さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’’)番外編9 指導者叩きの陥穽(おとしあな)
「鳩山首相は自分を平和の象徴のハトだと思っている。日本国民は自分たちを騙すサギだと感じている。米国人はハトヤマを臆病なチキンだと見なしており、中国人はカモだと考えている」。
このようなジョークを読んだことがある(脚注1)。この春のことである。
選挙による政権交代が行なわれたあと、わずか九ヶ月で首相が交代した(脚注2、3)。もともと、前首相にはその発言に大いなる危うさを感じさせるところがあった。あまりに八方美人的なのだ。リップサービス的だったと言っても良い。
現実として政治に大きな混乱を生じた。特に普天間基地の移転先問題では、これまでの政府間合意を覆し、沖縄の当事者や日米関係を決定的な混乱に陥れてしまった。
今回の首相交代劇を眺めながら感じたことがある。報道の姿勢である。マスコミが報道する内容はどこも全く同じであった。
図1 ここ四年で五人目となる首相交代
報道の内容は、「鳩山首相は沖縄県民を愚弄している」「沖縄の人々の心を弄(もてあそ)んだ」「約束を守れなかったのだから辞任すべきだ」というものだった。
沖縄や徳之島での「反対集会」「基地はいらない決起集会」の映像を繰り返し放送した。他方、米国がいかに苛立っているか、解決がいかに困難になっているかも報道し続けた。
確かに、元首相は出来もしないことを簡単に口にして(約束して)さんざん期待感を煽りながら、最後には「勉強不足」を認めて日米合意の方を優先した。
彼は、残念ながら「首相の器」ではなかったのかもしれない。政権与党にとってだけでなく国民にとっても彼の辞任は当然で、首相になってはいけない人だったのかもしれない。
しかし、沖縄への基地集中問題(脚注4)を真っ向から取り上げた(かのように見える)首相はかつて一人としていなかった。違う視点でみると、元首相は日本の安全保障の問題が全く未解決であることを、国民一人ひとりに改めて気付かせてくれたのかもしれない。
私たちが、これまでどれほど沖縄に犠牲を強いて来たのか。日本の安全を誰が守るのか。こういった問題を、私たちはずっと先送りにしていた。安全保障について、私たちは国民としてのコンセンサスをどう得ていくのか。
こういった課題を議論してゆく必要性について、元首相は気付かせてくれたのかもしれない。その不注意で不用意な発言によって。
マスコミは、自分を全く安全な場所に置きながら、一国の指導者の責任を徹底的に追及して国民の歓心を買おうとする。
内閣支持率がいかに低下しているかを突きつけるだけで、自分では全く責任を負おうとしない。指導者が担っている責任の重さに共感し、問題の解決に協力しようなどとは全く考えない。
それを見る国民は、マスコミが一国の指導者を叩く姿に喝采を送る。言ってみれば、私たちは誰かを叩くことによって、何らかのカタルシスを得ていたのではないだろうか。
私たちも、マスコミと同じく、自分を全く安全な場所に置きながら、自らは責任を負おうとしない。指導者が担う責任の重さに共感することもない。問題の解決に協力しようとは考えない。
私たちは、沈み行く船に一緒に乗っていながら、船長に「何とかしろよ」と叫ぶだけで、自分では何もしない。そんな無責任な船員のような立場に自分を置いているのではないのだろうか。
全国の知事会に出席して、沖縄の負担軽減に関する元首相の要望を聞いた面々も同様である。唯一の例外が現大阪知事だったそうである。もともと出席しなかった知事も多かったという。そういう人たちは論外ではあるが。
沖縄の人々は、元首相に要求を突きつけ、怒りをぶつけ、「沖縄の心を弄(もてあそ)ぶな」「愚弄するな」とシュプレヒコールをあげる。そう叫べば叫ぶほど、マスコミの元首相叩きに乗れば乗るほど、自分たちのことを真剣に考えてくれる人を失ってしまう結果となった。そう言っても過言ではないだろう。
今後の首相は、もうこれに懲りて、沖縄の基地問題に真正面からは取り組まないだろう。一刻でも早く解決しようとは考えないだろう。現実路線をとるだろう。先延ばしにするだろう。ゆっくりゆっくり解決しようという方向に舵を切るだろう。
残念ながら、それがリアリスティックで妥当な政治的判断になる(脚注5)。
もう一つ感じたことがある。私たちが、天下国家の大事よりも、いかにミクロ的な話題を好んでいるかという点である。
たとえば、どのグループとどのグループが反目しているかという話。誰と誰の距離が近いという話。たとえば、民主党の代表選挙での票読みの話。たとえば、「親小沢」「非小沢」「反小沢」という、一人の政治家との距離感の話。
また、閣僚名簿が発表されると、政治資金の使われ方をいち早く徹底的に調べ上げて疑惑を報道し、スキャンダルに仕立て上げる。辞任せよ。任命責任があるだろう、と。
週刊誌的である。ウワサ話である。決してスケールの大きな話ではない。重要な問題でもない。瑣末な出来事である。それをさも決定的に重要なことであるかのように、公共性の高いメディアが、毎日のように報道する。
私たちはそれを喜んで読み、内閣支持率に反映させてゆく。あたかも、それで天下国家のことを論じているような気になっている。いい気なものだ。
