さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
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千字でたどる日本の教会史 1)失意のザビエル
千字でたどる日本の教会史
1)失意のザビエル
一五四九年、スペイン人フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する。神父コスメ・デ・トーレスら数名が同行した。薩摩の大名島津貴久に謁見して宣教許可を得る。しかし仏僧との論争の後、貴久が禁教に傾いたため京を目指す。平戸の松浦氏のもとで宣教し、山口では許可を得られないまま辻説法をする。堺から京に入り、天皇と将軍足利義輝への拝謁を希望するも叶わなかった。滞在わずか十一日で、失意のうちに京を後にする。平戸に戻り、献上の品々を携え再び山口に入る。大名大内氏の許可を得る。二ヶ月の後、ザビエルは山口をトーレスに任せて豊後に向う。大友義鎮(のちの宗麟)の保護を受けつつ宣教。日本滞在二年を経てザビエルはインドのゴアに戻る。そこから中国を目指す。一五五二年、明の入り口の島まで来るが、入国は果たせず病死。四十五歳だった。
ザビエルは日本人を高く評価した最初の西洋人とされる。日本人は非常に理性的であり、好奇心が強く、理屈のとおったことが好きで、知性ある僧侶が多く、言語が統一されている、と好意的である。だがザビエルの書簡には、日本への憎悪が多く見て取れる。1)仏像の礼拝、2)仏僧の女犯(にょぽん)と男色、3)「ほんとうにうるさくつきまとう人たちです」と愚痴を述べるほどの「日本人の議論好き」、4)日本国家の長である天皇に謁見することも布教許可を得ることもできなかった失望。特に、4)は大きかった。彼は中国を目指す理由を述べる。「中国は…平和で、戦争はまったくありません。…そこは正義がたいへん尊ばれている国で…中国人はきわめて鋭敏で、才能が豊かであり、日本人よりもずっとすぐれ、学問のある人たちだと言われています」「中国は平和ですぐれた法律によって支配されている国で、たったひとりの国王に完全に従っています」。
戦国時代の混乱の極みにある日本に来て、失意のまま日本を去るザビエル。彼は命懸けで日本に来た。困難の中で福音の種を撒き始めた。それは偉大な功績だろう。だが、彼は目標をすぐ変える傾向があった。宣教の理想に燃えてインドに来るも、ヤジローという日本人に出会い興味を持つ。来日して間もなく次は中国への幻想を抱く。理想と行動の人というところだろう。日本人を高く評価したものの、それ以上に欠点と日本の現実に幻滅した。種が出芽し花咲き結実するのを見ずとも、願わくは日本人の佳さをもっと認識し逝ってほしかった。本当に残念だ。
(1000文字)
ザビエルの画像は http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/xavier500/index.htm による。
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2011年10月23日日曜日