さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’’’’’)番外編12 日本滅亡と帝国海軍(Ⅸ’)日米海戦概要一覧
資料)主な日米海戦概要一覧
今回は、参考資料として主な日米海戦の概要を一覧としてお示しする。
珊瑚海海戦
一九四二年五月七日
日本側戦力:空母「翔鶴」「瑞鶴」、軽空母「祥鳳」計三隻、
重巡七隻、軽巡二隻、駆逐艦十二隻。
米軍側戦力:空母「ヨークタウン」「レキシントン」二隻、
重巡七隻、軽巡一隻、駆逐艦十三隻。
日本側損害
空母「祥鳳」撃沈、「翔鶴」中破。
米軍側損害
空母「レキシントン」撃沈、「ヨークタウン」中破、駆逐艦一隻沈没。
日本の戦術的勝利、戦略的敗北
ミッドウェー海戦(http://ja.wikipedia.org/wiki/ミッドウェー海戦)
一九四二年六月五〜七日
日本側戦力
空母「赤城」「加賀」「蒼竜」「飛竜」四隻、戦艦十一隻、重巡十隻、軽巡六隻、
駆逐艦五十三隻。
米軍側戦力
空母「エンタープライズ」「ホーネット」「ヨークタウン」三隻、重巡七隻、
軽巡一隻、駆逐艦十五隻、ミッドウェー島基地航空隊。
日本側損害
空母四隻沈没、重巡一隻沈没、重巡一隻大破、駆逐艦一隻中破、
戦死三〇五七人、うち航空機搭乗員一一〇人。
米軍側損害
空母一隻沈没、駆逐艦一隻沈没、戦死三〇七人、うち航空機搭乗員一七二人。
米軍側の勝利
第一次ソロモン海戦
(米側呼称はサボ島沖海戦)
一九四二年八月八〜九日
日本側戦力:重巡五隻、軽巡二隻、駆逐艦一隻。
米軍側戦力:重巡六隻、軽巡二隻、駆逐艦八隻。
日本側損害:重巡一隻沈没(敵潜水艦による)、重巡一隻小破。
米軍側損害:重巡四隻沈没、重巡一隻大破、駆逐艦二隻中破。
日本の戦術的勝利、戦略的敗北
第二次ソロモン海戦
(米側呼称は東部ソロモン海戦)
一九四二年八月二四日
日本側戦力:空母「翔鶴」「瑞鶴」「龍驤」三隻、戦艦三隻、
巡洋艦十隻、駆逐艦十六隻。
米軍側戦力:空母「サラトガ」「エンタープライズ」「ワスプ」三隻、戦艦一隻、
巡洋艦七隻、駆逐艦十六隻。
日本軍損害:空母「龍驤」沈没、艦載機二十五機。
米軍側損害:空母「エンタープライズ」中破、艦載機九機。
「サラトガ」大破(八月三十一日、伊号潜水艦による)
「ワスプ」沈没(九月十五日、伊号潜水艦による)。
米軍の勝利
サボ島沖夜戦(http://ja.wikipedia.org/wiki/サボ島沖夜戦)
(米側呼称はエスペランス岬沖海戦)
一九四二年十月十一日深夜
日本側戦力:重巡三隻、駆逐艦二隻
米国側戦力:重巡二隻、軽巡二隻、駆逐艦五隻
日本側損害:重巡一隻沈没、一隻大破、一隻小破、駆逐艦三隻沈没
米国側損害:重巡一隻小破、軽巡一隻大破、駆逐艦一隻沈没、一隻大破
米軍の戦術的勝利、日本軍の戦略的勝利。輸送任務そのものは成功した。海戦自体に敗北したのに輸送任務を本格的に護衛できたほとんど唯一の例である。
ヘンダーソン基地艦砲射撃(厳密には海戦とはいえないがここに載せる)
一九四二年十月十三〜十四日
日本側戦力:戦艦三隻、軽巡一隻、駆逐艦八隻
米軍側損害:航空機五十四機、飛行場破壊
南太平洋海戦
(米側呼称はサンタ・クルーズ諸島海戦)
一九四二年十月二十六日
日本側戦力
空母「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」「隼鷹」四隻、戦艦二隻、重巡八隻、軽巡二隻、
駆逐艦二十二隻
米軍側戦力
空母「エンタープライズ」「ホーネット」二隻、戦艦一隻、重巡四隻、軽巡五隻、
駆逐艦十四隻
日本側損害
空母「翔鶴」「瑞鶴」二隻中破、重巡一隻大破、駆逐艦二隻小破、
航空機損失九二機、パイロット戦死一四八人、艦船乗組員戦死二五〇〜三五〇人
