さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策 

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〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy Mental Health Spot 〜

 
 

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 次は「欲望」「意欲」についてである。ラカンによると「欲望」は言葉の作用であるという。言葉の獲得は「欲望を獲得」することと言い換えられる(図32)。


 言葉のないところに欲望はないという。動物にあるのは欲求と本能だけで、人間を人間たらしめているものは「欲望」であるという。


        

                   図32 欲望、意欲


 本能、欲求、欲望をまとめると次のようになる(図33)。


 「本能」は遺伝子に組み込まれた先天的な行動パターン、「欲求」は欲しいものが手に入るとその時点で完全に満足するもの、「欲望」は満足というものがない果てしない追求、希求で、嗜癖、依存に至るほどの過剰さを持ち得るものである。この三つをラカンは区別する。


        

                 図33 本能、欲求、欲望


 欲望は文明を発展させ個人を向上させる可能性を持つ。面倒くさいことをいかに省くか。その追求により、電話→公衆電話→携帯電話→メールと発展進歩していく(図34)。


 課題としては、アルコール、薬物、ギャンブル依存、メール依存、ネット依存などがある。個人的には、依存を生まないために、携帯電話やメールやネットは大学生になるまで決して子どもにさせない取り組みが大事ではないかと考えている。


        

                    図34 意欲と依存


 他方、欲望には別の課題がある。欲望、意欲がなさすぎても困るのである。いったん満足を選んでしまうと、進歩や向上は停滞してしまう。事は社会や文明の進歩にとどまらない。


 この図に示した写真は「下流社会」という著作の表紙である(図35)。著者の三浦展氏は、この本の中で「向上心のない若者」について記述している。氏は若者の「意欲」の欠如を特に指摘した。


 現在、やる気のない、上昇志向のない、向上心のない若者が増えているという。「引きこもり」「路上生活者」「ニート」「パラサイトシングル」「不登校」などに苦しむ人々も一向に減らない。


 そればかりではない。その一部は、メンタルヘルスに課題を抱えた人々になる。これらの 方々に共通しているのは、「意欲」を持つことが難しいという特徴である。適度な「意欲」「欲望」が持てない。こうした人々にとっての中心的課題である。


 欲望はあり過ぎると依存症となる。なさ過ぎても困る。たいへんである。


        

                図35 三浦 展著「下流社会」


 ラカンによると、欲望はどのようなものであっても必ず「他人の欲望」である。欲望を説明すると必ず他人の欲望が紛れ込んでいるという(図36)。


 使っておらず捨てようと思っていたオモチャを、友達が「ボクにちょうだい」と言われて急に惜しくなる気持ち。そこに見られるように、他人の欲望により、自分の欲望に気付かされる。


        

                   図36 他人の欲望


 そもそも、「欲望」「意欲」は、いくら待っても、自然には決して湧いてこない。「欲望」「意欲」は他人からもらうものであるという。他者との関わりは非常に大切である。自力で自分の「欲望」「意欲」は作り出せない(図37)。


        

               図37 欲望、意欲は他人からもらうもの


 「欲望」「意欲」を直接誰かに与えることはできない。何かをして欲しいと考えたら口に出さずに別の方法を使う。口に出したらかえって逆効果という(図38)。


 あと「義務」と「欲望」「意欲」は区別しにくい。「自ら働きたい」と考えることと「働かなくちゃならない」という意識は、全く反対のベクトルを向いている。ある患者さんにとっては、「義務」と「欲望」「意欲」はなかなか区別できない。


        

                 図38 意欲は強制できない


 ラカンによると、他者と親密な「関係」により、自分の「欲望」「意欲」の形に気付くことができる。相手から「欲望」「意欲」をもらえる。相手と「欲望」「意欲」を交換できる。「欲望」「意欲」は他者との出会いをきっかけに獲得したり交換したりすることができるものであるという(図39)。


        

