さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 7)真の武士高山ダリオ友照
千字でたどる日本の教会史
7)真の武士高山ダリオ友照
アルメイダは畿内を旅し、高山友照を訪問したことがある。友照の劇的な回心後、一五六四年のことだ。アルメイダは彼について「堂々たる体躯をもつ勇敢なる武人」と誉めた。日本人の歴史家からも、明朗快活、愛嬌あり、上品な教養、領民への思いやり深く、多くの慈善をなし、慈悲心あり、高潔、廉直、正直、つまり「理想の武士」と評判が良い。
彼は貧しい民衆に慈善を行なった。そのうちで他に例を見ないものに、住民の死に対する礼節があった。どんな人間でも名誉ある葬儀をしてもらう権利があると主張。十字架やイエスの名のついた緞子(どんす)で棺を覆い、武士や民衆がとりどりの提灯で行列を作って墓場に向かった。時に身寄りのない貧しい者の棺を息子の右近とともに担いだ。とるに足りない草民に対して領主が払った尊敬を見て、誰もが心を打たれた。信者も仏教徒も。武士たちは主君の振る舞いを見て、手にしていたロウソクを置いて鋤を手に取り、競うようにして穴を掘った。貴婦人たちも手に土をとり死者の穴に投げた。それ以来、武士たちは庶民の埋葬を援助することがならわしとなった。戦争で死んだ兵士の寡婦や孤児は、たとえキリシタンでなくても面倒を見たという。
高山友照の所領、摂津の高槻にある教会は多くの信者を得た。一五七七年、畿内の宣教師だったオルガンティーノは領内に八千人の信者がいると報告している。この翌年、高山友照・右近の親子に戦国時代独特の試練が襲う。信長に叛旗をひるがえした直属の主君荒木村重につくか、もっと上の主君信長につくか?親子で立場を異にするのである。結局、友照は荒木について敗北。死罪が当然のところ信長に赦免されている。
最盛期といえるその前年、高山友照はフロイスの質問に答えて、この世における最も強い希望を語っている。「一は決して主の御心を害さぬこと。二は死に至るまで恩寵と奉仕を保つこと。三は、たとえ自分の命を失うことがあっても、多くの霊魂を信仰に導くこと。四は、貧者、寡婦、孤児、よるべない者に善行を行うことのできる境遇でいること。五はローマの街を見ること」と。ローマには行けなかった。最後は事実上の幽閉生活。「主の御心を害さぬこと」と「地上の主君への忠実」という務めをいかに両立させるか?悩んだ末の結論が首尾よい結果を生まなかった例ではある。しかし右近や家族や領民に信仰と佳いものを継承した。残りの希望は充分に叶えられた人生だった。
(1000文字)
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2011年12月4日日曜日