さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
xiii’’’’)番外編3 個別政策か国の仕組みか(Ⅰ)何が変わるべきか
選挙があった。政権与党が惨敗。約七〇%の高投票率で、歴史上はじめての「選挙による政権交代」となった。リベラルが好きな人も嫌いな人も、保守が好きな人も嫌いな人も、驚きをもって見守ったに違いない。結果と今後についていろいろな方がいろいろ言っている。
政権交代という妖怪が跋扈している。
風は長くは続かない。
耳あたりの良い政策を並べるのは嫌いだ。
国民のご機嫌取り。
バラまきだ。
財源は?
出来っこない。
外交政策がバラバラで一致できないだろう。
官僚に丸め込まれるに決まっている。
どうせ馬脚を現す、
などなど。
またぞろ、お得意の減点主義、ケチ付け主義である。
変わらない?個別政策は?
その中でいちばん気になるのが、「どうせ変わらない」という声である。冷めていること、投票行動にまで至らないことが、何故か格好良かった時代もあった。投票しないくせに文句だけは言う。投票権を行使せずに、批判的な言葉を口にして、政治に無関心を貫く。
そうした無関心層よりはマシかもしれないが、選挙に行って投票しつつ「どうせ変わらない」とあきらめ顔の人も多い。期待しない。「どうせ政治なんてこんなもの」と。私たちは、いつからか「政治なんて誰がやっても同じ」と考えて来た。
しかし「待てよ」と考える。期待のないところに、熱意が生まれて続くはずはない。信頼のないところに、困難を乗り越える勇気が奮えるはずはない。現状を憂えて変革を願わないところに、地殻変動が起こるはずはない。我々の願い以上に、政治が良くなることはない。
日本の政治が貧困であると嘆くことは多い。ただ、もし貧困であるというのが本当なら、それは政治が豊かで驚きを抱く発想にあふれたものとなるようにと、私たち国民が願わないからかもしれない。
願うとおりになる。
実現させようとするなら、いつしか形になってゆく。
実現しないと思えば、何もかわらずにそのままに留まる。
ところで、今回地滑り的勝利を手にした政党の政策である。何に期待するかである。私たちは「どうせ変わらない」と言う反面、個別政策には結構注文を付ける。
高速道路の無料化、高校授業料の無料化、農家の個別所得保証制度、子育て支援に一人あたり月額二万六千円給付、などなど。個人的にも、個々の政策には支持しないものが多い。修正が必要と思う。
しかし、私は期待している。官僚が支配し、官僚が自分たちの利益を国益よりも優先する政治が終焉することを。官僚が甘い汁を吸い続ける政治から、官僚が真の公僕となる政治に変化することを。国民の生活や国益が優先され、国民が主役となった政治に変わることを。
表に出てくる個々の政策は、この国の仕組みのあり方の議論に比べたら、決して大きな問題ではない。日本の政治のあるべき姿はいかにあるべきかという骨組みの話の方が、遥かに大きく決定的な課題である。
国を滅ぼした軍人官僚
官僚が勝手気ままに言いたいことを主張し、やりたいことをやって来て、日本はどうなったか?本来はたすべきリーダーシップを、日本の指導者が果たせず、大きな意思決定ができずに何が起こったか?歴史が明らかに物語っている。かつてこの国は滅びたのである。
「軍国主義者が日本を滅ぼした」というのはウソである。私たちがはっきりと理解しなくてはならないことは、「日本を滅亡に追いやったのは官僚だった」という事実である。
明治時代後半から登場して来た官僚たちは、日本を誤った方向に追いやるのに決定的な役割りを演じた。陸軍省と海軍省の軍人たちである。南満州鉄道を守るために配属されていた関東軍の作戦参謀から統帥権を一手に握る東京の軍令部まで、軍人官僚たちである。
陸軍省と海軍省には、日本のエリート中のエリートが入省した。その彼らが天皇も内閣も無視して、満州事変(脚注1、2)やノモンハン事件(脚注3)という対外戦争を勝手に起こした。そのせいで日本は戦争の泥沼に引きずり込まれた。
たとえば、陸軍省参謀本部の辻政信少佐である。彼はノモンハン戦争を起こし、多くの日本兵を死なせた(図1a、b)。彼は、その責任を咎められることはなかった。それどころか、後に太平洋戦争も指揮して、さらにもっと多くの日本兵を死に至らしめた(脚注4)。
通常なら、ノモンハン事件を勝手に起こした時点で、辻少佐は軍法会議にかけられ死刑である。しかし、厳罰に処さなかった。そのために、無責任官僚がのさばって国民が引きずられた。
若手、中堅どころが勇ましい作戦をたてる。軍令部はそれに承認を与える。一部の部下が勝手な行動を起こす。それを軍令部があとから追認する。同様に、内閣も追認する。天皇も裁可を与える。
誰も、大きな視野を持たない。官僚の言うこととすることに反対しない。誰も、官僚が上げて来たことに「No!」を突きつけられない。真の国益を重視した決断ができない。リーダーシップが存在しない。(つづく)
脚注
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/満州事変
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件:1939年4月、関東軍司令官の名で「満ソ国境紛争処理要綱」という布告がなされた。これは、関東軍の作戦参謀となった辻政信が策定したものである。当時、国境線が明確に決定されていなかった地域が満州国とソ連との間に存在した。そこでの「現地司令官の自主的な国境線認定」が記されている。また、衝突が発生した際に、その時の兵力の多寡に関わらず、必勝を期すことも記されている。同年5月11日、外蒙古と満州国が共に領有を主張していたある地域において、外蒙古軍と満州国警備隊との小規模な衝突が発生した。関東軍は、要綱に従って直ちに部隊を増派し衝突が拡大した。外蒙古を実質植民地としていたソビエト連邦も、軍を紛争箇所に派遣した。関東軍司令部は紛争の拡大を決定し、ソ連支配下にある外蒙古の航空基地の空爆を計画した。これを察知した東京の参謀本部は電報で中止を指令した。しかし、辻はこの電報を握りつぶし、作戦続行を知らせる返電を行っている。この電報の決裁書では、課長、参謀長および軍司令官の欄に辻の印が押され、代理とサインされていた。参謀長および軍司令官には代理の規定が存在せず、辻の行動は明らかに陸軍刑法に抵触するものであった。軍法会議で死刑になってもおかしくないほどの重罪だった。憲兵隊は、民間人よりも、こうした軍人の軍律違反を罰するために存在していたにもかかわらず、辻の行動を黙認した。それもそうだろう。憲兵隊も官僚なのである。官僚は仲間の罪をかばい合うのである。官僚は自分たちに都合の悪い事件は、まったく摘発できないのである。日本軍は、このノモンハン事件で多くの犠牲者を出した。死ななくても良い多数の方々が亡くなった。ドイツから技術支援を受けていたソ連軍の機械化部隊にコテンパンにやっつけられたためではある。しかし、ノモンハン事件自体が、辻の無謀かつ勝手な行動によって引き起こされた対外戦争だったのであり、軍人官僚が日本を滅びに向かわせたという象徴的な出来事だった。
4)http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信
(3050文字)
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2009年9月4日金曜日