さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
〜 PEK’s à la carte & BookShelf 〜
さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
〜 PEK’s à la carte & BookShelf 〜
千字でたどる日本の教会史 15)信長の政教分離政策の功罪
千字でたどる日本の教会史
15)信長の政教分離政策の功罪
信長が戦った敵は、何も戦国大名だけではなかった。十六世紀まで、寺社は武装集団だった。比叡山延暦寺、法華宗、真宗本願寺などが、互いに血で血を洗う戦いを繰り広げていた。日本の宗教戦争である。そこで、戦いはやめて信仰に専念せよと要求したのが信長である。だが彼らは拒絶した。とくに本願寺は信長を「仏敵」として戦いを挑み続けた。また長い間、延暦寺などは同業者とカルテルを結び、燈火用の油といった商品のパテント料で莫大な利益を得ていた。市場への出店も許可制で高いテナント料を課した。信長は楽市・楽座を実施して全ての賦課、関税、通行税を廃し、庶民を自由で豊かにした。寺社の既得権益が打ち壊され、彼らは武力で立ち向かった。
信長は一五六八年に上洛したが、天下人への道のりは険しかった。畿内と周辺の大名、大阪の石山本願寺に三たび包囲される。本願寺は信長と戦う中で何度も和睦したが、いつも本願寺側から休戦協定を破った。十一年に及ぶ石山合戦(本願寺との戦い)は壮絶をきわめた。後世、残酷な信長というレッテルを貼られたほど。一五八〇年、本願寺側が最終的に降伏。以降、日本国内から宗教戦争が消滅した。
この時代、日本は大きな転換期を迎えた。寺社は信仰に専心し、自分の要求実現のために武器をとって殺し合うような宗教は存在しなくなった。作家の塩野七生氏は述べる。「不思議にも、非宗教的とされている日本が、他のどの宗教的なる国よりも、イエス・キリストの次の言葉を実践している…『カエサルのものはカエサルに、神のものは神に』これも、四百年の昔に、大掃除をしてくれた信長のおかげである」大掃除とは、武装宗教勢力の虐殺を言う。信長は武力で政教分離を実現した。世界のどこでも達成されていなかった偉大な功績だというわけだ。
いま多くの日本人は自分が無宗教と公言している。宗教がからむテロや戦争のニュースを聞き「宗教は怖い」と感じる。宗教は、弱い人、判断力のない人のものと考える。こうした偏見の始まりはいつか。宗教戦争の終わりは、宗教が命をかけるほどのものではないという常識を生んだ。塩野氏は「日本人は宗教に免疫になった」と表現する。免疫、すなわち無関心になったのである。教会は信長の庇護のもとで成長をした。しかし、やがて社会は宗教に無関心になる。「無関心」それは信長の功績が生んだ副産物である。教会は別のとても厄介な怪物と戦うことになってしまった。
(1000文字)
●
2012年1月29日日曜日