さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’)番外編4 壮大な実験(Ⅲ)政策決定システムの転換
日本国中に漂う行き詰まり感、閉塞感の一因は、政治家がリーダーシップを発揮できない官僚支配の呪縛にある。そこから脱出する道筋について考えている。本稿はその最終回。
予想される困難
前出の伊藤雄一郎氏(新政権ブレーンの一人、元日本経済新聞記者)は、困難を予想する(脚注10)。
「たしかに国家戦略局を新設するにしても、国会議員や民間人有識者を登用するのはいいが、一方で現場で法案を書き、情報を把握している官僚がいないことには始まらない側面もある。
しかし、彼らの多くは、出身省庁の顔色を窺いつつ、官邸の考え方を持ち帰る、ある種の『スパイ』にもなり得る。そのため、民主党は『志ある官僚に、片道切符覚悟できてほしい』と呼びかけるだろう。
しかし『それは無理がある』と総務省のある官僚は言う。『われわれだって、守るべき妻子と生活がある。次の仕事を斡旋してくれるなら別だが、いつ倒れるかわからない政権にそう簡単に人生をゆだねるわけにはいかない』
実際、安倍内閣でも官邸スタッフの公募を霞ヶ関に呼びかけたが、蓋を開ければ各省庁が選んだ『ひも付き自薦者』ばかりで、唯一の例外が財務省出身の高橋洋一だった、という過去もある。
このように、民主党の霞ヶ関改革案に対して官僚たちは総じて冷ややかで、『できるはずがない』『お手並み拝見』との態度が大半だ。
『政治家が百人役所に入ってきても、どうってことはない。今までも大臣以下、六十五人の自公議員がいたのに、ちっとも機能していない』(経産省)
『事務次官会議は各省庁間で調整を終えた案件に印鑑を押すだけなので、廃止しても何も変わらない』(環境省)
『そもそも首相官邸に(国家戦略局スタッフの)三十人も入る部屋がない(笑)』(総務省)」と。
毎日新聞特別編集委員の岸井成格(しげただ)氏も、難しさを予感している。
「早くも『政権交代とはこういうことか』と実感させられる機会があった。……四月からBS・TBSでスタートした若手の国会議員や知事、市長らの討論番組『われらの時代』でも、元官僚出身の与野党議員、首長から『脱・官僚』をめぐって率直な意見が相次いだ。
こうした議論を通じて浮かび上がってきたのは、『官僚主導』を『政治主導』に、とりわけ『首相官邸主導』に転換するには『制度、法律を変えない限りムリだ』ということ。『首相や大臣の指示には”面従腹背”、制度、法律をタテにいくらでも拒否できる』という」
そして、面従腹背を許さないために、内閣法、国会法、各省庁設置法などに“横グシ”を刺す必要があるという。
「『政治主導確保法』または『政治主導貫徹法』(いずれも仮称)などが必要になりそうだ」と予測する(脚注11)。
人事権行使による官僚制御
前述した丹羽氏と片山氏の対談で、人事権を握りそれを実際に行使することにより、霞ヶ関の解体は実行に移せると、片山氏は述べている。
「役人ほど甘い仕事はないと痛感しますね。権限、権益は持っているのに、責任は取らなくていい。役人の人事や給与、昇進の問題とセットで考えなければならない。
官僚集団は、改革を骨抜きにしようといつも虎視眈々としているのです。では、どうしたらいいか。私は、人事権を政治が行使すれば官の改革はそれほど難しいことでないと考えています。
公務員を選定、罷免することは、国民固有の権利です。これは憲法に明記されています。だから、国民の代表である政治家、国会で首班指名された総理が率いる内閣が人事権を持っていることになります。しかし、各省の大臣は今までのところ、まったく行使できていない。
各省の人事は、官僚ないしそのOBの意志に従って、自給自足的に行われています。だから、内閣の方針として地方分権を進めるといったところで、官僚が足を引っ張るような真似をしても、政治家が人事権を行使しないからちっとも怖くない。
自分たちの集団の利益を守るために行動していれば、組織の中で是とされて、出世していくのが官僚の世界です。
官僚改革には、組織機構の改革とか省庁再編の問題もありますが、まず政治家が人事権を行使すること。これがもっとも効果的だと思います」と(脚注9)。
それに応えて、丹羽氏も、地方分権との絡みで次のように締めくくっている。
「霞ヶ関が解体すれば、とうぜん国会議員の数も減るでしょう。ビルはいまの半分で済むかもしれませんね(笑)。その分、地方に人が移り、より充実したサービスを受けられる。
