さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 12)ヴァリニャーノの適応主義
千字でたどる日本の教会史
12)ヴァリニャーノの適応主義
日本と中国での宣教は他と全く違っていた。両国は欧州政治権力の外にあった。イエズス会は、西欧と同レベルの「飛び抜けて進んだ二つの文明」と遭遇。こうした背景のもとで、ヴァリニャーノは劇的に方針を転換する。当時、異文化に自然な尊敬を払うことなど常識の外にある態度だった。特に、世界を分割して征服したポルトガル人、スペイン人には至難の業である。ルネサンスの人文主義を生んだイタリア人、その資質と教養を有する者にのみ可能だった。ヴァリニャーノ、オルガンティーノ、中国伝道で大きな役割を果たしたミケーレ・ルッジェーリとマテオ・リッチ、みなイタリア人だった。偶然ではない。
聖書の創造主は日本の神仏と習合できない。でも、西洋人とは違う日本人の思考方法、習慣、文化は尊重する。破壊しない。その中でキリスト教精神を育てる。日本を西洋化しないが、旧い日本に固執はしない。両者を融合し新しい日本文化を作る。これは後に「適応主義」と呼ばれる。今は世界標準の原則だ。それをヴァリニャーノが初めて最も具体的な形で実行した。しかも日本で最も成功する。一時的にだったが。
彼は改革を次々に指示した。前項で書いたとおり。誰にでも礼節を尽くせ。日本語を覚え習慣を尊重せよ。他に、日本人イエズス会士にもラテン語や欧州言語を教え、欧州出身の会士と同一待遇を与えよ。神学校や大学を作って日本人に学ばせよ、など。上長とはいえ、新参の若いイタリア人への風当たりは強く、執拗な反対にあった。特にカブラル、フロイス、コエリヨのポルトガル三人組などから。何も変える必要はない!無駄遣いだ!ただ、具体的な順応と適応は非常に難しい。特に衣食住の習慣などは不可能に近い。トーレス、アルメイダ、オルガンティーノは肉を食べず、お粥と味噌汁と大根の葉で満足した。誰もが真似をできたわけではない。
ともあれ、彼の方針転換により日本の教会の危機は去る。逆に最盛期を迎える。キリシタン史研究者の海老沢有道氏は評価する。「ヴァリニャーノほど正当に、当時の日本を理解し、政治から文化、風習に至るあらゆる分野にわたって学的分析を加え、それに対処し、それとの融合点を見出し、多くの困難にもかかわらず、美事な成果を収めた人物は、他に見当たらない」と。私たちも自分とは異質の人々に出会う。自然な尊敬を払えるか?しかも周囲の常識や猛烈な反対に逆らってまで。いまも問われているような気がする。
(1000文字)
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2012年1月8日日曜日