さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’)番外編4 壮大な実験(Ⅰ)キャリア公務員制度の功罪
選挙結果を受けての、新内閣の誕生である。彼らに取り組んでもらいたいのは、霞ヶ関の解体、明治以来の官僚内閣制改革である。
官僚内閣制から本来あるべき政党内閣制に移すことは、我々国民と日本の国を食い物にしている最大の利権団体である霞ヶ関を解体することに他ならない。誰もやったことのない、何年もかかる「壮大な実験」となる。
日本を滅亡させる官僚中心主義
かつて国を滅ぼしたのは、どこかの国が指摘するとおり「一部の軍国主義者」だったのか。日本の国の舵取りがうまくいかなかった原因は何だったのか。
答えは、軍人官僚の暴走と、その官僚を罰することもコントロールすることもできない政治家のリーダーシップのなさが原因だった。メディアも国民も、軍人官僚たちに心から協力してしまった。
たとえば、一九二八年の張作霖爆殺事件においては、河本大作大佐らが暴走。時の田中義一首相は、彼らに責任を取らせることに失敗している(脚注1)。
たとえば、一九三一年の満州事変においては、石原莞爾(いしはらかんじ)、板垣征四郎(いたがきせいしろう)、土肥原賢二(どいはらけんじ)、朝鮮軍の林中将らが暴走した。若槻禮次郎(わかつきれいじろう)首相と幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相は止められなかった(脚注2)。
たとえば、一九三九年のノモンハン事件では、辻政信少佐の暴走により多くの日本人が犠牲になったが、上司も憲兵隊も彼の責任を追及せず見逃している(脚注3、4)。こうした悪い官僚を罰することができない日本の政策決定システム、そこに何故憤りをぶつけないのか、不思議なくらいだと、前回に述べた(脚注5)。
日本では、責任をとるリーダーが政策を決定している、というわけではない。リーダーが全体を見渡して日本の政策を決定している、というわけでもない。
責任をとる必要のない官僚が、所属省庁の利益を代表する形で政策立案をし、政治家にハンコを押させている。そういった仕組みが、明治中葉以来、現在までも続いている。
総理大臣などは誰がなっても同じ。どこの政党に投票してもどうせ変わらない。政治に期待してもムダ。そういう空気がず〜っと続いていた。
官僚が政治を動かすシステムは、これからも変えようがないのだろうか。その疑問に対する答えは「変えなければならない」「普通の会社のようにすべきだ」というものだった(脚注5)。
普通の会社のようにしていくことは、政策立案、決定のシステムを変える、つまり「国の仕組みを変える」ことである。個々の政策よりも、国の仕組みを変える方が遥かに大事である、と述べた。
ただ、それがどれほど大変か、どれくらいの一般国民が承知しているだろう。今回の番外編では、官僚内閣制改革の試みが「壮大な実験」になるということについて論じる。
巨大な官僚組織
官僚組織は巨大である。国家公務員は総数約六十五万人。自衛隊員などの特別職を除いた一般職だけでも、
財務省と国税庁 六・七万人
厚労省と社保庁 五・三万人
農水省 二・一万人
国交省と海上保安庁 五・五万人など、約三十五万人にも及ぶ(脚注6)。
もっとも、他の国に比べてとりたてて公務員の総数が多いわけではないことは確かではあるが(図1)。
その官僚組織を牛耳るのが、わずか一万五千人ほどのキャリア官僚だ。
キャリア公務員制度とは、正式な名称ではない。いわゆるキャリア制度は、現在日本政府で運用されている「高級官僚とその候補生の登用、昇進のシステム」である(脚注7)。
採用時の試験区分によって選抜された幹部候補グループは「キャリア」と呼ばれる。キャリアは、その他の職員「ノンキャリア」と区別して一律に人事管理が行われる。より早いスピードで昇進し、高級官僚ポストをほぼ独占する。
一般的には国家I種合格者全体を指すことが多い。狭義ではI種合格者の中でも本省(内局)に採用された者のみを特にキャリアとみなし、外局や地方支分部局で採用された者はこれに含まない。
ほぼ全員が本省課長クラスまで横並びで昇進する。その後、熾烈な出世競争をくぐり抜けて、脱落した者は省庁の地方支分部局、地方公共団体、外郭団体などの幹部職員として出向する。または、民間企業に再就職あるいは政治家に転身する。
一部は、本省局長クラス以上の高級官僚にまで昇進する。一般に、同期入省又は後年入省の事務次官が誕生するまでに、同年次のキャリア組は退官する。これらの慣行から生じるのがいわゆる「天下り」である。「天下り」はキャリア制度の一環を成している。
「制度」とは呼ばれるものの、現行のキャリア制度について法的根拠は存在せず、全くの慣行として事実上の運用がなされている。
キャリア公務員制度の歴史と功罪
キャリア制度(脚注7)とは、一八八八年(明治二十一年)、ドイツの例を参考にしてスタートした公務員採用制度に起源をもつ。一八九四年(明治二十七年)に、高等文官試験と呼ばれる制度が誕生した。今のキャリア採用制度と同様な試験である。
高等文官試験は高等官と呼ばれた。他の官吏(判任官など)とは、勅令によって厳格に区別された。現在のキャリアと比べても、極めて速いスピードで昇進した。
戦後、高等文官試験は名前を変え、国家上級を経て国家I種となった。採用制度と昇進制度は殆ど変化していない。戦後は制度上廃止された高等官に代わり、「キャリア」の語が俗称として定着した。
明治以来の高等文官制度、及び戦後のキャリア制度の長所として考えられる点は次の通りである。
(1)世襲や門閥、藩閥による高級官僚登用を防いだ。
(2)職員間の過当競争を回避した。
(3)日本の近代国家化・発展に大きな役割を果たした。
逆に短所として批判されるのは次の通り。
(1)官僚の社会経験の乏しさ
(2)出身校の偏り
(3)政府や日本全体のことより所属省庁の利益(省益)を優先させる傾向が強い
(4)「天下り」「渡り」を通し補助金付きで外郭団体などに再就職し
(5)自分たちにとって都合の良いシステムを構築している
現在、改革の必要が謳われている。案として挙げられている主なものは次の通り。
(1)II種・III種等採用職員の幹部職員への登用に向けた取り組み(平成十一年)
(2)現行のキャリア制度の廃止と新たな採用試験の導入(二〇一二年を予定)
(3)中央省庁の幹部人事を一元管理する「内閣人事局」新設(二〇一〇年四月を予定)
(4)省益にとらわれない幹部公務員の育成
(5)ノンキャリア職員登用の制度化
(6)民間同様の「総合職」「一般職」「専門職」区分の導入
ただ、それらの効果ははなはだ疑わしいと考えられている。
迫られる改革
国の指針を正しく立て直すために、いちど過去の成功体験を捨てて大胆な改革を行なってゆかなければならない。国益や国民の利益より省益を第一に考える官僚は今の日本に必要なのか?このままで良いのか?
組織の利益を二の次にできるよう、選ばれた政治家が責任をもってリーダーシップを発揮できるシステムに組み替えていったほうが良いだろう。(つづく)
脚注
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/張作霖爆殺事件
2)http://ja.wikipedia.org/wiki/満州事変
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/ノモンハン事件
4)http://ja.wikipedia.org/wiki/辻政信
6)http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1014022380
7)http://ja.wikipedia.org/wiki/キャリア(国家公務員)
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2009年9月23日水曜日