を手引きすることになるのではないかという心配である。
反対に、隣国の強硬姿勢が「日本の極端なナショナリズムに火をつける」という心配にも気付かせてくれた。それが第三のおそれである。隣国に対して強く出る人々の意見の行き着く先はどこなのか。
ともかく、現在の国際秩序を軍事力に訴えてでも変えていこうという国が何とすぐ隣に居る。そういった事実を前にして、私たちはどのように備えていったら良いのだろう。(つづく)
脚注
1)歯舞、色丹、国後、択捉の四島からなる北方領土、島根県壱岐の島の西北一五七キロメートルにある竹島は、残念ながらそれぞれロシアと韓国に実行支配されている。日本人としては、武力ではなく話し合いによって、あるいは国際司法裁判所に訴えて、平和的に日本に返してもらおうと考えるだろう。ところが、日本が実行支配している尖閣諸島について隣国がどう思っているか。何故あそこまで強硬に出られるのか。今回は、それを私たちが知ってビックリ仰天したというところである。
2)日本国憲法前文。
3)巡視船の修理代は国民の税金によってまかなうことになるが、政府は中国に謝罪と賠償を一切要求しないらしい。非常に冷静で抑制された大人の対応だ。
4)http://mainichi.jp/select/opinion/kaneko/:金子秀敏、毎日新聞、木語:反日デモ、正体見えた。
5)中国四川省成都で繰り広げられた反日デモ。先頭約20人の中核部隊が持つ三つの横断幕、
『国恥莫能忘 民族当自強』
『収回琉球 解放沖縄』
『抵制日貨』が見える。
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/china/101017/chn1010171038001-p4.htm
6)あからさまに軍隊を使って攻める形はとらないだろう。ネット上には次のようなシナリオが喧伝されている。
「漁民に偽装した大勢の民兵が潜水艦などに乗って近づき、夜陰に乗じて尖閣諸島に上陸する。日本政府が躊躇している間に武装した民兵が中国の実行支配を現実化させる。日本の海上保安庁や警察権力が実力で排除しようにもできない状態を作り出す。自衛隊を派遣すると『民間人』保護の名目で義勇兵(実は中国共産党人民解放軍)が派遣され、武力衝突が起こる。」また、
「沖縄に沢山の中国人を送り込み中国人社会を拡大させる。日本国籍を取得したり沖縄地方議会に中国系議員を多く当選させたりする。中国人にとって住みやすく、もともと沖縄にいた人々が住みにくい環境をつくる。大量に移住させた人々に沖縄独立を叫ばせ、琉球王国が明や清に朝貢していた頃に戻させようとする(彼らの言う現状復帰)。時間はかかるかもしれないが、沖縄は日本からの独立を宣言し、やがて中国は沖縄を自国に編入する。」
これらのことは、あながち荒唐無稽な想像と片付けられない。そう思ってしまうほど中国の姿勢は強硬だった。
7)事実、「島の一つや二つくれてやれば良い」と平然と言ってのける日本人すらいる始末である。「尖閣諸島に自衛隊常駐を!」と主張する人々がいるのとは、全く好対照をなす。
(3742文字)
2010年11月7日日曜日