さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’’’)番外編10 過激な隣国と日本(Ⅲ)本当の勇気?
韓国併合から三十五年間で出した犠牲者の数に比べると、朝鮮戦争での犠牲者は圧倒的に多かった。いわゆる三・一独立運動での犠牲者の数は、朝鮮側の発表でも七五〇九人(脚注10)。朝鮮戦争での民間人の犠牲者は、百万人、二百万人、四百万人とも言われている。
とりわけ、朝鮮戦争開始後、李承晩政府は共産主義者とその家族を二十万人も虐殺。韓国の韓 洪九氏ですら次のように書いている。「民間人の虐殺だけみれば、異民族支配下の虐殺にくらべ、同族内のアカ狩りの方が大規模ではるかに残酷だった」(脚注11)と。
図3 韓 洪九著「韓国現代史ー韓国とはどういう国か」
戦争は北の南側への侵攻で始まった。四ヶ月後、中華人民共和国は義勇軍と称して百万人もの勢力を送った。しかし彼らは、南と米国が北側へ侵攻するところから戦争が始まったと主張。自分たちは北朝鮮側とともに侵略者に対して闘ったと歴史教科書に載せている。
人数だけから言うと、最も多くの民間人犠牲者をもたらしたのは北側とその支援者中国である。次が李承晩政府。日本の朝鮮総督府は最も少数の犠牲者で平和な統治時代を築いた。
しかるに、韓国が国を挙げて教育し宣伝するのは日本の朝鮮統治がどれほど残酷だったかということ。朝鮮戦争も結果として日本統治時代のせいで起こったと主張。ならば、北朝鮮と中国に対してはどのようなことを主張するのだろうか。
韓国は歴史認識の違いを取り上げて「謝罪と反省」を要求したいところだが、中国との国交正常化時にうやむやにしてきた。中国共産党の次世代指導者、習近平氏が「(あの戦争は)平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争」と発言した。それを受けて韓国が反発したというのである(脚注9)。
しかしその反発は、日本に対する強硬姿勢とは全く違うらしい。強面(こわもて)の態度に出る国に対しては「腰砕け」になるのだ。
逆に、日本は強く出たりしない。反論らしい反論もしない。過去の贖罪観からか相手に対する配慮をまずするという国民性からなのか、何故か強い態度には出ない。韓国が日本に対して「腰砕け」とならない理由はそこにありそうである。
要するに、中国の反日デモ参加者も、韓国の対日強硬論者も、「水に落ちた犬は叩け」(脚注12)という弱い者イジメの典型なのだ。中国でも韓国でも、対日強硬派がとっている戦略は一つである。いつまでも日本人に「贖罪意識」を抱いて(水に落ちて)いてもらうことである。
強い側には腰砕けになり弱い者には徹底的に強く出る。そういった姿勢は日本人には全く理解できない。弱きを助け強きをくじく武士道の心が底流にある日本人から見ると、恥ずかしい勇気のない行動だと映る。
日本にいる同様な人々
そう考えると、日本にも似たような人たちが存在する。中国や韓国に言うべきことを言わず、むしろ迎合するかのような発言を繰返すいわゆる知識人や一部のマスコミである。反対に彼らは、日本政府相手なら口をきわめて攻撃する。
戦争に反対!日本政府は過去を清算して責任を果たせ!と言い、中国や韓国の反日歴史観にピッタリ当てはまることだけ言う我々日本人の一部である。
ただ、私たちは決して迎合しているつもりはなく、日本の過去に対する贖罪意識で一杯いっぱい。そこから出発することだけが唯一の道だと信じているにすぎないのかもしれない。政府や「ウヨク」を叩くことが正義と思い込んでいるだけなのかもしれない。
中国や韓国、ときに米国に向かって何かを言うと強く反論される。しかし、日本政府に対して何を言っても我々は全く害を受けない。安全である。
今回の尖閣諸島の件でも、或いはたとい沖縄や対馬が狙われたとしても、罪悪感と贖罪意識でいっぱいの私たちは決して強い主張をしない(脚注13)。それどころか、「中国や韓国にも言うべきことは言う」という姿勢を、「右翼」「強硬派」と言い切る人々がいる。
たとえば、次のような新聞が挙げられる。「中国には前原誠司外相を対中強硬派と見る人が少なくない。『前原はずし』を望む声も聞かれる」(脚注14)と、まるで中国側の言い分を代弁するかのようである(脚注15)。
図4 金谷 譲、林 思雲著「中国人と日本人ーホンネの対話」
他方、以前から、中国が日本とは全く異質な国であるという「事実」を指摘する人々も存在する(脚注16)。「尖閣諸島」は大きな問題になると以前から警告してきた人々もいる(脚注17)。
彼らは、どんなに中立的な立場の書き方をしようとしても一部から「右翼」「強硬派」と一刀両断にされる。「だから日本の平和が脅かされるのだ」と非難の対象になる。しかし、彼ら自身が国際秩序を破ろうとしているのではない。
むしろ今回明らかになったのは、「私たちの態度いかんにかかわらず、日本の領土と資源を狙って国際社会の秩序を無視して横暴に振舞おうとする隣国が確かに存在する」という事実なのではないだろうか。
最後にひと言。もっともっと言ってしまうと、ネット上で匿名の発言をする人々の存在も五十歩百歩であろう。彼らも本ブログ著者も、自分の意見を匿名で発表している限り、「勇気のない人々」の中に入ってしまうのかもしれない。これも事実。さてさてどうしましょう。(了)
