さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
〜 PEK’s à la carte & BookShelf 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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ii )「下流社会」
ⅱ)下流社会 —— 新たな階層の出現 ——
三浦 展(あつし)著
2005年9月 光文社新書 780円
経済的にであっても社会的にであっても、自分がどの階層に属しているかなど全く関心がなかった。意識もしていなかった。自分が他の人たちの階層意識を調査することなども絶対にないだろう。
でも、日本社会の現状や将来の行く末を考える上で、日本人の全体像を誰かが分析してくれなくては困る。かつて「一億総中流」だった日本人が今ではどう変化しているのか。それは何故なのか。これからどのように変わっていくのか。
自分の置かれた場所でどのように人々とつきあって行けばよいのか。どのようにして日常生活で行動し、どのような政治的意見を持つべきなのか。社会学、社会心理学だけにとどまらない、大きな影響を持つことが予想される。
世は格差社会なのだそうだ。平等、機会、教育、学力、コミュニケーション、ジェンダー、結婚、労働、生活、消費、経済、年収、就職、雇用、転職、リストラ、ニート、フリーター、貧困、ひきこもり、パラサイトシングル、メンタルヘルス、社会階層、多くのキーワードが躍る。
本著では、階級意識、階層意識の調査を通して消費動向、マーケティングを分析した結果が綴られている。その中で、「中流意識」の終焉と「下流社会」という新たな階層集団の出現を描いている。
著者がいう「下流」とは、食うや食わずの困窮生活をしている「下層」とは違う。「中流」に比べると何かが足りない、「中の下」のことである。
「では『下流』には何が足りないのか。それは意欲である。中流であることに対する意欲のない人、そして中流から降りる人、あるいは落ちる人、それが『下流』だ」と述べる。
筆者は「下流社会」の具体像を描くために、国民の生活の詳細、特に消費や生活のスタイルを知ることにした。階層意識別に消費行動やライフスタイルを調査した。そこから三十代を中心とする若い世代の「下流化」傾向が浮かび上がってきた。
階層意識は単に所得や資産だけでなく、学歴、職業によって規定される。親の所得、資産、学歴、職業なども反映した意識である。そればかりでなく、その人の性格、価値観、趣味、幸福感、家族像などとも深く関係しているという。
筆者によると「下流」とは、単に所得が低いことにとどまらない。次のように解説する。
「コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低い」「所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ」と。
これまでの日本社会は、全体として上昇気流に乗っていた。上をめざせば何か素晴らしいものがあると、誰もが期待していた。しかし、気がついて周りを見渡すと、みんながそこそこに豊かで、それが当たり前の世の中になった。
若者は、山の上に欲しいものなどなく、七合目にもたくさんのものが溢れていると感じ、苦労して頂上まで登ろうとしなくなった。努力しなくてもそこそこ生きられる。だらだら生きていても生きられる。
若者がこれから生きてゆく社会は、上昇気流に乗っているときとは明らかに違う。「極端にいえば、わずかのホリエモンと、大量のフリーター、失業者、無業者がいる」「社会全体が上昇をやめたら、上昇する意欲と能力を持つ者だけが上昇し、それがない者は下降してゆく」と。
「階層格差が広がっているという。所得格差が広がり、そのために学力格差が広がり、結果、階層格差が固定化し、流動性を失っている。あるいは『希望格差』も拡大している」という背景のもと、著者は「下流社会」という自身による造語を本書で紹介した。
そして、上昇志向か現状志向かを一つの軸とし、仕事志向か趣味(専業主婦)志向かをもう一つの軸として、男性と女性をそれぞれいくつかのグループに類型化している。
女性では、上昇志向と仕事志
向がともに高い「ミリオネーゼ
系」(脚注1)、上昇志向と専
業主婦志向が強い「お嫁系」、
現状志向と専業主婦志向が高い
「ギャル系」、現状志向と仕事
志向が目立つ「かまやつ女系」
(脚注2)、どれも中位な「普
通のOL系」の五類型をあげてい
る(上図)。
男性では、上昇志向と仕事志
