さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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ⅳ)欧米から見た日本人(Ⅱ) 欧米人の本音
当時の欧米人の本音
もちろん、キリスト教的二元論の危うさや落し穴についても考察が必要だ。しかし、人間の持っている罪の性質が人々の心の目を曇らせ、差別意識を生んでいるのだろう。ベルツやオールコック以外の人物による著作にも、欧米人の本音、人種差別的行状というか蛮行が記されている(脚注3)。
一八五八年<安政五年>に徳川幕府はアメリカと修好通商条約を結んだ。それは日本にとって不平等な内容だった。言わずと知れた、治外法権、領事裁判権、関税自主権に関する不平等条約だった。
その他、金銀の交換比率が国際レートと違っていていたことも大きな問題を生む。実は外国人にとってボロ儲けとなる仕組みだった。日本がある国と一つの条約を結ぶと、他の欧米諸国とも同様な条約を結ばなければならなかった。
ボロ儲けの噂を聞きつけて、欧米から沢山の無法者が日本にやってきた。日本は条約締結から数ヶ月間のうちに空前のゴールドラッシュに見舞われた。日本の「金」が底をつき、極度のインフレが起こった。詳しくは別項目を立てて述べる。
この時期に治外法権地域のフランス地区に駐在していたリンダウという名の医者が、ゴールドラッシュの数ヶ月に見たこと、感じたことを書き残している(脚注8)。
「我々は日本人の尊敬を全く失ってしまった。洗練されたマナーや高貴な道徳ばかりでなく、人間としての最低限の要件まで失ってしまった。最も品位に欠けたヨーロッパ人が来るようになってから、日本人の心の平和と幸せはめちゃめちゃにされてしまった。
白人のいるところには、いつも危険と恐怖があった。酔っぱらって大暴れする、私と同じ人種の黄金の亡者たちのやることは、悪行ばかりだった。
彼らはわめき声をあげながら町を歩き回り、店に押し入り、略奪した。止めようとする者は蹴られ、殴られ、刺し殺され、あるいは撃ち殺された。我が同胞たちは、通りで婦女を強姦した。寺の柱に小便をかけ、金箔の祭壇と仏像を強奪した」
たとい悪行を働いた彼らを捕まえても、領事裁判権の関係で日本側に裁く権限はなかった。それぞれの国の領事に渡さなければならなかった。彼らのほとんどは何も罰せられることがなかった。まさに野放しだった。
耳を疑ってしまう記述である。本当に心を痛める話である。訴えているのが日本人なら「大げさに騒いでいるのでは」と、疑念を持たないわけでもない。だが加害者と同じ欧米人自身の言葉だ。書かれていることが、紛れもない事実だったと確信できる。松原氏は続ける(脚注9)。
「日本は植民地になったわけではないが、条約から見れば、植民地として扱われていたといっても過言ではない。当時欧米諸国は、日本を自分たちと対等な国だとは考えていなかった。自分たちとは異質な、非キリスト教国であり、有色人種であり、劣等民族であると信じていた」
「だから大抵の白人は、あたかもこの国の主人であるかのように日本で振舞った。そのように振舞うことは彼らには至極当然のことだった。というのは、彼らは、世界の主人公は自分たち白人であり、世界のどの土地でも、その土地の住民から何ら制約を受ける必要はないという意識をもって生きていたからである」
「それは何も両替のボロ儲けを目指してやってきた欧米の山師たちに限らない。彼らは人前でこの意識を露骨に見せたために分かりやすかっただけで、白人の優越感は、条約締結に情熱をかけた外交官とその背後にひかえる国々の当然の感情だった」
何と恐ろしい時代、不正義、不平等の支配する世の中だったのだろう。何という差別と偏見の中にいたのだろう。当時の日本人は、欧米諸国の支配するその時代の中で、理不尽な不正義、不平等、差別と偏見と闘わざるをえなかったのである。
無理解はもう終わったか?
ある人は言うだろう。それは昔の話だ。帝国主義の時代は終わった。二度の世界大戦を経て、世界の人々は多くのことを学んだ。戦後アメリカは日本に親切にしてくれた。日本も自由主義陣営に加わり欧米と仲良くしてきた。
現代は民主主義、人種平等の時代だ。欧米人も人種差別をやめている。一五〇年以上交流を続け、今では西欧人の日本に対する意識、認識は変わった。まだ偏見があるとしたら逆に日本の方に問題があるからかもしれない、と。
確かに不平等条約は改正された。表面上は平等、対等である。松原氏も時代精神が移り変わっていることは指摘している(脚注4)。
欧米メディアが、日本にキリスト教徒がわずかしかいないのは精神の劣等性の表れである、などと伝えることは今日ほとんど考えられない、と。しかし、松原氏は、オールコックから一五〇年を経ても、日本を対等な国とみなすかどうかという点における西欧人の考え方は基本的に変わっていないとしている(脚注4)。
「日本を全くの対等の国とみなすには、どこかに深い抵抗感がある。どうしても上等下等、善悪正邪の烙印を押さなければ気がすまない」
「そうなれば、欠点、弱点、奇妙な点はいくらでも見つかる。どんな社会にもその社会独自の苦悩があり、マスコミには具体的なひどさが毎日満載されている。日本駐在の欧米人は、その中から日本独特だと思われるものを、新しい包装紙に包んで本国に送ればよい」
「曰く、日本人には欧米では自明な自由と個人主義の観念がない。曰く、日本人は生活の質に対する感覚を持っていない。
曰く、集団人間であるから操作、誘導されやすい。働き過ぎや、商品の大量な輸出もそのせいである。曰く、戦時中のアジア諸国における日本人の犯罪行為が未解決なのは、日本人の道徳性に欠陥があるからだ、などなど」
「それは、欧米の多くの読者、視聴者を、ちょうどオールコックの本がそうしたように、満足させ、気持ちよくさせている。日本人が自分たちと違っている限り、日本人は自分たちと対等な人間ではないという、欧米人の潜在意識を快くくすぐるメッセージは昔も今も変わらない」
欧米人にとって、日本は未開の国の一つだったという「妄想」「陳腐な発想」から自由になる必要は全くない。自分たちとは異なった文明の中にいる人々は、優れた先導的なヨーロッパに比べて劣っているとレッテルを貼り続けるほうが楽しく心地よいのである。(つづく)
脚注
3)松原久子「驕れる白人と闘うための日本近代史」田中 敏訳、2005年、文藝春秋。
4)松原久子、ibid. 29~30頁。
8)松原久子、ibid. 160~161頁。ここにリンダウの言葉として引用されている。出典不詳。
9)松原久子、ibid. 162~163頁。
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2009年1月25日日曜日