さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’)番外編8 教育が危ない(Ⅱ)ゆとり教育の功罪
学力が低下しているという議論
前述の苅谷氏は、二〇〇二年に発表した調査結果の中で、授業のタイプと学力の関係を分析している(脚注1、4)。
氏が分類したのは、いわゆる詰め込み教育として批判されていたのに似た「伝統型」「全力型」の授業と、変化への対応力や体験を重視した問題解決学習ならびに体験学習の割合が増えた「新学力観型」(脚注9)の授業、それらのどちらともつかない「あいまい型」の四種類である。
実施した調査は、新学力観と言われる学習指導要領の導入前後で学力を比較した形をとっている。その調査を踏まえて、氏は学力低下を次のように紹介している(脚注1、4)。
「一九八九年と二〇〇一年では、小中学生の学力は明らかに低下している。
塾に通っている子供と通っていない子供とでは、学力に差がみられる。
なお、通塾率はほとんど変化していない。
ただし、二〇〇一年に塾に通っている子供でも一九八九年の塾に通っていない子供に点数で負けている部分があり、塾に通っても学力低下をカバーしきれない部分がある」と。
「『伝統型』『全力型』では、通塾と非通塾の差は一〇点台に抑えられているのに対して、『新学力観型』『あいまい型』の授業では、通塾と非通塾者との得点差が二三~二六点となっていた。
ゆとり教育によって空いた時間は、勉強ではなく、テレビを見たり、テレビゲームで遊ぶことに費やされる傾向にある」と。
とはいえ、氏は学校が相当熱心に指導している学校においては、たとえ塾に通っていない子供でも、学力の低下を相当程度抑えることができるといった点も指摘している。
「そもそも学力とは何か」「総合学力を重視する教育形態にしたことによって、従来の知識偏重の学力は低下したかもしれないが、自分で考え、主体的に行動する力はついている」という「ゆとり教育」擁護派の考えもある。
そういった考えに対して、苅谷氏は異議を唱えている(脚注1、4)。
「基礎学力」と、「自分で考え、主体的に行動する能力」には相関がある。基礎学力が低い子供は「自分で考え、主体的に行動する能力」も低い、と。主体性があり問題解決力の高い子ほど基礎学力も高い、というのである。
ゆとり教育導入の経緯
従来の教育は詰め込み教育であるとして一九七〇年代に批判が始まり、時間と内容を縮小した「ゆとり教育」が提言された。一九八〇年代も、管理教育、受験戦争、校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれなど、学校教育に関連したとされる社会問題が相次いだ。
こうした背景のもと、一九九六年には中央教育審議会が答申を発表し、「ゆとり教育」をさらに加速させることにした。ゆとり教育の実施は、順を追って次のようにまとめられる(脚注8)。
表8 学習指導要領改訂と実施に関する年表
一九八〇年 新学習指導要領実施 教育のゆとり路線化
一九八九年 学習指導要領の全部改訂 新学力観の導入
一九九二年 新学習指導要領実施 教育のゆとり路線強化
九月より第四土曜日休業
一九九五年 四月より第二土曜日も休業
二〇〇二年 新学習指導要領実施 ゆとり教育の実質開始
学校完全週五日制の開始
しかし、前述のPISAショックなど(PISA2003とTIMSS2003)により学力低下が訴えられ(脚注6、8)、見直しが始まることになった。
二〇一一年 新学習指導要領案の実施 教育のゆとり路線からの脱却
小学一〜六年の合計授業時間数は、最も多かった時期より約二〇%、八〇〇時間近くも減少している。
一九八〇年に三〇〇時間近く減り、一九九二年に「新学力観」により生活科が導入されて理科と社会が大きく減り、二〇〇二年から完全学校週五日制となり一挙に五〇〇時間あまりも減った(表9)。
表9 戦後小学校における学習指導要領ごとの主要科目総授業時間数(1〜6年の合計)
実施年度/科目 国語 算数 理科 社会 生活 合計
1961〜1970年度 1603 1047 628 663 3941
1971〜1979年度 1603 1047 628 663 3941
1980〜1991年度 1532 1011 558 558 3659
1992〜2001年度 1601 1011 420 420 207 3659
2002〜2010年度 1377 869 350 345 207 3148
2011年度〜 1461 1011 405 365 207 3449
教科書の中身も質量ともに変化した。一九六一年に比べて二〇一〇年の教科書は平均して五十ページ以上、約二十%も薄くなっている(表10)。
表10 教科書のページ数の比較
1961年 2010年 減少ページ数 減少率
6年生用教科書 国語 288 248 40 14%
算数 272 204 68 25%
