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Ⅱ)コフート 健全な自己愛と自己心理学(Ⅰ)病的な自己愛
2011年5月22日日曜日
前回のジャック・ラカンに続いてハインツ・コフートを紹介する(図1、緑色)。ラカンと同じく、ジークムント・フロイト後継者の一人である。コフートが生涯にわたって続けたのは、自己心理学と自己愛についての研究だった。
多くの人にとって「自己愛」とはどのようなものだろう。否定すべき未熟なもの?それとも、大切で必要なもの?コフートの自己心理学や「自己愛」の研究は、私たちの日常にどれだけ役に立つのだろうか。本稿ではそれを考えてみたい。
図1 精神分析・深層心理学の系譜
ハインツ・コフートは、一九一三年にオーストリアで生まれた。ナチス・ドイツ時代にアメリカ合衆国に亡命し、その後米国で活躍した。
精神分析家として発達心理学の確立に貢献した。「精神分析的自己心理学」を確立し、大きな広がりをもった理論を展開した。「自己愛」を中心として、「自己」の発達に関する研究に生涯を捧げた(図2)。
図2 ハインツ・コフート
コフートは、「自己」の成長について次のように述べる。自己に対する愛は、「自体愛」から「未熟な自己愛」を経て「健康な自己愛」へと発達する。そして、人は「健全で正常な自己愛」を生涯にわたって持ち続けていく、と。
コフートが「健康な自己愛」を主張するまで、「自己愛」は全く別の捉え方をされていた。「自己愛」それは未熟で不健全、病的なものだった。それはフロイトからの圧倒的、絶対的な影響による。
フロイトによれば、人間は「自体愛」から「自己愛」を経て「対象愛」を持つ存在へと成長してゆくという。「リビドー(欲動、脚注1)」の充足対象が、成長にともなって「自己」から「対象」へと移行してゆくというのである。
そういった移行が充分になされず、リビドーの充足対象が「自己」にとどまると「未熟な自己愛」のままとなる。そういった「自己愛が、未成熟、不健全、病的だというのである(図3)。
図3 コフートとフロイトの「自己愛」
コフートの「自己愛」を詳しく見る前に、フロイトの「自己愛」「自己」について見てみよう。フロイトが考える「自己愛」は、まず自他未分離で未熟な感情である。
自己愛が過剰で「誇大自己」と称しても良い。何でもできるすごい「ボク」という「万能感」を持っている。「肥大自己」とも言われる。フロイトによると「自己愛」は幼児的である。
他方、成長した「自我」は「自己愛(self love)」に執着せず、「対象愛(object love)」へと向かう。自己愛に留まっているのが未熟な自我であり、対象愛へと向かうのが成熟した自我である。フロイトはこのように主張した(図4)。
図4 フロイト、自己愛から対象愛へ(1)
フロイトによれば、「リビドー(欲動)」のベクトルは成長に伴って向きをかえる。幼児なら自分自身に向かう。成人では他者や物事など外部に向かう。そのベクトルが自分自身に向かう時は「自己愛」だが、他者に向かう時は「対象愛」へと成長してゆく。
自己愛から対象愛へとベクトル方向が転換し自我が発達してゆく。これが自我の成長であり、そうすることによって人は倫理性や社会性を獲得するに至るという(図5)。
図5 フロイト、自己愛から対象愛へ(2)
フロイトによると、発達早期の未熟なリビドー(欲動)はいずれ克服されるべきものである。対象愛に向かわない自我は、あくまで幼児的である。自己中心性、自己顕示性、わがまま、衝動性を有し、情緒不安定で自己に苦悩し、他者に危害を加えるなどの「病的」な側面を持つという(図6)。
図6 フロイト、自己愛から対象愛へ(3)
これまでのところを簡単な図にしてまとめてみる。図7はフロイトの考える乳幼児の人格構造である。
自他未分離の状態だが、リビドー(欲動)の源泉は数々の生物的本能(A、B、Cなど)と原始的欲求(X、Y、Zなど)である。そこでは、生物的本能と原始的欲求が混沌として渦巻いている。これらの分別のない領域。それが乳幼児の人格構造(エス)というのである。
図7 フロイトの考える赤ちゃんの人格構造
乳幼児期の未熟な自我において、リビドー(欲動)は攻撃欲求や破壊衝動として外に向かう(図8)。
図8 赤ちゃんのリビドー(欲動)のベクトル
成熟した自我においては、社会性(A、Bなど)や道徳観(X、Yなど)がリビドー(欲動)の源泉となる。自他境界が明確となった上で、リビドー(欲動)は建設的欲求や創造的行動へと向かう(図9)。
図9 成熟自我のリビドー(欲動)のベクトル
最後に「自体愛」から「自己愛」を経て「対象」が登場するようになる成長の変化を、図10~12にまとめてみる。
図10の上半分は、自他境界が不明瞭な状態で、外界に対して無関心な「自体愛」を表している。内側に「快(A)」を抱えていて、外界の状況いかんにかかわらず満たされている。これが「自体愛」である。
図10の下半分では、自分の中に「不快(X)」が出現し、外界に「快(B)」が認められる。
図10 自体愛の成長
自己愛では、外界の「快(B)」を自分の中に「取り込む(introjection)」。自分の中の「不快(X)」を外界に「投影(projection)」する。そして、自分の中を「快(A、B)」だけで満たして安定をはかる(図11)。
図11 自己愛への成長
自我は内界と外界の境界をはっきりと認識するようになる。自我と「対象」をハッキリと認識するようになる。外界の「快(C)」と「不快(X)」を、それぞれ「愛」と「憎しみ」という感情として自覚するようになる。「対象」の登場である(図12)。
図12 対象の登場(1)
分析心理学では、「愛」を次のように定義する。「快をもたらす対象」を「自我に近づけようとする傾向」と。反対に、「憎しみ」を次のように表現する。「不快をもたらす対象」を「自我から遠ざけようとする傾向」と(図13)。
図13 対象の登場(2)
コフートの「自己愛」を理解するために、今回まずフロイトの「自己愛」と「対象愛」について説明した。また、その成長過程を図式化してまとめてみた。
フロイトが描く「自己愛」は、未熟、幼児的、自己中心的、自己顕示的、わがまま、衝動的、情緒不安定で自己に苦悩し、他者に危害を加えるなど「病的」である。
対して、コフートは「自己愛」を健全なものとして理解している。どのようなものなのだろう。次回、本題であるコフートの発達理論を概説する。(つづく)
脚注
1)リビドー、欲動:[Trieb(独)]精神分析学の用語。人間を常に行動へと向ける無意識の衝動。フロイトによれば、心的なものと身体的なものとの境界概念と位置付けられ、自己保存欲動と性欲動(のちに生の欲動と死の欲動)とに二分された。三省堂の大辞林には、このように解説されている。