さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅺ)ピースメーカー(2) 貴い犠牲(Ⅲ)文民統制の死
シビリアンコントロールの破壊
明治憲法下では、軍隊の統帥権は天皇にあった(脚注12)。しかし、実際には、天皇が直接命令を出すことなく、内閣の方針を陸海軍両大臣が軍部に伝えていた。そこには、緩やかだが、シビリアンコントロール(脚注13)の概念があった。
ところが、その概念を脅かすムーブメントがすでに起こっていた。満州事変の一年前(一九三〇年<昭和五年>)である。ロンドン軍縮会議(脚注14)で、世界各国は軍縮のために話し合いを持った。日本政府は、保有軍艦の比率を米国の約0.7にする条約を結び、批准した。
これを、野党立憲政友会の犬養毅(いぬかいつよし)と鳩山一郎(はとやまいちろう)は、次のように非難した。「軍令部の反対意見を無視した条約調印は統帥権の干犯である」と。つまり「天皇の承認を得ずにそんな大事なことを決めたのは、憲法違反だ」という非難である。
本来は天皇にあるべき軍隊の統帥権に対して、内閣が不遜にも干渉した。そうした政府への攻撃は、軍部と右翼団体に大きな同調者がでた。不満が渦巻き、新聞もそれを報じた。時の濱口雄幸(はまぐちおさち)首相は東京駅にて狙撃され、半年後に死亡。シビリアンコントロール死滅の予兆である。
野党は、「統帥権干犯」問題を政争の道具にした。かけがえのないシビリアンコントロールを人質に出した。危険な目に遭わせてしまった。あとで、野党だけでなく、すべての日本人が大きなツケを払うことになった。
新しいアイディアで政府を攻撃できるのは小気味良いものだ。広く同調者がでるなら、なおさらである。その気持ち良さの結末がどのようなものになるか。犬養らは、想像することさえできなかっただろう。
一九三一年<昭和六年>、満州で軍事行動を起こした関東軍は、当時の内閣が打ち出した「戦線不拡大方針」に対して、この悪魔の呪文を唱える。「統帥権の干犯だ」と。こうして、これまでの慣例を破壊し、内閣の方針を無視した。軍隊のシビリアンコントロールが失われた。
若槻禮次郎内閣は、軍部、世論に対抗できず、内閣の中にも離反者が出たために、総辞職を余儀なくされる。戦線不拡大の方針を堅持できず、軍部の動きを追認する次の内閣が生まれたのである(脚注15)。
軍部では、次のような見解が生まれる。「既成事実を積み上げよ。そうすれば政府の方針などひっくり返る」と。関東軍は勝手に国策を決定し、実行するようになった。軍部の独走である。
当時のメディア・新聞は、「統帥権干犯」という悪魔の呪文が広まることを見抜けず、野党、軍部、右翼の考えを垂れ流した。関東軍の働きを絶賛し、国民を勝利の美酒に酔わせた。世論を満州事変賛成に誘導した。結局、シビリアンコントロールに、死刑宣告を出してしまった。(つづく)
脚注
12)http://ja.wikipedia.org/wiki/統帥権:「統帥権干犯」問題は、海軍だけでなく帝国陸軍でも口実となる。満州駐留の関東軍は満州事変を主導した。それに対して、政府は不拡大方針を伝えた。この時、関東軍は「統帥権の干犯だ」と主張し、「東京の支配下には入らない」という強硬姿勢を見せることになる。
13)http://ja.wikipedia.org/wiki/シビリアンコントロール:文民統制と訳される。軍隊を誰が統率するのか。軍人以外のメンバーが率いる内閣がコントロールするシステムのこと。
14)http://ja.wikipedia.org/wiki/ロンドン軍縮会議
15)犬養毅:次の内閣を率いたのは、立憲政友会の犬養毅である。犬養は、野党時代に「統帥権干犯」問題を取り上げて与党立憲民政党を攻撃した。五・一五事件で射殺されたことで同情を一身に集めている。しかし、政府を攻撃するために使った同じ論法が、軍部の暴走に利用された。そして自らも命を落とす。犬養は、シビリアンコントロールを葬り去った側の一人。そのリッパな立役者と言えるかもしれない。
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2009年6月22日月曜日