米軍側損害
空母「ホーネット」沈没、「エンタープライズ」中破、戦艦一隻小破、軽巡一隻小破、
駆逐艦一隻沈没、一隻大破、航空機損失七四機、パイロット戦死三九人、
艦船乗組員戦死二五四人
日本の戦術的勝利、戦略的敗北。陸軍部隊の支援という戦略目的は果たせなかった。しかも、艦爆機、艦攻機の航空機損失が激しく、多くのベテランパイロットを失う。
第三次ソロモン海戦
一九四二年十一月十二〜十五日
第一夜戦
十三日午前二時
日本側戦力:戦艦二隻、軽巡一隻、駆逐艦十一隻。
米軍側戦力:重巡二隻、軽巡三隻、駆逐艦八隻。
日本側損害:戦艦一隻沈没、駆逐艦二隻沈没。
米軍側損害:重巡二隻大破、軽巡一隻沈没、駆逐艦四隻沈没、三隻大破。
日本の戦術的勝利、戦略的失敗。米軍は壊滅的打撃を受けたものの、日本も戦艦による艦砲射撃は断念する。
ヘンダーソン基地への艦砲射撃
十三日深夜〜十四日
日本側戦力:重巡二隻、軽巡一隻、駆逐艦四隻。
米軍側戦力:空母「エンタープライズ」一隻、艦載機、基地航空隊。
日本側損害:重巡一隻沈没、輸送船六隻沈没
米軍側損害:ヘンダーソン飛行場損害(基地機能は一日で回復)
第二夜戦
十四日深夜〜十五日)
日本側戦力:戦艦一隻、重巡二隻、軽巡二隻、駆逐艦四隻。
米軍側戦力:戦艦二隻、駆逐艦六隻。
日本軍損害:戦艦一隻沈没、駆逐艦一隻沈没
米軍側損害:戦艦一隻小破、駆逐艦四隻沈没、一隻大破、一隻小破
日本の戦術的、戦略的敗北。
ルンガ沖夜戦(http://ja.wikipedia.org/wiki/ルンガ沖夜戦)
(米側呼称はタサファロング沖海戦)
一九四二年十一月三十日
日本側戦力:駆逐艦八隻
米軍側戦力:重巡四隻、軽巡一隻、駆逐艦六隻
日本側損害:駆逐艦一隻
米軍側損害:重巡一隻沈没、三隻大破
日本の圧倒的な戦術的勝利、戦略的失敗。ガダルカナル島攻防をめぐる輸送船団と護衛艦隊による組織的な戦いの最後となる。日本海軍は以降駆逐艦による、いわゆる「ねずみ輸送」を選ぶ。
レンネル島沖海戦
一九四三年一月二十九〜三十日
日本側戦力:一式陸攻二十六機、九六式陸攻十五機
米軍側戦力:重巡三隻、軽巡三隻、駆逐艦六隻
日本側損害:航空機十機
米軍側損害:重巡一隻沈没、駆逐艦一隻大破
日本の勝利
マリアナ沖海戦(http://ja.wikipedia.org/wiki/マリアナ沖海戦)
(米側呼称はフィリピン海海戦)
一九四四年六月十九〜二十日
日本側戦力
空母「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」「隼鷹」「飛鷹」五隻、
軽空母「龍鳳」「瑞鳳」「千歳」「千代田」四隻、
戦艦五隻、重巡十一隻、軽巡二隻、駆逐艦二十隻、潜水艦二十一隻の合計六十八艦
基地航空部隊(ヤップ島、グアム島の部隊)、他油槽船も
(サイパン島、テニアン島の基地航空部隊は敵空襲で壊滅していた)
米軍側戦力
空母「ホーネットⅡ」「ヨークタウンⅡ」「バンカーヒル」「ワスプⅡ」
「エンタープライズ」「レキシントンⅡ」「エセックス」七隻
軽空母「ベロー・ウッド」「バターン」「モントレー」「カボット」「プリンストン」
「サン・ジャシント」「カウペンス」「ラングレー」八隻
戦艦七隻、重巡八隻、軽巡十二隻、駆逐艦六十七隻の合計一〇九艦
日本側損害
空母「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」三隻沈没、「隼鷹」中破、「瑞鶴」小破
軽空母「龍鳳」「千代田」二隻小破
戦艦一隻小破、重巡一隻小破
潜水艦八隻喪失(マリアナ沖海戦前後あわせると二十一隻中十七隻喪失)
艦載機三七八機損失、搭乗員三八八名戦死
油槽船二隻沈没、一隻小破
米軍側損害
空母二隻小破、戦艦二隻小破、重巡二隻小破
