さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 3)ルイス・デ・アルメイダ
千字でたどる日本の教会史
3)ルイス・デ・アルメイダ
日本で最も慕われたポルトガル人、ルイス・デ・アルメイダ。聞き覚えがおありだろうか。ユダヤ人の血を引く改宗カトリック教徒を両親とし、一五ニ五年頃リスボンに生まれた。高度な教育を受け外科医となり博識だった。ユダヤ人の血筋だということでイベリア半島では居心地が今ひとつだったのか冒険心が駆り立てたのか、彼は商人に転じて東洋に繰り出す。時代は大航海時代。インドのゴア、マカオを結ぶ航路を利用した貿易で巨万の財を築く。一五五二年、マカオからの船に乗りアルメイダは日本に降り立つ。まだ二十七歳。ザビエルが鹿児島に上陸してわずか三年後である。
ここで転機が訪れる。日本で活躍を始めていたイエズス会の宣教師たちとの接点がきっかけで、彼は信仰に目覚める。一五五五年、精神の修養のためイエズス会に入会し豊後にとどまった。儲けたお金を寄進して教会を支える。私財を投じて府内(大分)に病院を建てる。もちろん最先端西洋医学に基づく日本初の病院で、体系だった医学教育も行なう。ハンセン病の施設を作る。また孤児院も開設する。当時、ザビエルが日本の三大悪習慣と説教したのが「偶像崇拝、男色、間引き」であった。特に嬰児殺しの風習に心を痛めたアルメイダは、豊後を治めていた大友義鎮(よししげ、後の宗麟)にかけあうなど奔走する。貧しい母親が秘かに赤ん坊を連れてこられるように施設を作った。「赤ん坊を集めているのは食うためだ」と、いわれない非難を浴びながら。こうしてアルメイダは、商人を続けながら、施し、医療、教育、子育て支援をする。
相次ぐ戦乱のため物価は高騰し飢餓が蔓延した。命は木葉のように軽く、身分を問わず明日をもしれぬ生き方を余儀なくされた。貧しくはかない時代だった。宣教師の多くは日本の庶民と同じものを食べた。そのためかアルメイダはしょっちゅう病気をする。日本人に看病された感激を述べた記録が残っている。彼ほど多くの人を信仰へと導き、日本人に慕われた宣教師はいなかったという。ザビエルの後を継いだコスメ・デ・トーレスは、アルメイダを敢えて宣教が困難と言われる地域へ派遣した。現在も九州各地にアルメイダの銅像が建てられている。
小説家の才能があれば十六世紀の日本を舞台に選ぼう。アルメイダにも登場してもらう。彼の回心、旅、出会い、苦難、歓び、信仰を描く。日本と欧州世界の歴史的な出会い、日本福音宣教の輝かしい足跡とその後の悲劇を背景に。
(1000文字)
画像の一部は http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイス・デ・アルメイダ による。
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2011年11月5日土曜日