さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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ⅵ)「日韓がタブーにする半島の歴史」
ⅵ)日韓がタブーにする半島の歴史
室谷克実著 新潮新書 二〇一〇年四月
倭国は任那(みまな)日本府を通して朝鮮半島南部に影響力を及ぼしていた。かつて学んだ教科書の記述が現在は姿を消している。文部科学省は「近年は任那の恒常的統治機構の存在は支持されていない」と主張。文明も人も半島から日本に来た。天皇は半島南部を出自としている。こうした説が流布され一部常識化している。
だが「常識」は科学的ではないらしい。分子人類学や考古学の最新研究によると、多数の縄文人が半島に行って暮らした。稲作も列島の方が早かった。後期前方後円墳が半島南部に多数造られ、新羅地方にも倭式墳墓が多数ある。古墳文化は日本から半島に伝わった。半島南部が倭国の影響下にあったのは事実らしい。半島最古の「三国史記」、大陸の「三国志」「後漢書」「随書」などの史料がある。これらを素直に読むとどうなるか。随書は「新羅(しらぎ)も百済(くだら)も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している」と紹介する。「遅れた列島vs進んだ半島」の印象はない。後漢書は「半島の南部=倭国の北部=分国」、三国志魏志倭人伝でも半島南部「狗邪韓国(くやかんこく)」を「倭国の北岸」としている。当初の倭国は「倭奴国+半島にある分国」を指しており新羅と倭国は地続きだった。それが素直な読み方のようだ。三国史記によると、新羅王二十人のうち八人は倭人または倭種だった。古事記、日本書紀抜きでこの結論だ。驚きである。
そもそも研究は、思想、先入観、歴史観から全く自由な立場で「事実」だけに忠実であるべきもの。だが韓国の研究者は都合の悪い表現を素直には読まない。逆に日本人研究者は相手に都合が悪いと思われる表現をかなり割り引く。配慮し阿(おもね)る。著者は、戦後日本の史学研究界全体が「左翼反動」の嵐に曝されていたと見る。戦前の歴史研究はすべて皇国史観だから脱却すべきだという嵐だ。古代史作家黒岩重吾氏も「任那という言葉を口にするのさえはばかられるような雰囲気」「任那に倭人がいたとする説でさえ皇国史観と非難され、なにか重戦車で押し潰すような雰囲気」があったと語る。強いバイアスのかかる半島史研究。恐ろしいほど不健康でイビツだ。
勇気を出して「常識」のウソを指摘しよう。歴史観とは全く関係がない。古くから我々の祖先は半島に進出していた。優れた品々を半島に伝えた。新羅の王族として韓族国家の礎を築いた、と。
(1000文字)
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2011年7月17日日曜日