艦載機一二三機損失、搭乗員一〇一名戦死
米軍の圧倒的勝利。米軍がマリアナ諸島に侵攻し日本軍が迎撃。日本海軍が米軍との決戦を意図し両軍空母同士の航空決戦となった。日本機動部隊の母艦航空隊は「マリアナの七面鳥撃ち」と揶揄されるほどの一方的な敗北を喫する。
以降、日本海軍は「組織的な作戦能力を完全に失った」。マリアナ諸島の大半は米軍が占領。西部太平洋の制海権と制空権は完全に米国の手に陥ち、本土爆撃の基地ともなってしまう。
レイテ沖海戦(米側呼称はフィリピン海海戦)
一九四四年十月二十三〜二十五日
日本側戦力:空母四隻、戦艦九隻、重巡十三隻、軽巡六隻他。
米軍側戦力:空母十七隻、護衛空母十八隻、戦艦十二隻、重巡十一隻、軽巡十五隻他。
日本側損害:空母四隻、戦艦三隻、重巡六隻、軽巡一隻、駆逐艦六隻沈没
米軍側損害:空母一隻、護衛空母二隻、駆逐艦三隻沈没
米軍の圧倒的勝利に終り、日本海軍はそれ以降の組織的戦闘能力を喪失してしまう。複雑な海戦のため少し詳しく解説する。
次の四つの海戦からなる。
シブヤン海海戦 (二十四日八〜十六時)
スリガオ海峡海戦 (二十五日三〜五時)
エンガノ岬沖海戦 (二十五日八〜十八時)
サマール沖海戦 (二十五日七〜九時)
日本軍指揮系統は次の通り
ⅰ)連合艦隊(豊田副武大将)
第二艦隊
第一遊撃部隊第一〜二部隊(栗田艦隊:栗田健男中将)
戦艦五、重巡八、軽巡二、駆逐艦十五
第一遊撃部隊第三部隊 (西村艦隊:西村祥治中将)
戦艦二、重巡一、駆逐艦四
随行油槽船八
第三艦隊(小沢機動部隊:小沢治三郎中将)
空母一、軽空母三、戦艦二、軽巡三、駆逐艦九、実働機一一六機
随行油槽船二
第六艦隊 潜水艦部隊 十五隻
基地航空部隊 実働二六三機
ⅱ)南西方面艦隊
第二遊撃部隊(志摩艦隊:志摩清英中将)
重巡二、軽巡一、駆逐艦七
ⅲ)南方軍 第四航空隊と陸軍第十四方面軍
米軍指揮系統は次の通り
ⅰ)第三艦隊(太平洋艦隊司令長官:ニミッツ大将指揮下)
(ハルゼー機動部隊:ハルゼー大将)
第三十八任務部隊(38TF1、38TF2、38TF3、38TF4)
第一群(マケイン中将) 空母三、軽空母二、重巡四、軽巡二、駆逐艦二十一
第二群(ボーガン少将) 空母二、軽空母二、戦艦二、軽巡三、駆逐艦十八
第三群(シャーマン少将) 空母二、軽空母二、戦艦一、軽巡四、駆逐艦十四
第四群(デヴィソン少将) 空母二、軽空母二、戦艦二、重巡二、駆逐艦十一
役務部隊 給油艦三十三、護衛空母十一、曳船十、駆逐艦四十五
第三十四任務部隊
十月二十四日十五時三十分付けで編成を宣言
第三十八任務部隊第二〜四群から戦艦六、巡洋艦七、駆逐艦十七を抽出して編成
ⅱ)潜水艦部隊(ロックウッド中将)九隻
ⅲ)第七艦隊(キンケイド中将、最高司令官マッカーサー陸軍大将指揮下)
第七十任務部隊
第一群 高速魚雷艇隊 三十九隻
第七十七任務部隊
第二群(オルデンドルフ戦艦部隊77TF2:オルデンドルフ少将)
戦艦六、重巡四、軽巡三、駆逐艦二十七
第四群 護衛空母部隊(T・スプレイグ少将)
第一集団(T・スプレイグ少将) 護衛空母三、駆逐艦七 (77TF41)
第二集団(スタンプ少将) 護衛空母六、駆逐艦七 (77TF42)
第三集団(C・スプレイグ少将) 護衛空母六、駆逐艦七 (77TF43)
潜水艦部隊
第七十八任務部隊 北部攻撃
第七十九任務部隊 南部攻撃
上陸部隊 総勢二十万人余
十月十七日、米軍レイテ湾の小島に上陸を開始。連合艦隊司令部は次のような作戦を立てて発動する。
a)小沢機動部隊を囮部隊としてハルゼー機動部隊を北につり出す
b)第一遊撃部隊主隊「栗田艦隊」は、東側からレイテ湾の敵泊地に突入する
(シブヤン海からサンベルナルジノ海峡を突破するルートを辿る)