理科 196 148 48 24%
社会 240 184 56 23%
平均 249 196 53 21%
版型も昔のものがA5版、現行の教科書がB5版でひと回り大きい。しかしイラストや写真が非常に多く、文章量は格段に減っている。
中身もそら恐ろしくなるほど。国語では、文部科学省が決めた教育漢字(学習漢字)しか学習しない。
そのため、小学六年でも熟語の一部を平仮名にする「交ぜ書き」が横行している。「世界じゅう」「十二さい」「山おく」「つかれ切った」「赤んぼう」「えんが切れた」など。
知らなかったが、算数では電卓を使っていいことになっているらしい(脚注10)。どうりで計算力も根気も集中力も全くないオトナが増えるはずだ。
円周率も「概念としては3.14」「およそだと3」「手計算では3.1」「電卓では3.14」と、現場で混乱が起きるような事態が起こっている。どうしてだろう。学習指導要領を作る側の見識が問われる。そう言われても仕方がないほどだ。
理科も、ただただ自然現象を観察させるだけで、実験、仮説、検証という科学的な方法論を学ばせていない。社会も同様で、六年で学ぶ日本史は古代から現代まで実質五十〜六十ページしかない。
高校の生物の教科書は、印刷スペースの総面積で比較して、米国五五m2、英国三〇m2に対し、日本は極端に少ない十一m2で米国の五分の一しかない。
TIMSS2007では「学校外での時間の過ごし方」も調べている。日本の中学二年生では、家で宿題をする時間が一日一時間と四十八カ国の中で下から六番目と短く、テレビやビデオを見る時間が一日二・五時間と三ヶ国中最も長かった。
国語作文教育研究所所長の宮川俊彦氏が言う。「七〇年代以降、教育の大衆化が進み、さらに今はサービス業になり、消費者である子供に迎合した内容になってしまった。それが日本の教育レベルを落とした根本的な原因です」と(脚注11)。
ゆとり教育を巡る論争
学力低下の問題は、「確かに低下している」という主張と「いや、低下していない」という意見とが対立している。また「ゆとり教育」をやり玉に挙げる立場と擁護する側が鋭く対立している(脚注1、7)。
たとえば、主要国の授業時間数を調査し、日本の小中学校の現状を国際比較した報告がある(脚注12、図1〜2)。授業時間の減少により、主要国の中で日本は総授業時間が多いとは言えない。確かに、PISA、TIMSSの上位国である香港よりは少ないが、同じように上位国の韓国とは同程度らしい。
単純に、授業時間数とPISAランキングとを図にプロットした結果も公表している。一見して、総授業時間数とPISAランキングとは直接明らかな関係はない。そう見て取れる内容になっている(図3〜6)。
とくに「ゆとり教育」を擁護する立場から出されているのは、「何を学力とするか」「その学力をどのように評価するか」「それらが一定でない」「単純に『学力が低下した』と断定することはナイーブである」という主張である。
ただ、その対立の中でよく見られるのは不毛な水掛け論である。お互いに自分の主張に有利な調査結果を持ち出して論を組み立てる。不利な調査結果に対しては「調査の前提が異なっている」という批判を加える、というものだ。
日教組と反日教組側の対立も絡んでいるようで、けっこう深刻である。(つづく)
脚注
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/学力低下
4)苅谷剛彦著「調査報告『学力低下』の実態」岩波ブックレット、2002年
6)http://ja.wikipedia.org/wiki/PISA
7)http://ja.wikipedia.org/wiki/ゆとり教育
8)http://ja.wikipedia.org/wiki/国際数学・理科教育調査
9)新学力観:一九八九年に改訂され一九九二年に実施された「ゆとり路線」を強化した学習指導要領、http://ja.wikipedia.org/wiki/新学力観
10)算数での電卓使用:「IT時代に手計算は必要ない」とお偉いさんの誰かが言ったらしく、一九九二年より電卓導入が始まった。しかし、イギリスでは日本より前に小学校の算数に電卓を導入したが、子どもの計算力が瞬く間に低下し、すぐに使用をやめたそうである。
11)「円周率は『およそ3』山奥は『山おく』ほか、こんな軽薄な教科書では学力低下も当たり前」、SAPIO、小学館、2010年3月31日。
12)渡辺良「学校の授業時間に関する国際比較調査」国立教育政策研究所(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/005/gijiroku/03070801/005.pdf
(3988文字)
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2010年5月16日日曜日