さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 13)フロイスの日本史
千字でたどる日本の教会史
13)フロイスの日本史
フロイスは有名である。その大著「日本史」で研究者に貴重な史料を残し、多大な貢献をした。彼は後進のために執筆を開始した。だがそれは世に出ず、マカオの教会に留め置かれた。原因は、冗長、膨大に過ぎるとして書き直しを命じられたのに、本人が拒否したからだ。ずっと忘れられたまま原本は焼失。世界に散逸した写本が二十世紀に入り蒐集された。活字による出版は一九七七年の日本語版が世界初だった。
一五六三年、ポルトガル出身の彼は三十一歳で来日。二年後に京都入りを果たす。一五六九年、信長に謁見し京都での布教許可を得た。人嫌いで名高い信長と十八回も面談。異例である。ヴァリニャーノが信長に、コエリヨが秀吉に拝謁した時も通訳として同席。秀吉にもたびたび面談した。一五九七年、長崎にて六十五歳で死去。
代表作「日本史」は、観察眼にすぐれ細かい事実の記述に定評がある。諸侯や武将の動向から庶民生活の実情、災害や事件など、その描写は客観的。日本側がタブー視したことも恐れずに書いた。例えば、内裏(天皇)が貧乏、将軍が愚か、秀吉が欺瞞的で右手親指が一本多かったなど。日本人の口からは決して語られることのない、当時の日本のありさまが鮮明に見えてくる。他方、年代などは正確さを欠き、歴史的史料として一部信用できない。ヴァリニャーノは「大いに慎重さに欠け、誇張癖があり、相当に軽率、かつ小心で些事にこだわり、中庸を保つことができない」と酷評。厳しい見方かもしれないが、都合の悪い事実を隠したり書かなかったりした。つまりごまかしである。迷信深く、悪魔や奇蹟のことを大まじめに書いた。例えば、ザビエルは鹿児島でミゲルという改宗武士に、身体の薬と言って苦行の鞭を渡した。その後ミゲルは多くの病人をこの鞭で治したという。フロイスの書いたこういう奇蹟は日本で一切起きなかった。そうヴァリニャーノは否定した。
フロイスは、同化策をとって宣教以外のことにまで口を出したコエリヨをサポートし、軽率にも伴天連追放令が出るきっかけを作ってしまう。また「日本史」には彼の宗教的先入観が満ちており多くの人を辟易とさせている。フロイスの著作と宣教活動全体は、日本人を適切なキリスト教理解へ導くことに成功したか?日本にキリスト教を根付かせることに真に貢献できたか?残念ながら耶蘇嫌いを増やしはしなかったか?日本史研究者に喜ばれる史料は残したが、判断は難しいところだろう。
(1000文字)
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2012年1月15日日曜日