c)第一遊撃部隊枝隊「西村艦隊」は、南方からレイテ湾の敵泊地に突入する
(スリガオ海峡南口を通過するルートをとる)
d)第二遊撃部隊「志摩艦隊」は、西村艦隊と同じ経路でレイテ湾の敵泊地に突入する
e)基地航空部隊は、栗田艦隊に呼応して敵機動部隊と攻略部隊を攻撃(特攻)する
シブヤン海海戦
二十四日八時過ぎ、栗田艦隊はルソン島南のシブヤン海に差し掛かったところでハルゼー機動部隊に発見される。38TF2、38TF3、38TF4から航空機発艦。「武蔵」などに攻撃が集中。十五時半に反転して空襲圏外へ退避。
夕方、ハルゼーはようやく小沢機動部隊を発見。敵主力と判断。栗田艦隊は第七艦隊に任せ攻撃中止を決定する。ハルゼー機動部隊はルソン島東を北上し始め、連合艦隊の目論み通り北につり出すことになる。
スリガオ海峡海戦
二十五日未明、西村艦隊は夜戦を仕掛けてスリガオ海峡を突破し、レイテ湾に突入することを企図。もともと栗田艦隊と同時に突入するはずだったが、栗田艦隊が一時反転したために遅れる。西村艦隊は単独突入を試みる。志摩艦隊は二時間後に突入。
図44 スリガオ海峡海戦 一九四四年十月二十五日
米軍第七艦隊キンケイドは、オルデンドルフ戦艦部隊77TF2に迎撃を命じる。主力はスリガオ海峡の出口で西村艦隊と志摩艦隊を待ち伏せする。魚雷艇隊と駆逐艦隊がスリガオ海峡入り口で雷撃しダメージを与え、残った艦船を主力が粉砕。五時少し前に「二戦隊全滅大破炎上」を打電。
エンガノ岬沖海戦
二十五日七時過ぎ、小沢機動部隊はハルゼー機動部隊からの偵察機を発見。直援戦闘機を除く艦載機を陸上基地に退避させ、囮の役割を果たすために北上する。八時十五分、敵機動部隊38TF2〜4からの攻撃隊に襲撃を受ける。38TF1は補給中のため参戦せず。
図45 エンガノ岬沖海戦(図の<3>での海戦) 一九四四年十月二十五日
ハルゼーはサマール沖への援軍を要請され、十一時過ぎ、38TF2などにレイテ沖行きを命じる。しかし、栗田艦隊のレイテ湾突入は、38TF2〜4による阻止攻撃からは開放された。小沢機動部隊は十七時前に空母四隻全てを失うも囮作戦自体は見事に成功する。
サマール沖海戦
二十五日〇時三十分、栗田艦隊はハルゼー機動部隊の妨害を受けずにサンベルナルジノ海峡を通過する。サマール島沖に差し掛かっていた。この時点の戦力は戦艦四、重巡六、軽巡二、駆逐艦十一だった。
図46 サマール沖海戦 一九四四年十月二十五日
77TF43を発見した栗田艦隊は七時に攻撃を開始。ただし栗田は敵を第三艦隊ハルゼー機動部隊の一部と誤認。最後までその誤認を引きずったという。
第七艦隊キンケイド中将は77TF4のT・スプレイグ少将に退避を明確に禁じる。第三艦隊や第七艦隊の77TF2オルデンドルフ戦艦部隊の応援が間に合うまでの時間稼ぎを指示。77TF43第三集団の駆逐艦部隊を栗田艦隊に肉薄させる。
栗田艦隊は攻撃を行なったが、結局護衛空母一隻と駆逐艦三隻を撃沈したにとどまった。九時過ぎ、敵の攻撃に分散した艦隊の集合を命じ、十一時にレイテ湾への進撃を再開。しかしその後、反転北上してしまう。
第三集団は、他の集団と同様に敵特攻機の攻撃を受けることになるが、栗田艦隊からの攻撃からは解放される。第三集団の戦死者は約千二百人、負傷者八百人、航空機の損失は百機だったという。
栗田艦隊は二十五日二十一時過ぎにサンベルナルジノ海峡を通過。翌二十五日夜明け以降にハルゼー機動部隊から臨時編成された艦隊に追撃されるが、若干の犠牲を出しつつも主力のブルネイ帰投を二十八日に実現している。
(つづく)
(5721文字)
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2011年4月17日日曜日