さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
ⅳ)欧米から見た日本人(Ⅲ) ダブルスタンダード
変わらない欧米人の潜在意識
現在でも、欧米人が持っている感覚(優越感)に迎合する記事が「新しい包装紙に包んで」本国向けに送られている。その実例を見てみよう。新しい包装紙どころか、虚偽と悪意に満ちた内容の報道すらなされている。
もと産經新聞記者である高山正之氏の著書(脚注10)には、そういった実例がこれでもかこれでもかと紹介されている。曰く、日本叩きの「モンスター」が海外に跋扈している。ウソ八百を並べ、日本を貶めるという手法を使っている、と。極めつけの例を引用しよう(脚注11)。
「たとえば、米国の『ニューヨーク・タイムズ』のニコラス・クリストフは … 1989年の中国・天安門事件の報道でピューリッツァー賞を受賞し、大した記者に見えるのですが、東京にいた五年間に彼が書いた記事は、日本人への人種偏見、民族蔑視と救い難いウソに満ち溢れていた」
「(彼が)書いたのは『過去の記憶にさいなまれる老兵』(1997年1月22日)という記事です。白人キリスト教徒の世界で最も唾棄される行為はカニバリズム、つまり人肉食いですね。それを日本人にやらせようとクリストフは考えたとしか思えない。
舞台回しに使われたのは、三重県のある村に住む老兵ホリエ氏。『ニューヨーク・タイムズ』の一面に写真入りで掲載されたストーリーは、こういうものです」
「ホリエ氏は北支に出征していたが、『シナとの長い戦いに疲弊し、食べ物も尽き、シナ人の子供を殺してその肉を食った。たった一切れだが、そのことを思うと、いまも心が痛む。彼は枯れ木のように細った手を震わしてそう語った。このことは40年以上連れ添った妻にも語っていないと』」
「ここで普通に考えれば、連れ添った妻にも話さなかった事柄をなぜ初対面のクリストフに語ったのか、不自然ではないかと感じる。(中略)(『産經新聞』の)記者がホリエ氏に会いに行った。『「ニューヨーク・タイムズ」の記事にこうありますよ』と話すと、老兵はびっくりした。何というウソを書くのか、と」
「クリストフはホリエ氏に『日本軍が人肉食いしただろう』と執拗に尋ねたそうです。『噂話でもいい』とクリストフは言ったそうです。彼があまりにしつこいので、ホリエ氏は北支にいた頃の話をしてやった。
街の市場に珍しく新鮮な肉が出た。買って帰って、みんなで久しぶりのすき焼きを楽しんでいたとき、憲兵がやってきた。兵卒の何某の所在を知らないかという。なんでもシナ人の子供を殺して逃げたのだという。
仲間の一人が『こんな新鮮な肉は珍しい。もしかして(人肉食いするシナ人が)その子供をばらして市場に売りに出したのじゃないか』と言って、みんなで大笑いした(、と)」
「クリストフはとても満足して帰ったそうです。それが『子供を殺してその肉を食った』『いまもそれを思い出して枯れ木のような手が震える』『妻にも話せない』という話になった。こんなウソが、『ニューヨーク・タイムズ』の一面に載ったわけです」
イギリスの『インディペンデント』紙、ドイツの『南ドイツ新聞』などにも、同様の記事が載る。どれも三文紙ではない。それぞれの国を代表する高級紙である。日本で言うなら読売、朝日、毎日といったところか。そこに嘘っぱちで悪意に満ちた記事、下劣な内容の記事が堂々と載る。
ウソ八百の記事以外に、一見穏やかそうな内容の記事も載る。いずれも、日本人は集団人間である、働き過ぎである、道徳性に欠陥があるなど、日本人に対する固定観念を強化しようとする内容である。
特派員として東京に滞在している記者連中が、日本人を貶める文章をせっせと本国に送信する。そこまでひどいものではなくとも、日本人に対する先入観に基づいた記事も次々と送られる。欧米の読者は、日本人に対する優越感をくすぐられながら読むのである。やっぱりねと。
日本には言論の自由があるので、外国人特派員が本国向けに書く記事を検閲することはない。しかし、自由とはいっても、何をどう書いても全く問題がないわけではない。
真実に基づいた報道であるか嘘っぱちであるか、悪意がこもった記事ではないのか、偏見や差別を助長する内容であるかどうかなどは、大いに問題である。
もし問題のある報道があれば、それは指摘され反論されなければならない。しかし、そういった指摘や反論を、私たちは充分に行っているだろうか?
バランスの欠けた日本人観
欧米人は、自分たちの歴史、文明、文化、科学技術の優越性について確固たる誇りを持っている。加えて有色人種への差別意識がある。打ち消し難いほどの偏見を持っている。
特に、五百年先を走り続けていた西洋文明に一気に追いつき、目立った存在感を世界の中で示してきた有色人種への反感が、偏見、侮辱という形をとり、我々日本人に向けられることがある。これは事実のようだ。
十七世紀以降の西欧文明の繁栄について次のように書いている人がいる(脚注12)。
「ある社会の生命力は、自己のアイデンティティを失うことなく、また余分なマイナス要素を取り入れることなく、他の文化を十分に借用する能力に明白に示される」
松原氏は疑問を投げかける(脚注3、13)。
「ヨーロッパ人が他民族、他文化圏から何か役に立つものを取り入れれば、彼らは自分たちがいかに文化的に開かれ、受容能力があるかを誇らしげに語る。そこに何かを付け加えて成功したならば、『独創的』だと評価する。
ところが、もともとヨーロッパの発想であったものをどこか他の国で、例えば借用し、応用した場合には、この『独創的』という言葉はまず使われない。もし他の、非ヨーロッパ社会が同じことをすれば、激しい非難が巻き起こる」
ダブルスタンダード(二重の基準)が適用される。自分たちに甘く、他の文化に厳しい見方が選ばれる。
相手が日本人なら例えば次のように非難される。
「日本人は相変わらず猿真似をしている。彼らは役に立つと思われるものは何でも取り入れる。百年間彼らは西洋をコピーし続けた、政治機構であれ、法制度であれ、工業製品であれ、そしてそれを恥だと思ったことがない、真似という芸当は大昔から彼らの伝統だからだ」と。
本稿では、欧米人が日本人をどう思っているか、その深層心理を取り上げた。欧米人大多数の日本人観、それは「自分たちの優越性についての誇り」「有色人種への差別意識」「日本人への反感」に基づいている。残念ながら、事実や真実、正しい知識に基づくものではない。
彼らの多くは史実を知ろうとしない。ただ、もっと残念なことに、一般の日本人も史実を知らない。史実に目を向けようとしない。
日本人の世界観は歪んだままとなる。史実を知らないので、正確な知識を欧米人に伝えることもできない。史実を伝えたとしても挑戦と受け取られ、激しい反発にあう。知れば優越意識に染まった自分の先入観を修正するよう迫られるからだ。
こうして、誤解に基づく世界観を、お互いにずっと持ち続けることになる。それで良いのだろうか?良いはずがない。本稿の問題提起である。(了)
(本論「欧米から見た日本人」の冒頭に戻る)(マイ・アーカイブズへ)
脚注
3)松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」田中 敏訳、2005年、文藝春秋。
10)日下公人、高山正之「日本はどれほどいい国か」2008年、PHP研究所。
11)日下公人、高山正之、ibid. 18頁、26~28頁
12)Cipolla, C.M.: Guns and Sails in the Early Phase of European Expansion, London 1965.
13)松原久子、ibid. 15頁。
(3078文字)
2009年1月26日月曜日