さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 6)出でよ!現代の琵琶法師
千字でたどる日本の教会史
6)出でよ!現代の琵琶法師
信長上洛前、京を囲む畿内に松永久秀という有力武将がいた。日蓮宗の熱狂的信者だった彼に、比叡山僧侶はキリシタン神父を追放するよう要請する。松永は公開討論会を開くことにした。審判は、キリシタンの不倶戴天の敵である結城心斎と松永の家臣で仏教に詳しい高山友照。二人は吟味役として、何か不合理あれば直ちに神父側討論者を断首する予定だった。教会は非常な危惧を覚える。呼び出されたイエズス会宣教師ヴィレラは行かせず、琵琶法師ロレンソ了斎(りょうさい)のみの派遣を決定。肥前出身の彼は生まれつき盲目。法師として生計を立てていた。長門の山口で彼はたどたどしい日本語を聞く。路傍伝道中のザビエルだった。キリスト者となって以来、ロレンソは見事な語り口で日本人多くを導く。当時仏教側の学者と議論できるのは彼だけだったが、今回の討論会では教会の皆が覚悟を決めた。しかし一番覚悟を決めていたのはロレンソ自身だったろう。
ここで想像もしないことが起こる。吟味役の高山と結城が共に入信。討論相手の仏教学者まで信仰を持つ。ヴィレラが呼ばれる。何と彼らの洗礼のために。琵琶法師ロレンソはまず宇宙には作者がいること、人間の霊魂は不滅であること、次いで人類の贖罪について話し、討論を数日間続けた。日本史という本を著した宣教師フロイスは記す。「それまで信じていたのと全く違うことを聞き、多くの質問を発し満足すべき答えを得たとき、主は最初に高山に恩寵の光を分ちたまい」と。友照は家族に信仰を伝え、一五六三年長男に洗礼を受けさせる。その名は高山ジュスト右近。
討論、質問、議論を通して多くの人は「理にかなっている」と信仰を受け入れた。日本人は、当時の方が今より遥かに理性的だった?現代日本では情緒や感性が重視され過ぎている。日本の宣教と琵琶法師、この組合せに私の心は躍った。日本における福音の文脈化に用いられたまさに日本的な人物。琵琶の儚げな調べと壮大な叙事詩を感動的に伝える盲目の語り部。聖書の真理を大きなスケールで描くのにぴったりだったろう。教会の若者たちが自作の曲で主を証しするのを聴いて私は秘かに祈る。いつか壮大な物語を歌う曲が作られ日本中でヒットするように。宇宙のデザイナーと人類贖罪の叙事詩がスケール大きく歌われるように。日本の教会が、どんな議論にも耐えられる弁証学を身にまとった、命懸けでカッコいい、現代の琵琶法師を生み出しますように。
(1000文字)
画像は http://blog.zaq.ne.jp/randokku/img/img_box/img20071029113210073.jpg
http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/60208039.html による。
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2011年11月27日日曜日