さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅵ)非リアリスト(Ⅲ) 日米未来戦
日米未来戦ブーム
「中国における権益問題でアメリカと対立した日本政府は、内政に対する国民の不満をそらす意図もあって、対米開戦を決意する。
開戦当初、日本はアメリカより海軍力においてやや優位にあり、その優位を維持し戦局を有利に展開しようと、海軍はフィリピンに奇襲攻撃をかけマニラを占領し、西太平洋の制海権を握る。
しかし、生産力に優るアメリカが海上封鎖による持久戦法をとり、中ソ両国も反日に転じ、戦局は逆転する。そして艦隊主力をもって行われたヤップ島沖海戦でも日本は敗北し、アメリカはグァム島など南洋の島々を次々に占領し、日本側守備隊は全滅する。さらにマニラも奪い返される。
この間、ソビエトは樺太に侵攻、これを占領し、中国軍は南満州を支配下におく。ついに内閣は総辞職するなか、アメリカの爆撃機が東京上空に来襲し、爆弾を投下する。ここにいたって日本は、アメリカ側の講和勧告を受諾し、戦争は終結する」(脚注3、4、5)
読んで「オヤッ?」と思われた方は歴史をちゃんと知っている人だ。史実と違う。その通り。実は、これは太平洋戦争のシミュレーションである。H.C. バイウォーターというイギリスの軍事評論家によって「一九二四年」に書かれた。
その年は大正十三年、第一次世界大戦が終わって数年しか経っていない頃であり、大恐慌も満州事変もまだで、真珠湾攻撃の何と十七年前に書かれた。幣原喜重郎外相の登場で全方位外交が展開されていた「軍縮」の時代であった。
バイウォーターの予測が大筋で間違いなかったことは、歴史が証明している。井沢氏はバイウォーターの太平洋戦争を紹介し、当時の日本人がいかにコトダマに支配された行動をとっていたか明らかにしている。
当時、この予測は日本に全く紹介されなかったか?実際はそうではなく「ただちに数種の翻訳が出版され、ベストセラーになった。ということは多くの国民・軍関係者にも読まれた」と思われる。
しかしバイウォーターの予測はまともには研究されず、予測が予測として受け取られなかった。逆に「朝野をあげての反発」が巻き起こった。
何故か。言うまでもなく日本がコトダマの支配する世界だったからである。「かく言えばかくなる」のがコトダマ世界である。従って科学的な予測でも、正確な情報や資料でも、それに基づいた意見でも、すべて「そうなることを望んでいる」と解釈される。
バイウォーターは「日本の敗北を望んだ」「屈辱的講和を望んでいる」と受け取られた。そう受け取られたからこそ、朝野をあげての反発が起こった。
その反発の中では、冷静な検討などありえない。うっかり「バイウォーターの予測は検討に値します」などと言うと、非国民にされただろう。まともには取り扱われない。事実、昭和初期に「日米未来戦ブーム」が起こったようだ。
「軍国少年が接した、これに関する小説類や展覧会(当時デパートなどでよく催された)には、ほとんどがこのバイウォーター予測に対する反発がある。それにデパートなどが海軍省後援で展覧会を開く場合、『日本が負ける』という結論になるものをやるはずがない。
それゆえ『公平な予測』ではなく『誤った予断を与える情報』になってしまい、それによって青少年が『洗脳』されるというとんでもない結果になって」しまったという。
当時「朝野をあげての反発」が起こった理由を別の角度から言おう。それは、バイウォーター氏が予測した結論が気に食わなかったからである。彼の結論は「日本はアメリカに負ける。屈辱的な講和を強いられる」というものだった。井沢氏は次のように続ける。
「コトダマの支配下にある国では、『かく予想すればかくなる』ことになってしまう。そういう予測は頭から否定しなければならなくなる。それが正確なデータに基づいた妥当な予測であっても、結論が日本にとってマイナスならば、頭から否定されることになる。
そうなると、その予測の基礎になっている正確なデータも、『嘘』か『誇張』か『事実だが無視してもいい些細なこと』としなければ辻褄が合わなくなる。
(中略)『アメリカの物力は無尽蔵』という事実に対し、『そんなことはない』とか『それほどのことはない』とか『確かに物力は凄いが、決め手は精神力だ』といった議論(?)にすりかえられてしまうのである」と。
こう見てくると、コトダマに支配されていたのは、昭和六年から二十年にかけての十五年戦争時代だけではなかったことがわかる。コトダマイズムは「マイナスの予測」を受け付けなかったのである。
日中戦争が本格化して米英との対決が避けられなくなったころ、そして対米戦争に突入したあとのどの時点でも、「この戦争は負けるから早く終結させた方が良い」とは誰一人として言い出せなかった。
言ったとたんに「負けることを願っている」とみなされる。非国民と言われスパイと言われる。だから正確に判断できる人ほど口をつぐんだ時代だった。コトダマに支配されていた頃だった。
バイウォーターの予測が紹介された大正末期から昭和一ケタ時代も、みんなが不愉快になるような予測は言えなかった。中国での利権をめぐって米英との対決が予想されても「何とかなる。勝てる」と思いこんでいた。
「かく言えばかくなる」の通り、人を不愉快にさせるような話題は口にせず愉快にさせる話題にだけ絞ろうとする、コトダマ支配の法則に乗っかっていた。
特高や憲兵が怖くて本当のことが言えなかった、ということもあっただろう。しかし、決して軍部にムリヤリ思い込まされていただけではない。日本人の良心は「コトダマに忠実であろうとすること」である。
その「良心」が研ぎすまされていた多くの善良な国民が、自ら進んで「勝てる」と信じ、「勝つ」ことを願っていたのだ。そのようにコトアゲすることにより、現実もそうあれと願ったのだ。多くの善良な人々は、コトダマの支配のもと、喜んで真心から戦争に協力していったのである。
あえて言えば、特高や憲兵もコトダマ支配下の「良心」に従っていた。熱心に「勝てる」と信じ「勝つ」ことを願った。コトダマの「良心」に従わずに「負けるようにコトアゲする(可能性のある)人々」を次々と摘発していったのだろう。
恐ろしいコトダマ支配の時代だった。コトダマは日本人を思考停止させていた。本物の議論をすることを妨害していた。(つづく)
脚注
3)井沢元彦「言霊」1992年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
4)バイウォーター、H.C.「太平洋大戦争」林 信吾・清谷信一共訳、2001年、コスモシミュレーション文庫、コスミックインターナショナル。
5)バイウォーター、H.C.原著、石丸藤太郎訳著「太平洋戦争とその批判」1924年、文明協会。
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2009年3月2日月曜日