(本論「過激な主張と日本」の冒頭へ)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
9)http://sankei.jp.msn.com/world/china/101028/chn1010282054010-n1.htm
「朝鮮戦争で韓中対立、習近平発言に反発」
「中国の習近平国家副主席が最近、朝鮮戦争60周年の記念行事で『(あの戦争は)平和を守り侵略に立ち向かった正義の戦争』と発言したことに韓国が強く反発し、あらためて韓中の“歴史戦争”になっている。
北朝鮮が中ソの支援の下で韓国に武力侵攻し、中国軍が介入した朝鮮戦争(1950-53年)をめぐって韓中には、以前から“歴史認識”の対立があった。韓国は当然、『中国の侵略』という立場だが、92年の国交正常化時を含め中国にことさら『謝罪と反省』を要求することはなく、うやむやにしてきた。韓国はまた、過去2回の南北首脳会談の機会も含め、北朝鮮に対しても『謝罪と反省』は求めていない。
今回の習近平発言は25日、北京で行われた『中国人民支援軍抗米援朝戦争60周年』の行事で参戦老兵たちを前に行われた。韓国ではまずマスコミをはじめ世論が強く反発。政府も『(あの戦争は)北朝鮮の南侵で起きたというのは国際的に公認された歴史的事実』とし、中国に対し国連安保理常任理事国で、国際社会の責任ある国家としての努力を期待するとの論評を発表した。政府としては比較的穏やかな対応で、外交問題にする考えはないようだが、マスコミなど世論は中国の『侵略戦争居直り』という北朝鮮擁護の姿勢を印象付けるものとして、あらためて中国警戒論を強調している。とくに今回は、発言者が次期指導者に確定した習近平副主席だったため『中国の新指導者の歴史認識』として注目され、同じく後継者が明らかになった北朝鮮との“親密”ぶりと併せ今後を懸念する声になっている。
一方、習近平発言が問題になった後、中国では、韓国への『反論』のかたちで人民日報や新華社に、戦争の発生と中国の軍事介入を分けて論じる学者の論文が紹介されたという(28日付の韓国各紙)。これは、戦争発生は南北の内戦だったとし、北朝鮮の責任を間接的に指摘する一方、中国軍参戦は反撃に転じた米韓軍が中朝国境に迫ったため中国の利益と安全を守るためで正当だった、という主張だ。しかし朝鮮戦争は初期の4カ月を除き北朝鮮側の主力は中国軍で、100万人規模の大兵力で介入し南北境界線を越えてソウルの南方まで侵攻している。韓国では今年、『あれは中国軍との戦いだった』とする回顧モノが目についた。
中国との歴史認識の対立で韓国は、日本に対するのとは違っていつも腰が引けている。日本には官民挙げて『歴史歪(わい)曲(きょく)』『妄言』と大騒ぎし、すぐ外交問題になる。しかし中国に対しては今回、『歴史歪曲』や『妄言』の非難はない。」
10)朝鮮総督府の報告によると553人。7509人という数字は「朝鮮独立運動之血史」に基づく。ただ、その数字自体、著者が上海亡命中だったため、伝聞で報告を受けたものの累計なので信憑性は低いとも言われている。
11)韓 洪九「韓国現代史」高崎宗司監訳 平凡社、2003年。著者は左翼系の論者であるとされている。その左翼的な考えの持ち主から見ても、日本統治下に比べると韓国人どうしの殺し合いの方が「大規模ではるかに残酷だった」というわけである。
12)水に落ちた犬は叩け:「打落水狗」フェアプレイについての論争において、中国の有名作家である魯迅が当時の中国の状況に即して作った造語とされる。「水に落ちた犬でも、這いあがってくれば噛みつく。だから、上がってくる前に叩け」、現代風に言うと「相手の弱みはこちらの強み」との意味。魯迅は著作「阿Q正伝」の中で、主人公阿Qの「上の者には異様に媚びへつらい、下と見ると大言壮語して威張り散らすえげつなさと奴隷根性」を書いている。その「えげつなさと奴隷根性」が現代人の中にも染み付いている、というワケである。
13)私たちは贖罪意識の中で思考停止に陥っている。戦争責任を問うのは大事である。しかし思考停止はいただけない。贖罪意識に反することは一切受け付けないというのはいかがなものだろう。バランスを欠いているのではないか。そういった態度を今後もずっと保ち続けるのかどうか。私たちは、違う考えの人々と対話をする姿勢が取れるのかどうか。そこを注視したい。
14)朝日新聞、社説、2010年10月31日。
15)もっとも、その新聞は中国や韓国、北朝鮮などに不利になるようなことは書かないことで以前から有名だ。中国漁船の体当たり映像動画の流出問題でも、識者の意見として載せているのは、動画流出にかかわった人が逮捕され起訴されるのは当然であるという内容のものが多い。中国側に真実を示して正論を言うべきだという意見はあまり掲載していない。どういう世論を形成したいのか、その意図は明白にうかがえそうだ。
16)金谷 譲、林 思雲「中国人と日本人、ホンネの対話」日中出版、2005年。
17)櫻井よしこ「異形の大国 中国―彼らに心を許してはならない」新潮社、2008年。
(4188文字)
2010年11月21日日曜日