向がともに強い「ヤングエグゼ
クティブ系」、上昇志向と趣味
志向を示す「ロハス系」(脚注
3)、現状志向と仕事志向が高
い「SPA!系」(脚注4)、現状
志向と趣味志向の強い「フリー
ター系」の四類型をあげている
(下図)。
それぞれの類型で、所得、学
力、階層が明らかに分かれてい
くことになるだろう。
女性では「ミリオネーゼ系」
が高学歴、高収入の男性と出会
う機会に恵まれ、経済的にも教
育的にも「中の上」の階層を次世代へと引き継ぐことになる。逆に「ギャル系」「フリーター系」は、格差が固定化する傾向が存在する。
「下流」の階層を特徴付けている意識は何か。筆者は、「自分らしさ」を求める傾向、「個性を尊重した家族」志向、「自己能力感」だとしている。次のように解説する。
「『自分らしさ』『自己実現』を求める者は、仕事においても自分らしく働こうとする。しかしそれで高収入を得ることは難しいので、低収入となる。よって生活水準が低下する。そういう悪いスパイラルにはまっているのではないか」と。
「個性を尊重した家族」については、団塊世代のうち階層意識が「中の上」の男女に多い家族像であったという。「いわゆる友達親子的なスタイルが、団塊世代の『上』から団塊ジュニア世代の『下』に伝播したのではないかと思われる」としている。
「自己能力感」とは、「自分は人よりすぐれたところがある」という意識だ。自己能力感のある生徒ほど学校外での学習時間が短い傾向にあり、高い学歴を求めず、現状志向的な価値観が強いのだという。
自分らしさ派は、人より自分はすぐれていると感じ、自分らしさという夢からいつまでも醒めることなく、人とのコミュニケーションを避け、社会への適応を拒む傾向が強い。その結果、未婚、子どもなし、非正規雇用のまま年をとり、階層意識も生活満足度も低い状態となるのだという。
学問的な仕事ではない。有意差検定も全くなされていない。著者もそれを認めている。仮説としての表現には注意深く「?」をつけている。だが、この本が提起している問題は深刻である。
このまま放置していて良いのか?パラサイトシングルの子を持つ親は、定年後もずっと働き続けなくてはならないと覚悟を決めているという。「下流社会」の一部の若者は、労働、税金納付、年金負担、医療保険負担などを通して社会に貢献することなく年をとってゆく。
逆に、生活保護を受けるようになったり、メンタルヘルスの課題を抱えることも多くて医療費がかかったり、税金を投入しなくてはいけない存在となってゆく。「下流社会」の子どもも学習の機会を奪われ、そこから抜け出せなくなってしまう。まさに「希望格差」である。
処方箋やいかに?著者は巻末にいくつか提案しているが、残念ながらまともに読めた内容ではない。今後どのような社会を実現してゆくのか、日本の政策決定に深く深く、重く重くのしかかわっている。
本著は八十万部以上も売れたという。だが、今後どうするのかという提言の本が登場し、それが百万部以上売れるようになってもらいたい。そう思うのは私だけだろうか。
脚注
1)「ミリオネーゼ系」:学力が高く、職業志向の強い女性、主に四年制大学を卒業した女性が、企業の中で総合職のキャリアウーマンとなり、男性と同じ賃金で働くようになった。こうして1000万円以上の年収を稼ぐ女性を「ミリオネーゼ」という。この語は、「Six Figure Women」の翻訳、「ミリオネーゼになりませんか?」を出したディスカバー21という出版社の造語。
2)「かまやつ女系」:専門学校などを出て、美容師、ペットトリマー、菓子職人などの資格職種、デザイナー、ミュージシャンなどのアーチスト系を目指すタイプ。一般的には「手に職系」、ファッション的には「ストリート系」と呼べるが、ファッションの特徴から、著者の三浦 展が「かまやつ女系」と名付けた。
3)「ロハス系」:いわずと知れた「Lifestyle of Health and Sustainability」(健康で持続可能な生活様式)、スローライフ志向のグループである。比較的高学歴、高所得だが、出世志向は弱い。ヤングエグゼクティブ系に対しては「教養がなくて暑苦しい奴」と内心軽蔑しているという。
4)「SPA!系」:雑誌「SPA!」の主要読者と思われる「中」から「下」にかけてのホワイトカラー系の男性。特に勤勉でも、仕事好きでもなく、才能もないが、フリーターになるようなタイプではなく、仕事をするしかないので仕事をしているというグループ。
(3634文字)
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2010年3月28日日曜日