さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策 

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〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy Mental Health Spot 〜

 
 

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 最後に、なぜラカンを取り上げるのかという点に進む。ラカンの何が役に立つというのか、という本稿のもともとの課題に移ろう。特に「鏡像関係」と「欲望」に焦点を当てる。家族関係や個人対個人の関係を中心に扱ってみる(図28)。


        

                   図28 何故ラカンか?


 まず「鏡像的二者関係のリスク」についてである。我々は、普段「夫婦の仲」「親子の仲」「兄弟の仲」「友人同士の仲」「職場での上司と部下の関係」「同僚同士の仲」などが、修復が難しいほど悪くなるという話をよく耳にする(図29)。


 臨床の現場でも「患者さんと家族の折り合いが良くない」という話が往々にして聞こえてくる。そういったケースでは、鏡像的な二者関係に陥っている場合が少なくない。


 特に家族は鏡像的な二者関係になりやすい。お互いを鏡像に見立てて感情を投影すること が多いからだ。二者関係は「憎しみ」だけを抽出し、攻撃性を増幅するような関係になりやすいという。


        

                図29 鏡像的二者関係のリスク


 一方が他方を、あるいはお互いがお互いを大切に思っていても、鏡像的な二者関係にはリスクがつきまとう。家族が患者さんをいかに大事に思っていても、患者さんが本心では家族に思いやりの心を持っていたとしても、それが鏡像的な二者関係であるなら、リスクが伴う(図30)。


 何故か。それは、愛の伝達は「以心伝心」でなされ、憎悪や攻撃性は「むき出し」に表現される傾向が強い。


 愛と憎悪を同時に相手に向けると、憎悪だけが打ち返されてくる。憎悪だけが抽出され増幅されてゆく。憎悪の応酬のほうが人を興奮させ、夢中にさせる。たいへん怖い話である。


 二者関係がうまく行かない。患者さんと家族がうまく行かない。もしくはその関係が修復できないくらい悪化するということは、よくよく見られる。そのメカニズムは、ラカンの「鏡像的関係」をもとにして考えるとうまく説明できると言うのである。


        

              図30 憎悪や攻撃性はむき出しになる


 次の図は「言葉を交わすこと」がいかに重要であるかという内容を示している。「語り合う関係」の中にだけ「他者」は存在する。以心伝心で通じるような相手は「他者」とはいえない(図31)。


 ラカンによると、鏡に映るニセモノの像ではなく「他者」こそが重要であるのだ。十分な会話が交わされている必要がある。その中では、たとえば「退行」などは極めて起きにくくなるという。


 「おはよう」「ありがとう」「おつかれ」「元気でやってるね」「さすが」「すばらしい」「どうかした?」「どんなこと考えている?」「そのままでいいよ」「ここに来てくれてありがとう」「たいへんだったね」「おやすみ」と言葉にして、それを続けていくことがとても重要だというのである。


 「鏡像」は何も言わない。こちらの憎しみなどが増幅されて返ってくるだけ。他者は「言葉」を交わしてくれる。「言葉」を交わす「他者」こそが大事なのだ。


 私たちの周りに存在しやすい「鏡像的な二者関係」を「他者」との関係にするには、「言葉」を交わすしかない。


 あの関係はうまく行っていない。鏡像的な二者関係である。どだい一緒にやっていくことは無理なのだ。一緒にいない方が良い。治療者やアドバイザ、カウンセラがそのように判断すると、ますますお互いの「憎しみ」が増幅されてゆく。関係の修復など望むべくもない。


 しかし、治療者やアドバイザ、カウンセラが、お互いに「他者」になることを勧めるなら、事態は変わってゆく。「言葉」を交わし続けることをお勧めすると、状況は変わってゆく。どうだろうか。


        

               図31 言葉を交わすことの重要性


 患者さんとご家族の折り合いの悪さは、私たちが遭遇する普遍的な現象である。そこには鏡像的二者関係で居続けることのリスクが存在する。鏡像的関係では愛情が伝わらず憎しみや攻撃性だけが増幅される。会話は減りさらに折り合いが悪くなるというリスクである。


 家族同士はもちろん他人ではない。特に日本では以心伝心の関係である。しかし、鏡像的二者関係のリスクを回避するために、私たちはむしろ「以心伝心の身内的存在」から「互いにとって他者」となっていく必要がある。


 その中で本人の回復が望める。家族との関係が改善する。そのためには「言葉」の介入が重要である。このように、ラカンの理論から見えてくる回復への道筋について概説した。(つづく


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