さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅵ)非リアリスト(Ⅳ) 徹しきれないリアリズム
コトダマイズムの時代 vs リアリズムの時代
大正末期から昭和二十年まではコトダマに支配されていた。それ以外の時代はどうだったのだろう。平和を脅かす戦争や犯罪とか死に関わることを、日本人は歴史上どうとらえてきたか。井沢氏はコトダマをキーにして読み解いてゆく(脚注3)。
かつて天皇や皇族は武装していた。大化の改新などをみればハッキリわかる。中国の「律令制度」にはきちんと軍隊や戦争や犯罪を扱う部署があった。兵部省、刑部省と呼ばれるところで、そこにはちゃんと実体があった。
しかし日本に取り入れられた「律令制度」では、兵部省、刑部省はカタチだけになった。そのかわり令外の官(検非違使)が設けられ、律令の枠の外で都の治安を守る役割を担った。
戦さをなりわいにする人々を認知すると「実際に戦いを呼び込んでしまう」と信じられた。そこで天皇も貴族も武装しなくなった。正式な軍隊とか警察を法律の中で持つことはしなかった。
平安時代の貴族は戦さや死に関することを忌み嫌った。一切タッチしようとしなかった(脚注6)。「平安(時代)」をコトアゲすることにより「平和を呼び込む」よう願った。
検非違使では都に住む貴族の周辺の治安は守れたかもしれない。しかし平安時代とは名ばかりで都の正門である「羅生門」ですら荒れ果てていた(脚注7、8)。
都から離れた場所ではなおさら治安が守られていなかった。そこで必要に迫られて「武士」が起こった。特に東国(関東)や西国(瀬戸内海地方)などでは武士が有力なグループに統一されていった。源氏と平家である。
武士による日本の支配は鎌倉幕府が開かれる過程の中ではじめて歴史に登場する。それ以来、天皇および貴族が象徴的に政(まつりごと)を行なうシステムと武士による直接的な支配が見事に分業されていった。
その分業による二重支配が日本史に登場した。爾来七〇〇年近くも大きな矛盾なく機能した。井沢氏は、次のように記す。
「日本の歴史は、この平安貴族と鎌倉武士、平安コトダマイズムと鎌倉リアリズムの対立の歴史であることが、私には分かってきた。
大ざっぱに言えば、平安、室町、江戸、がコトダマイズムの時代、鎌倉、安土桃山(戦国)、明治がリアリズムの時代である。つまり、この二大潮流は交互に日本の歴史を支配している。日本人は本質的には、コトダマを信奉するコトダマイストである。
鎌倉時代や戦国時代、あるいは幕末、明治のように、本当に軍隊というものの存在が必要だった時代には、日本人は一時リアリズムというものに目覚めるのだが、喉元過ぎれば熱さ忘れるのたとえどおり、すぐにコトダマの影響が復活してくる」と。
平和を祈るだけという、呪術的な方法で政(まつりごと)を行なう平安コトダマイズム。武力による抑止力で治安を維持する鎌倉リアリズム。この二つの対立が日本の歴史だと言う。
日本の国防上、元寇が鎌倉リアリズムの時代であったことは幸いだった。日本の国防上だけから言うと、豊臣秀吉や徳川家康が宣教師を追い出し鎖国政策をとったのは、リアリズムに徹した選択だった(脚注9)。
さらに明治時代の薩長政治は、富国強兵と殖産興業で、帝国主義的時代をリアリスティックに生き抜こうとした時代だった。
この三つの例は、強力なリーダーシップのもとでリアリズムに目覚めた時代だった。広い視野から見ると、次のように言えるかもしれない。「そのリアリズムの時代にあって、日本人は独立を守るという大きな果実を享受できていたのだ」と(脚注10)。
その反面、昭和初期から昭和二十年までは、コトダマの恐ろしい支配を受けながら欧米のリアリズムと戦い、ひたすら滅亡への道を突き進んでいった時代だった。
コトダマ支配下の日本人は、議論が下手で、考えるのがあまり得意ではなく、合意を形成するのもあまりうまくなく、目標を達成するために冷徹になれるほうではないようだ。たびたび思考停止を起こし、比較文化学的発想も全くと言って良いほどできない。
現代はどうだろう。リアリズムに徹している時代だろうか。それとも依然としてコトダマに支配されている時代だろうか。(了)
(本論「非リアリスト」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
3)井沢元彦「言霊」1992年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
6)井沢元彦「穢れと茶碗」1994年、祥伝社ノンブック、祥伝社。ケガレを嫌う考えからも、戦さや刑事に関わるすべてのことを遠ざけた。
7)芥川龍之介「羅生門」1915年、帝国文学;http://www.aozora.gr.jp、1997年、青空文庫。
8)黒沢 明「羅生門」1950年、大映;2008年、角川映画。本作品は7)と同タイトルだが、芥川龍之介の短編小説「薮の中」(1922年)を原作としている。
9)http://ja.wikipedia.org/wiki/トルデシリャス:ポルトガル人が来航しはじめた当時は戦国時代末期で、世界はポルトガルとスペインによって分割されようとしていた。日本はイベリヤ半島の国々による植民地争奪戦争の最前線となっていたのである。
10)もちろん、豊臣秀吉の「唐入り」や日清・日露戦争においては他国の独立を犠牲にしようとした。特に後者では、そうまでして自国の独立を確保しようとした。食うか食われるかの帝国主義の時代だったが、リアリズムに目覚めた時代には負の側面も存在した。
(2285文字)
2009年3月3日火曜日