さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
ⅴ)コトダマ(Ⅲ) それで日本は滅びた
日本を滅ぼしたコトダマ
コトダマイズムの支配する世界では、まわりの人や自分を不愉快にするデータや意見は発表しにくい。
たとえば、ある軍事専門家があらゆる情報、知識、経験をフル活用して、この戦争は負けると判断したとしても、それを発表することはできない。早く戦争を終結させたほうが良いと結論して提案したとしても、注目されることはない。
井沢氏は書く(脚注1、2、3)。
「これがイギリスやアメリカなら容易に率直に発表することができるし、マスコミでも『一つの意見として』充分に採り上げてくれるだろう。
ところがコトダマの生きている国では、絶対にそうはならない。
まず意見を発表すること自体、大変な勇気が必要である。言うまでもなく『このままでは負ける』が『負けることを願う』と解されるからだ。
『みんなが勝とうと戦っているのに、なんて奴だ』『非国民』『敗戦主義者』『戦死者や遺族の気持ちを考えろ』等々、コトダマ信者からのあらゆる罵詈雑言が飛んでくる。
『いや、私は負けることを願っているのではなく、このままでは負けるから止めるべきだと言っているのだ、私個人が何を言おうと、それが戦局を左右するはずもない』などと弁解してもだめである。
そのうち本当に戦局が悪化すると、今度は『おまえがそんなことを言うからだ』『おまえの責任だ』と言われるようになる。下手をすると本当に石が飛んでくる。
いや、それでも意見を発表するならまだいい。コトダマの世界では、そういう意見を発表すればどういう非難を受けるかを、住民は経験的に知っているので、意見を『自粛』するようになる。つまり、本当に正しい判断をできる人が口をつぐむようになる。
客観的にみて『勝てる』場合ならばそれでもいい。だが、明らかにマイナスの結果しか予測できない時は、だれもがその予測を口にしなくなり、その結果、破滅の終局へとまっしぐらに突き進むことになる。
終わってみると国土は焦土となり何百万人もの犠牲者が出た、こうなることは予測できたのに、ということにもなりかねない。いや、実際に起こったのである。
これは戦前、いわゆる昭和十年代から二十年にかけて、コトダマの支配するこの国で実際に起こったことである。コトダマは危うくこの国を滅ぼしかけたのである。そして、さらにおそるべきことには、それにもかかわらずコトダマの支配はまだ続いているということだ」と。
昔の人は愚かだったか
詳しくは著作を読んでいただきたい。ここで注目すべきは最後の「さらにおそるべきことには、それにもかかわらずコトダマの支配はまだ続いているということだ」という一文である。
ある人たちは、昔はひどかった。愚かだった。しかし、今は科学技術の時代だ。もう大丈夫だと考えるだろう。しかし、千五百年以上も続いているコトダマ支配が、そう簡単に消えるはずもない。
あえて言えば、これは日本人の宗教である。我々が無意識に持っている宗教的な感覚である。日本人の心と考え方をずっと支配し続けてきた基本的な精神である。
歴史を知らない人は歴史から学べない。今の時代の病理を診断し、治療することや処方箋を書くことはできない。
歴史を知らず歴史から学ばない人は、自分の歴史観や世界観が歪んでいることに気付かない。それはコトダマの支配を否定しようとする人、その支配に気付かない人全体に言えることだろう。
時代を読み解く「キー」を発見した人物の言うことに、まず耳を傾けた方がよいと思う。彼が同じ意見を持つ人であっても、いかに自分とかけ離れた意見を持っている人であったとしても、その診断を虚心坦懐に受け止める必要があると思う。(了)
(本論「コトダマ」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
1)井沢元彦「言霊」1992年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
2)井沢元彦「言霊Ⅱ」1997年、祥伝社ノンブック、祥伝社。
3)井沢元彦「『言霊の国』解体新書」1993年、小学館。
(1572文字)
2009年2月17日火曜日