                 図39 意欲は他者と交換する


 ラカンによると「欲望」「意欲」は他者に感染する。「転移」する。他者と触れ合うと、人と人との間で何かが移動する。医療者ができる治療の一つは、他者の「欲望」「意欲」が患者さんに「転移」することを「支援する」ということと言える(図40)。


        

                 図40 意欲の転移を援助する


 医療者が出来ることは次のようにまとめることができる。患者さんとその家族が、「鏡像的段階」から「象徴界」へ成長していくのを援助する。「言語世界」の中に入ってゆけるよう成長を促す(図41)。


 「意欲の世界」へと成長してゆくのを援助する。「鏡像的な二者関係」ではなく、「他者との関係」を結ぶ方向に進めるよう援助する。「言葉を交わす関係」へと進めるよう援助する。「欲望」「意欲」が他者から「転移」するのを援助する。


        

          図41 鏡像関係から象徴界へ導き、意欲の転移を支援する


 メンタルヘルス面で大きな課題を抱え、様々な症状に苦しんでいる大勢の患者さん。その回復を支援するために、私たちはいったい何ができるのだろう。


 クスリを使わない精神療法、精神分析、深層心理学を有効活用できないだろうか。ラカンの理論から、私たちが理解できることは次のようにまとめることができるかも知れない。


 患者さんとその家族は「鏡像的な二者関係」に陥りやすい。そこでは「愛」は薄められ「憎しみ」「怒り」が何倍にも増幅した形で跳ね返されてくる。本人たちは気付かないが、苦しい二者関係に陥っている。


 私たちは発達過程で、「鏡像的段階」から「言語が介入する象徴界」へと進んで行く。その後で、私たちは「意欲」を他者からコピーするとともに、「自己同一性」「主体性」を獲得する。


 苦しい「鏡像的二者関係」の状態から、患者さんとその家族が「言葉」による「他者との関係」に進めるなら、自律的な回復が可能となっていく。私たちは「言葉による交流」への移行を支援する。ラカンの理論は「言葉」の重要さを教えている。


 意欲は自発的に生まれて来ない。言葉を通し、他者と交換することによって、私たちは意欲を獲得する。他者から意欲をコピーすることによって自分の中に取り入れる。


 だから、まずは、家族が患者さんに「何々して欲しい」「是々となって欲しい」などと決して言わないことである。本人たちにとっては「言われなくてもわかっていること」だからである。そして、「普通の言葉」をかけることである。


 普通の言葉とは、「おはよう」「おやすみ」「ありがとう」「助かるよ」「えらいね」「頑張ったね」「自分はこうしたいけど、かまわない?」など、特別でも何でもない内容である。他人行儀に聞こえることかもしれないが、サラッと伝えたり訊ねたりするのである。


 大人になって「何を今さら」と思わないことが大事である。親子の間を、「言葉」を伴わない「鏡像関係」から、「言葉」による「他者」どうしの関係にしてゆくのである。


 そこに、本人が「自己」と「意欲」を取り戻し、「主体性」を獲得してゆくカギが存在する。そこが、自分の中の治る力を活性化し、本人も家族も一緒に回復してゆく「出発点」となるに違いない。(了)(本稿「ジャック・ラカンの理論とその応用」の冒頭に戻る)


(2859文字)


ジャック・ラカン 言語獲得と発達心理学(2010年12月17日)

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参考資料

1)http://ja.wikipedia.org/wiki/ジャック・ラカン

2)齋藤 環著「ひきこもりはなぜ『治る』のか?」中央法規出版

3)http://ja.wikipedia.org/wiki/現実界・象徴界・想像界

4)http://k-classiques.typepad.jp/blog/images/p_259_1.jpg

5)http://i2.ytimg.com/vi/PH6FO691qSo/0.jpg

6)http://www.perroperra.com/weblog/200922-01.jpg

7)http://ja.wikipedia.org/wiki/自我