さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 9)愛すべきオルガンティーノ
千字でたどる日本の教会史
9)愛すべきオルガンティーノ
一五七〇年、イタリア人宣教師ニェッキ・ソルディ・オルガンティーノは、カブラルと同じ船で天草志岐に上陸。京都に赴きフロイスを助ける。ちょうど信長が台頭する頃だった。一五七七年から三十年にわたり京都の宣教責任者をつとめる。安土城の完成、信長自刃後の混乱、秀吉の暴君ぶり、家康の天下。激動する日本の歴史を目撃した。一六〇九年、長崎で病没。七十六歳だった。
オルガンティーノの日本人観はカブラルと正反対だった。彼は日本人について書き送る。「彼等を野蛮人と見なし給うなかれ…私は国語を解し始めてより、かくも世界的に聡明で明敏な人々はないと考えるに至った…日本人は全世界でもっとも賢明な国民に属しており、彼等は喜んで理性に従う…我等一同よりはるかに優っている」「ひとたび日本人がキリストに従うならば、日本の教会に優る教会はない…我等の主なる神が何を人類に伝え給うたかを見たいと思う者は日本へ来さえすればよい」と。また彼は自信にあふれて、日本語を使いこなし日本文化に適応することの大切さを次のように述べた。「日本に来るいかなるイエズス会士も、じかに言語を知ることなく、この素晴らしい美しさを持つ花嫁への愛を得ることはできない。また彼女のやりかたに合わせるのでなくては、その愛を得ることはできない。そうでない者はこの神のぶどう園からなにものも得ることなく、ヨーロッパに帰るだろう」
オルガンティーノは天衣無縫の日本好きだった。これを日本人が悪く思うはずはない。うるがん様と呼ばれ、広く日本人に愛された。領主、家臣、領民、一向宗徒らに福音は拡がり、一日に三百人、七百人という単位で洗礼を受ける人々が起こされる。京、摂津、河内など近畿地方の宣教はめざましい成功を収めた。信長だけでなく秀吉にすら好かれた。オルガンティーノに免じて宣教師の活動を一時黙認したほど。後に巡察師として日本を訪問するヴァリニャーノは、彼のやり方と好ましい性格が、日本人の心をいかに獲得しているかをその目で見た。九州にもその手法を拡げようと考え、日本人を嫌悪軽蔑していたカブラルを更迭するに至る。彼はヴァリニャーノの日本人観と宣教政策に大きな影響を与えた。しかし残念ながら、ヴァリニャーノがカブラルの後任に据えたのはポルトガル人コエリヨだった。もしオルガンティーノを選んでいたなら、伴天連追放令も出ず、教会の運命も日本の歴史も変わっていたかもしれない。
(1000文字)
画像はhttp://sala.usuki.gr.jp/know/nanban_byoubu.htmによる。
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2011年12月19日月曜日