さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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ix)在日・強制連行の神話
ix)在日・強制連行の神話
鄭 大均著、文春新書 二〇〇四年六月
映画パッチギで、アボジが「わしらは強制連行され過酷な労働をさせられたんじゃ」と語る。聞く主人公と観客は何と残酷なことかと恥じ入る。政治家もマスコミも教科書も日本人の悪行を語る。今や常識である。
しかし、在日一世の父を持つ著者は、強制連行論を批判する意見の方に共感するという。その理由は何か。1)日本国民に運命共同体のような義務が課せられていた戦時中、エスニック日本人男性は戦場に送られた。コリアンは労務動員だった。後者は戦場に行くより不条理かつ不幸だと言えるのか。2)在日一世のナマ証言はほとんど、より良い生活環境を求め教育を受けるために、自分の意志で渡日したというもの。3)数字も紹介する。終戦時、在日コリアンは約二百万人。その八五%は金儲けや教育を受けるため来た人々とその家族。密航者も多数いた。残り十五%の大部分は鉱工業や土木事業の募集に応じた者。国民徴用令が半島に適用された期間は一九四四〜五年のわずか七ヶ月間。4)戦後、応募者、徴用者ほぼ全員を含め、全体の七〇%が朝鮮半島に帰還した。三〇%が残留し在日コリアンとなった。とどまったのは自由意志による、と。
敗戦直後の在日コリアンは、敗戦国の無力な警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で我がもの顔に振舞った。超満員の列車から日本人を引きずり下ろし自分たちが占領する。そういう光景は決して珍しくなかった。在日コリアンのイメージは、七〇年代までは残念ながら「無法者集団、火焔ビン、やみ商売、犯罪」だった。だが、八〇年代からは教科書問題や外国人に対する指紋押捺制度が取り上げられる。日本のマスメディアが戦時下日本の国家犯罪と在日コリアンへの差別問題を語る。そこで強制連行論がにわかに大衆化する。隣国に対する加害者性を語る時の手軽なキーワードとなる。かくて在日コリアンのイメージは変化する。著者は次のように語る。強制連行という言葉でコリアンの被害者性と日本人の加害者性を強調するが、ミスリーディングと言わざるを得ない。特に、姜尚中と辛淑玉らは祭司的、巫女的な語り口で怒りを振りかざす。その姿はゾッとするほど欺瞞的である、と。
在日コリアンは強制連行犠牲者とその末裔という話は事実無根だった。強制連行論の擁護は、「何でも他人のせいにするコリアン」という不名誉な通念を補強してしまう。健全で善良なコリア系日本人までもが誤解される。著者の問題提起に賛意を表明したい。
(1000文字)
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2011年8月7日日曜日