指導者がこれほど尊敬されず共感されないのなら、どんな組織であっても決してうまく立ち行かないだろう。これほど協力が得られないなら、良い方向性も示せないだろう。良い成果も得られないだろう。
「責任をとって辞めろ!」と叫んでいた人々は、前首相が辞めた後どのようなことを言っているか?「政権を放り出すなんて無責任だ!」と批判している。何故「よくぞ辞めた!」と言って誉めないのか。本来ならそう誉めてしかるべきだろう。
彼らは「批判のための批判」をしているに過ぎない。批判しかしないマスコミや政治家が確かに存在する。そのような人々とは議論することすらムダである。彼らの言葉を恐れてはならない。彼らの意見を取り合ってはならない。
日本の未来は明るいか?マスコミは言うだろう。ああいう指導者の元でなら「暗い」と。確かにそういう一面はあるかもしれない。
でも敢えて言おう。ああいうマスコミの元でこそ「日本の未来は暗い」と。私たちが、ああいったマスメディアに躍らされ、天下国家を真剣に論じられない国民となってしまうなら(脚注6)、非常に「暗い」と。
私たちは、もう新聞をとるのをやめ、TVのニュースを見るのをやめ、ネットでニュースをブラウズするのをやめてみたらどうだろう。真に天下国家を論じるものだけに集中してはどうだろう。
その時、ようやくマスメディアは指導者叩きの陥穽(かんせい、おとしあな)と自分たちの非にようやく気付くのかもしれない(脚注7)。
私たちも、より冷静になれるのかもしれない。国の指導者をどんどん使い捨てにして(脚注3)、すでに我が国の国益を十分すぎるほど損なっているという事実に、ようやく気付くのかもしれない(脚注8)。(了)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
1)ちょっと違ったバージョンがネットにも流布されており、今でも読むことができる。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20100201/plt1002011626005-n2.htm
2)今回の鳩山由紀夫元首相は、発足当時支持率が七七%と非常に期待が高かったが、政治とカネの問題、普天間問題でつまずき、支持率が一〇%台と低迷するに至った。これでは参議院選挙が戦えないと、小沢一郎氏を巻き添えに辞任した。
3)二〇〇九年の衆議院総選挙前の三内閣も短命だった。安倍晋三内閣が三六六日、福田康夫内閣が三六五日、麻生太郎内閣が三五八日。鳩山由起夫内閣はもっと短い二六六日だった。
安倍晋三元首相は、保守派本格政権の担い手として期待されながら、相次ぐ閣僚の不祥事への批判、二〇〇七年の参議院議院選挙惨敗、自らの健康問題で突然辞任。
福田康夫元首相は、前首相突然の辞任で急遽実施された自民党総裁選で、各派閥から雪崩式に支持を集めて選ばれ調整力が期待されたものの、就任当初六〇%近くあった内閣支持率が二〇%台に低迷、有名な「あなたとは違うんです」と気色ばんだ台詞とともに退任。
麻生太郎元首相は、支持率が高いうちに解散総選挙せよという圧力(誘惑?)に屈しなかった。数々の不適切発言や無知をさらすだけでなく、支持率一〇%台で任期満了総選挙に打って出た。結果は惨敗。歴史的な政権交代となった。
4)日本全体のわずか〇・六%の面積しかない沖縄県に、在日米軍基地の七五%が集中すると言われている。ただ、これは「米軍専用施設」の七五%という意味だそうで、自民党の閣僚や大物国会議員がよく使っていたという。「自衛隊との共用軍事施設」も含めると、数字は二三・五%に下がるらしい(http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/33056/)。それでも十分多いことに変わりないが、マスコミも政治家も数字を一人歩きさせるのが好きである。沖縄県の政治家も同様の表現を使っているのを報道で聴いたことがある。「それは大変なことだ!」と思わせる効果はバツグンである。ただ知っていて使うなら「ウソ」となり、あまりタチが良いとは言えない。
5)今回のことをきっかけに、結局米海兵隊の訓練の一部でも県外に移せたならば、それは歴史的な一歩となる。ひょっとすると、元首相が自分のクビと引き換えに成し遂げたことの一つと評価されることになるかもしれない(本来ならば)。
6)すでに私たちは、マスメディアに躍らされ、天下国家を真剣に論じられない国民となってしまっているのかもしれない。
7)私たちの世間話好きが矯正されない限り、マスメディアは私たちに迎合する記事を書くのをやめないだろう。
8)首相を直接選ぶのではなく、議院内閣制で多数政党のリーダーが首相に担がれる形なので、政党の代表選挙や総裁選挙において、国会議員や党員やサポーターが一国の指導者としての資質を見抜けるかどうかが問われている。そういう側面もある。
新首相は、平成の二十二年間で十五人目。ここ十年で八人目、ここ四年で五人目の首相を出してしまうという日本。異常である。
(4176文字)
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2010年6月13日日曜日