さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅸ)絶対視されるワ ワのルーツと危険(Ⅴ)話合い絶対主義との訣別
歴史に学ぶと
私たちは、「ワ」「協調性」を重んじてきた。そこから、多大な恩恵にあずかってきた。草の根民主主義の精神は今も生きている。ボトムアップでの話し合いや打ち合わせを重ね、地域社会がかかえる課題への取り組みや会社での製品の品質改良などに貢献している。
敵対する相手がいても、最後まで徹底して追いつめることをせず、共存がはかれるような工夫と忍耐をすることに長けている。誰も見ていなくても、敵対する相手に卑怯なことはしない。ウソをついてでも相手をやりこめたり、攻撃したりすることを本能的に控える傾向がある。
言葉で表現せずとも、共通した文化の中で暮らしているものどうし、互いに分かり合える傾向がある。そのため、荒々しい言葉でトゲトゲしたやりとりをすることが少ない。無用な争いを控える傾向がある。
困難に際して、諸外国なら暴動が起こってもおかしくない時に、日本人は整然と忍耐強く振舞うことができる。「公(おおやけ)」のものを大切にし、秩序を守り、与えられた任務に忠実で、時間を守るなどという特性にも通じている。
それは、我々が何も考えておらず、自立精神が欠如していることを表しているわけではない。狭い国土の中で意見の違う人びとと共存するために生み出した知恵と言って良い。「ワ」「協調性」をもって過ごす方が、より心地よく暮らせることを、自然と身につけたからである。
これらの長所は、もっともっと伸ばしていけば良い。無理解な批判に対して、動揺したり恥じたりする必要はない。世界に誇れる、道徳的にも優れた特性だと言って良い。
しかし、「ワ」を絶対視することに伴う危険性が、確かに存在する。上述のような「話し合い絶対主義」の欠点を、私たちはどれだけ認識しているだろうか?
当事者同士の合意を絶対視して、他のいかなる倫理的、道徳的、法的な拘束を受けないという行き過ぎた考え方と対決しなければならない。当事者同士の合意以上に大切な価値や基準が存在することを伝え、基盤が脆弱な倫理観、道徳観を強固なものとしなければならない。
責任が不明確になりやすい傾向がある。「話し合って決めた」ということを免罪符としてはならない。責任の所在を明らかにする必要がある。「話し合い」の結果、実行すると決めたことについて、結果責任を問うシステムをさらに作り上げる必要がある。
逆に、「話し合い」の議題に上らず、そのまま放置してしまった場合の結果責任も、追求していく必要がある。
意思決定のスピードが要求される場面がある。「話し合い」の中に、絶えず時間のファクターを入れ込んでゆく必要がある。時間をかけてじっくり決めてゆけば良いことと、時間を限って最善の方策を決定していかなければならないこと、緊急事態・非常事態とを峻別する必要がある。
緊急事態・非常事態には、タブーを設けず、あらかじめそういった事態を想定した行動計画をシミュレーションしてゆく必要がある。
日本人同士なら言わなくても分かる「ワ」「協調性」だが、異文化に育った人々と接する時には、まず通じない。外国と付き合っていく時、すなわち外交や経済交流でも、ちぐはぐな経験をする。
自分の考えを言葉にして、具体的に発信することが苦手である。そのため、何を考えているかわからない、得体の知れない民族と思われてしまう傾向がある。
それを防ぐためにも、意見を表明するべき事柄、時(タイミング)、場所、状況を判別する能力と、自分の考えを発信する能力(コミュニケーション能力)を養い育てる必要がある。
セクショナリズム、別な言葉を使うなら、官僚主義、省益優先主義を絶対に許容しない仕組みが必要である。国益を最優先して総合的・大局的に判断する場、システムを確立する必要がある。国益優先主義を徹底させる不断の努力がなされるべきである。
総合的で冷徹な世界情報の分析と判断、大局に立った意思決定のためには、「話し合い絶対主義」と戦い、時には反対勢力を押し切ってでも正しい選択をしてゆく、強いリーダーシップが求められる。
日本では、独裁的な指導者は嫌われ、リーダーシップの発揮には重大な責任が伴う。「歴史が判断し、やがて答えをくれる」といった大きな視点に立ち、「話し合い絶対主義」と訣別しなければならないこともある。そうした視点や決断が、指導者にも国民にも求められる。
話し合いによってしても、到達することのできない真理や実現できない目標がある。その事実を受け入れるところから、「話し合い絶対主義」との訣別は始まる。日本人にとって簡単なことではないだろうけれど。(了)
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(1885文字)
2009年6月4日木曜日