さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’)ピースメーカー(番外編) 歴史の逆説(Ⅰ)信長の大掃除
比叡山の焼討ちは、とても酷(ひど)いものだった。皆殺しだった。『信長公記(しんちょうこうき)』(脚注1)によると、次の通りである。
「霊仏、霊社、僧坊、経巻一宇も残さず、一時にうんかのごとく焼き払い、灰燼の地となるこそ哀れなれ」「数千の屍算を乱し」「目も当てられぬ有様なり」と書かれていたほどである。徹底していた。
一向宗徒に対しても、比叡山に負けず劣らずであっただろう。そう信じられている。同じ『信長公記』には、「男女二万ばかり、幾重も柵をつけとりこめおき」「四方より火をつけ焼き殺し」「生捕りと誅せられたる分、合わせて三、四万にもおよぶべく」とある。
これらを根拠として、人々は織田信長の残虐性を言い募る。正しく説得力があるように思える。しかし、実は別の事実を見落としている。意識的にか無意識のうちに。
当時の比叡山や本願寺派(一向宗)は、先鋭な戦闘集団だった。武力で自分たちの権益を守り、それを脅かす信長を「仏敵」として殲滅しようと戦いを仕掛けた。前稿で述べた通りである(脚注2)。「神仏に楯突くとは!」と、力で信長をねじ伏せようとした。
非常に残念なことだが、当時の戦闘においては、敵方を女子どもも含めて殲滅することは普通だった。信長でなくてもやっていた(脚注3)。信長の残虐性を語る時、もし意図的にこれらの事実を一緒に述べないとしたならば、それは一方的で不公平な言い分である。
残虐性と言っても、中国における実体を見ると、信長ら日本人リーダーの残虐性は比較にならないほどスケールが小さい(脚注4、5)。
とはいえ、織田信長の残虐性を十分に認めた上で、塩野七生氏は次のように述べる(脚注6)。
「しかし、このときをもって、日本人は宗教に免疫になったのである。いや、とかく守備範囲の外にまで口を出したがるたぐいの宗教には、免疫になったと言うべきかもしれない。
キリスト教徒だって、信長の存命中はおとなしかったから仲良くしてもらえたので、他の布教国で行っていたようなことを日本でもやりはじめたら、とたんに信長から『焼打ち』にされていたであろう。
とくに、日本への布教の主力は、イエズス会という、ヨーロッパでさえ追放せざるをえなかった国があったほどの、『悪名』高き戦闘集団であった」と。
また、次のように続ける。「不思議にも、非宗教的とされている日本が、他のどの宗教的なる国よりも、イエス・キリストの次の言葉を実践しているのである。
『カエサルのものはカエサルに、神のものは神に』
これも、四百年の昔に、大掃除をしてくれた信長のおかげである。あれで、殺しまくられたほうも頭を冷やし、殺しまくったほうも、怖れから免疫になれたのだ。そして、その後ともかくも四百年の間、無意識にしろ、この傾向は固まる一方だったのである」と。(つづく)
脚注
1)http://ja.wikipedia.org/wiki/信長公記
3)http://ja.wikipedia.org/wiki/織田信長
4)石 平「中国大虐殺史―なぜ中国人は人殺しが好きなのか」2007年、ビジネス社。
5)典型的な例を挙げよう。紀元前二〇〇年代の中国のことである。秦を含む七カ国が並立していた戦国時代。秦の始皇帝の曾祖父、秦の昭王は、中国全土の半分を武力で奪取し、統一の基礎を作った。その時の相手の軍隊に対する大量殺戮は、実にヒドいものだった。その最大のものは、趙という敵対国の主力部隊四十五万人を全滅させた紀元前二六〇年の「長平の戦い」だった。戦闘中に命を落としたのはわずか?五万人に過ぎなかった。残り四十万人は、すべて秦に降伏してから穴埋めにして殺されてしまった(長平降卒坑殺事件)。昭王から始皇帝まで、天下統一にかかった四十数年間で、百三十数万人の敵兵が殺された。当時の中国総人口の五%である。
その他、焚書坑儒で有名なように、四六〇名の儒学者が穴埋めにされた。長平降卒坑殺事件や焚書坑儒という漢字でお気づきのように、中国で「坑」という字は特別な意味を持っている。穴埋めにするという立派な動詞として使われている。この穴埋めは、始皇帝の専売特許ではない。中国の歴代王朝が引き継いだ残酷極まりない伝統である。中国では至る所で、この「坑」の跡が見つかる。
ともあれ、こうした中国における虐殺のスケールに比べると、信長のやったことはとても虐殺とは呼べない、と石 平氏は記す。
余談だが、中国の人々は、自分たちの世界で当たり前だった残酷な「坑」を、十五年戦争当時の日本帝国陸軍がやらないはずがないと考える。日本人は鬼の子なのである。残酷に違いない。それならば、歴代王朝暴君がやった残酷な「坑」を、日本軍も絶対に行なったはずである、と。
新たな「坑」の跡が見つかると、よく調べもせずに日本軍によるものだと断定する。良心的な日本人旅行者ほど、中国人ガイドに「坑」の跡地に連れて行かれ、その静かだが力のこもった説明に、深く頭を垂れて反省する。また、南京では、日本軍により三十万人くらいの中国人が虐殺されていてくれなければ、日本軍の残虐さを宣伝できないのである。
6)塩野七生「男の肖像」春秋文庫、1992年、文藝春秋。
(2242文字)
2009年8月9日日曜日