さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 16)信長の世界戦略
千字でたどる日本の教会史
16)信長の世界戦略
信長の人物像がフロイスの記述にある。「中背痩躯で…声ははなはだ快調、きわめて戦争を好み…名誉心強く、義にきびしい」「決断を秘してあらわさず、戦略においてきわめて狡猾、気性激しく、癇癪もち」「部下の進言にほとんど左右されることがなく…皆から極度に恐れられ、尊敬されていた」「行動を何物にも拘束されない、その見解は尊大不遜」「日本の王侯をことごとく軽蔑」「すぐれた理解力と明晰な判断力」「忍耐強く、度量が大きい」。このような人物がフロイスに会う。一五六九年、まず能を聴きながらさりげなく、次に衆人環視のなか二条城建築現場で、三度目は個人的にじっくり。まず遠方からはるばる来た人をどう扱うべきか考え、次に神父が真に外国の公的機関からの派遣者であることを確認し、そして欧州やインドの様子を聞いた。
信長は「彼らは日本人が見たことも聞いたこともない遠方の大きな国からやってきた」とよく言った。彼らは遠い外国からの「外交官」だった。粗略に扱うべきではない。信長のまなざしは国外に向けられていた。一五八一年、本能寺で巡察師ヴァリニャーノにも会う。京都で挙行されたド派手な軍事パレード「馬揃え」に彼を招待した。主賓として特別の高台で観覧させた。この一大デモンストレーションは、内裏、公家、諸候、民衆にのみ向けられたものでない。日本の王が誰かを世界に向けて発信した。世界の王侯と相互交換可能なシンボルとして、信長は赤いビロードの帽子と深紅の椅子を用いた。
日本の諸候は狭い領土をめぐって争い、世界に思いを馳せることがなかった。だが信長は違った。宣教師を通し、絶対王政を確立していたポルトガル・スペインの国情に直接触れ、文明の高さを知った。スペイン・ボルトガル王が世界の支配者であるという話は、「小心者」をこわがらせたが、信長にはヒントを与えた。彼は地球儀を手にして自らの行くべき道を展望した。信長は余人が思いつかないことを考えた。フロイスは、信長の最終目標は「アジア征服」にあったと次のように述べている。「毛利氏を征服し終えて日本の全六十六ヶ国の絶対領主となったならば、中国にわたって武力でこれを奪うため一大艦隊を準備させること、および彼の息子たちに諸国をわけ与えることに意を決していた」
人々の思いをよそに、歴史は時代の車輪を前に回すために信長を選ぶ。彼に護られて教会は成長し、キリシタンたちもその中に織り込まれていった。
(1000文字)
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2012年2月5日日曜日