さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅷ)絶対視されるワ 日本の草の根民主主義(Ⅱ)江戸時代の自治ある農村
江戸時代の草の根民主主義
他方、国を鎖(とざ)していた頃、江戸時代の日本はどうだったのだろう?
日本の農民は、庄屋や地主の横暴の犠牲になる心配はほとんどなかった。それどころか、彼らは自立し、確固たる地位が与えられていた(脚注3、7、8、9)。欧州や中国、朝鮮半島の農民が、生涯体験できなかったことばかりである。
日本のいたるところに、自立した村落共同体が作られた。どの村にも「議会」に相当する「寄り合い」があった。寄り合いでは、メンバーから代表者一名と二人の委員が選ばれた。対外的に村を代表し、年貢(納税)の問題について、村の人々の意見を代弁する任務にあたった。
欧州や中国、朝鮮半島と違い、日本の農民に課せられる年貢の額は、決して農民の頭越しに(お上によって)、一方的に決定されたのではなかった。納税額を決める際に、農民は村の代表者を通して、協議・決定に参加する権利を持っていた。草の根の民主主義がそこにはあった。
もちろん、大飢饉の時(脚注10)や、横暴な領主の圧政に苦しむ地域があり、暴動も起こった。しかし、それらはむしろ例外的で、農民たちの生活は大体うまくいっていた。年貢米を基にした租税制度と全国における米の分配も、至極円滑に機能していた。
他方で、「毎年農民による暴動があった。鎖国時代には全部で一五〇〇回くらいの農民一揆があった」と言う日本の歴史家がいる。むしろ、それが多数意見らしい。日本にも、専制的な領主や地主がいて、圧政に苦しむ農民がいてという、ある種の「型」に押し込める方が安心できるらしい。
だが、この「農民一揆」と数えられている事件を詳細に調べてみると、驚くべき結果が出てくるという。年貢米の納入量についての話し合いが持たれたが、合意に至らなかった。そこで、近郷のいくつかの村の代表者たちが一緒に大名屋敷に参上し、年貢の軽減を願い出るために協力し合った。
たったこれだけのことが、その歴史家たちによって「農民一揆」の一つと数えられてしまった。しかし、暴力沙汰になったのは極々稀なケースで、ほとんどが正当な申し出であり、事実を説明してから静かに立ち去っただけに過ぎないことが証明されている。
産業革命前の日本では、決して、自由や公正を求める努力や試みが、情け容赦なく弾圧されていたわけではなかった。同時代の欧州諸国や中国、朝鮮半島と比べて、公正と自治が高度に機能していた。
村人の中では話し合いが尊重された。支配階級である領主との関係においても、静かな意見の交換が重んじられた。話し合いの精神(民主主義)が息づき、行き渡っていた。
彼らは、概して貧しくはなく、健康的でこぎれいな身なりをし(脚注11、12、13)、読み書き算盤ができ、村や町の通りも非常に清潔で、高度な自治・自立を享受していた(脚注3、7、8、9)。同時代の中にあって、彼らは世界一恵まれていたと言えるだろう。(つづく)
脚注
3)松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」(田中敏訳)、2005年、文藝春秋。
7)児玉幸多「近世農民生活史」新稿版、1957年、吉川弘文館。
8)大石新三朗「近世村落の構造と家制度」1968年、御茶の水書房。
9)渡辺京二「逝きし世の面影」平凡社ライブラリ、2005年、平凡社。
10)江戸時代の四大飢饉:http://ja.wikipedia.org/wiki/江戸四大飢饉
寛永の大飢饉(一六四〇年、三代家光の頃)
享保の大飢饉(一七三二年、八代吉宗の頃)
天明の大飢饉(一七八二~八年、十代家治と十一代家斉<いえなり>の頃)
天保の大飢饉(一八三三~九年、十一代家斉と十二代家慶<いえよし>の時代)
特に、天明の大飢饉(一七八二~八年、http://ja.wikipedia.org/wiki/天明の大飢饉)では、最終的に30万人ないし50万人の餓死者や疫病による死者が出たと推定される。浅間山大噴火とアイスランドのラキ火山とグリームスヴォトン火山の大噴火の影響が重なったとされる。成層圏にまで達した塵は、地球の北半球を覆い尽くし、地上に達する日射量が極端に減り、北半球の低温化と冷害を引き起こした。フランス革命(一七八九年)の遠因ともなったと言われる。
11)バード、イザベラ、L「日本紀行(上)」(時岡敬子訳)、講談社学術文庫、2008年、講談社。
12)バード、イザベラ、L「日本紀行(下)」(時岡敬子訳)、講談社学術文庫、2008年、講談社。
13)バード、イザベラ、L「日本奥地紀行」(高梨健吉訳)、平凡社ライブラリ、2000年、平凡社。
(1888文字)
2009年5月25日月曜日