さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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ⅳ)「 完訳 紫禁城の黄昏(上)(下)」
ⅳ)完訳 紫禁城の黄昏(上)(下)
R.F.ジョンストン著 中山 理訳、渡部昇一監修 祥伝社 二〇〇五年三月
著者は、清国ラストエンペラー「宣統帝溥儀(せんとうてい・ふぎ)」の外国人教師を勤めたスコットランド人。原著は歴史的な一級資料である。現代文での邦訳は岩波文庫に収められた。だが、岩波文庫版は序章が虫食いのように省略され、第一章から第十章までと第十六章が訳されずに出版された(一九八九年)。そこには何が書かれていたのか?岩波書店にとって何か不都合があったのか?
一九一一年に清王朝が滅亡。一九二四年、前皇帝「溥儀」は乱暴な扱いを受け紫禁城から追放される。急進的な支那人は煽動した。処刑を!と。ジョンストンは安全のため、前皇帝を外国公使館区域に避難させる。受け入れたのが日本公使館だった。それ以来、日本は執拗に非難攻撃される。支那大陸を侵略するための狡猾な策略の結果だ、と。しかし、当時の芳沢公使は前皇帝が公使館区域に到着することすら知らなかった。ジョンストンが熱心に懇願したからこそ、前皇帝を手厚く保護することに同意したのだった。
清国は満州族の王朝である。一六四三年に北京に入城し、満州と支那はいわば「結婚」をした。持参品が満州だった。今や支那との結婚が破綻。追放された満州族は持参品である祖国に帰る権利を当然持っていた。満州人、蒙古人の中には、満州独立運動の支持者がいた。一九二八年には先祖の墓が支那人により破壊され陵辱された。前皇帝は決意する。日本の力を利用し祖国満州に帰ろう。日本にとっても、当時の満州は排日侮日運動のため在留邦人の安全と権益を確保することが非常に難しかった。両者の利害が一致した。その結果として一九三一年に満州事変が起こった。翌年の満州国建国に至る。
ジョンストンの原著には以上のようなことが書かれていた。平和で争いのない支那大陸に突然残虐な日本軍が来襲した。こうした中国共産党や日本左翼による宣伝は真っ赤な嘘のようだ。当時大陸では、共産主義者の謀略と殺戮、軍閥間の絶えざる戦争のため、民間人が常に危険に曝されていた。無政府状態の中で苦しんでいた。その中で前皇帝の不幸に同情を寄せたのがジョンストンらと日本公使館だった。人道的措置だった。満州事変は一概に日本の侵略とは言えないと主張する人々がいる。本著がその根拠となる。中華人民共和国が建前とする反日抗日の歴史が見事に覆ってしまう本だ。岩波書店が意図的に省略した部分には、日本人に知って欲しくない歴史的事実が書き綴られていたのだった。(1000文字)
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2011年6月12日日曜日