さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 17)天正遣欧少年使節(1)
千字でたどる日本の教会史
17)天正遣欧少年使節(1)
信長は安土のセミナリオ(神学校)に突然やってきた。時計を観、また備え付けのクラヴォとヴィオラを見て両方とも演奏させ、これを聴いて喜んだ。クラヴォを弾いた少年とヴィオラを弾いた者を褒め、なかなか帰ろうとしなかった。ヴァリニャーノは見た。キリスト教が天下人の信長にいかに保護されているかを。
信徒が増えて経費もかさんだ。コレジオ(大学)、セミナリオ、ノヴィシャド(修練院)が作られた。未来への種まきだったが浪費と批難された。宣教師会議の決議文が残っている。日本の教会は発見された全ての地域において最も重要で、多大な成果があり今後も期待できるが、成長を持続させるには、神父の不足と過労、教育制度不備、経済的窮乏などの障害を乗り越える必要がある、と。ヴァリニャーノは思いつく。キリシタン諸侯の使節をローマに送り自分も同行しよう。教皇に日本教会の存在を知らせ、この重要な教会への積極的援助をかち得よう。こうして彼は少年四人を選び、欧州へ連れて行くことにした。
使節団の主たる正使、伊東マンショは大友宗麟の甥で、優れた記憶力と技巧の持ち主、常に平静さを崩さず、口数は少なく端然としている。もう一人の正使、千々石ミゲルは有馬晴信の従弟で大村純忠の甥だった。母一人子ひとりで育ち、優しく可愛らしく、誰からも愛された。副使の原マルティーノと中浦ジュリアンは武士の子息だったが、大名の親戚ではない。信仰、叡智、思慮、謙遜をセミナリオで認められて選ばれた。マルティーノは賢く学者肌で、ラテン語と日本語に優れた才能を発揮した。海辺に育ったジュリアンは釣りの得意な普通の少年だった。
信長は狩野永徳に命じて金屏風を作らせ、安土の壮麗な景観を精密に描かせた。京で評判になり内裏が所望したほどのこの傑作は、ヴァリニャーノに託し教皇に贈られた。ヴァリニャーノは考えた。日本人は欧州の高度な文明を信じない。他方、欧州人は人種的偏見からアジア人の優秀さを認めない。実物を見せよう。見れば信じてくれる。その優秀さを相互に認めさせることになるだろう。使節の意義は、一般歴史家からも積極的に評価されている。所詮、行ってみなければわからない。大友、有馬、大村三侯の遣欧使節は、その意味で日本人が欧州文化の中に身を置き、直に触れた出来事として日欧文化交渉史上最も重要な役割を果たした、と。全く異なる二つのものが出会い、たぐい稀な時代が到来したのだった。
(1000文字)
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2012年2月12日日曜日