地方のほうが住民の公共サービスに尽くすことができ、やり甲斐があるという時代がきっと来るはずです。そのためには千丈の堤に蟻の一穴を開けること。その一穴が頑迷固陋(がんめいころう)の霞ヶ関を崩すスタートになると信じています」と(脚注9)。
さすが正論である。是非、やっていただきたいと思う。自分のため、出身省庁のためではなく、国のために奉仕するのが公務員の務めなのだから、それに抵抗する人は去ってもらえば良い。それだけだ。
対談のサブタイトル通り、「新政権は人事権を握り、省益しか興味のない役人を追放せよ」である。国民の負託を受けた新政権が、果たしてそこまで踏み込んだ「改革の断行」が可能か。まさに「やる気」が試されている(図4〜5)。
壮大な実験
岸川成格氏は言う。「維新以来、敗戦でも変わらなかった『中央集権』と『中央官庁(霞ヶ関)主導』の政治・経済システム、とりわけ政策決定システムの転換が求められてきたように思う。
しかし、このシステムは近代・現代日本の統治機構の基本であり『成功モデル』でもあっただけに、その転換は容易ではないだろう。
それだけに鳩山内閣も、惨敗から再建を目指す自民党にとっても、この新しい国づくりの気概と覚悟が試され続けることになるはずだ」と(脚注11)。
伊藤雄一郎氏も、次のようにまとめる。
「それでも三十代の若手官僚の一部には、
『改革はチャンスでもある』(国交省)
『一緒になって汗をかき、苦労を共にしてくれるなら本気でついてく』(経産省)
と期待感も広がりつつある。そうした少数の革新官僚を巻き込みつつ、当面は手探りで進んでいくしかない。
『一度やってみろ』と国民は民主党に託したのだ。
それに応えて成功させるためにも、少なくとも各省庁に送り込む百人は、任期中まったく異動させないくらいの覚悟が求められる。功名心にはやる議員から突き上げを食らって、大臣ポストのたらい回しを行うようでは、官僚に足元を見透かされるのは間違いない」
「いずれにせよ……霞ヶ関への宣戦布告はなされた。時代の閉塞感、不況のストレス、有権者の政治的成熟、自民党への嫌悪感などが民主党を後押ししている。明治以来、脈々と受け継がれてきた官僚内閣制を本当に変えられるか」
「明治維新は尊王攘夷運動が原動力になったが、徳川幕府を倒したとたん、新政府はそんなことは忘れてしまったかのように、開国を進めた。しがらみや前例のないことは不安定な分、最初に手がけた者が基準をつくれる。
壮大な実験の連続になるだろう。明治維新のとき薩長中心の新政府は、旧幕臣である勝海舟や榎本武揚さえも大臣に取り立てた。それくらいの懐の深さを見せ、抵抗を乗り越えて官僚をとりこめるか」と(脚注10)。
マスコミには、「不安」「戸惑い」「手探り」との言葉があふれ、特に外交では「信頼を損ねる」「日米同盟を揺るがすな」「基本政策の継続を」と、国民の不安を煽り、新政権の手足を縛ろうとするかのごとき表現が踊る。
正論なら真摯に耳を傾けるべきだが、それ以外なら雑音として扱って構わないと思う。正論として考慮に入れるべきものの原則は次の通りである。
統治原則の徹底(コーポレート・ガバナンス)、透明性、情報公開、説明責任という普通の会社が普通にやっているような当然のことを、当たり前に行うことに関する指摘。
近接性の原則、補完性の原則、ナショナル・ミニマムの原則という中央と地方の関係性の構築を行って行くことに関する指摘。
外交と経済に関しては、別の項目にゆずる(脚注12、13)。
「トップダウン方式の政策決定」「地方への権限委譲」を誰が望んだのか。他の誰でもない、この国の主権者たる「国民」が選挙によって新政権に託した。
「壮大な実験」となる「霞ヶ関との戦い」に、官僚の抵抗を抑えて勝利できるかどうか。その戦いに勝つための力の源泉は、国民が新政権を支えているという事実である。(了)
脚注
9)丹羽宇一郎、片山善博、「地方分権こそ霞ヶ関解体の第一歩」新政権は人事権を握り、省益しか興味のない役人を追放せよ、文藝春秋、10月、2009年
10)伊藤雄一郎、「『脱官僚』鍵は国家戦略局」、「政府へ百人の政治家を」「予算編成は官邸で」果たして官僚支配を打ち破れるか、文藝春秋、10月、2009年
11)岸井成格、「鳩山内閣 官僚の面従腹背を許すな」毎日新聞、2009年9月22日
(3849文字)
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2009年9月25日金曜日