さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策 

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 鏡像的段階にある子どもは、次に「言葉」を獲得する。言葉によって、自我が自己同一性、主体性を持つ段階へと発達してゆく。


 図11のように図式化してみる。ラカンの発達理論によると、鏡像的段階の次は、言語の獲得である。言語の介入、もしくは媒介と言って良い。自我が主体性を認識するようになるのは、言語の介在が欠かせないというのである。


 空虚な「エス」の上に覆いかぶさっている「自我」、「何でもできるボク」という想像上の「全能感」を味わっている「自我」が、言葉を獲得することによって、主体性と自己同一性を獲得するようになる。


        

              図11 言語と自己同一性、主体性の獲得


 ラカンの言う「主体性」は、現実界、象徴界、想像界という三つの領界または機能からなり、「自我」を構成する重要な概念とされる(図12)。


 簡単に言うと、「象徴界」は「言葉」の世界、「現実界」は触れたり所有したりすることのできない「客体的現実」の世界、「想像界」は言語に縛られている「イメージ」の世界で、詳しくはあとから説明する。


        

              図12 主体性の三つの領界、機能


 そもそもラカンは「言葉」を徹底的に重視した。ラカンは「人間の心は言葉だけで成り立っている」「無意識は一つのランガージュ(langage)である」「それが心の本質である」と表現した。これらに、「言葉」を徹底して重視する姿勢が現れている(図13)。


 人の言動についても次のように表現している。人の言動は、「言葉」が織りなす複雑で巨大なネットワークの中で決定される、と。


        

                 図13 ランガージュ


 その重要な「言葉」を、人はどのようにして語るようになるのか。ラカンは次のように説明する(図14)。


 まず、フロイトのエディプス三角を想定する。幼児は、母子が密着した幸福な一体感を味わい、絶対的な万能感に浸っている。ラカンは、この万能感をファルスと呼んでいる。


 しかし、父親の存在、介入により、幼児はさまざまの形で傷つけられる。万能の母親、その母との一体感という幻想を断念するよう仕向けられる。


        

                   図14 万能感


 世界のすべてと言って良い母親と自分の間にあるギャップを埋めるために、存在そのもの(本物)を所有したい。しかし、それは不可能。諦めなくてはならない(図15)。


 実体を欠いたコピーすなわち象徴で満足することになる。その象徴が「ママ」という言葉である。ラカンは、「万能感」を諦めるプロセスのことを「去勢」と呼んでいる。


        

                 図15 万能感のあきらめ


 他の説明の仕方をすると次のようになる。「言葉」とは決して「記号」ではない(脚注2)。「存在の代理物」である。人は母親の存在そのものを失う代わりに、「ママ」という言葉を得る(図16)。


 おかげで、母親が目の前にいなくても、どこかに母親が「実存」することを信じることができる。言い換えると、「言葉」により「母親」という存在を「象徴」として認識する。そういった、便利でより成熟した「機能」を獲得するのである。


 子どもは、その自我の中に「象徴界」という機能を獲得する。


        

                  図16 象徴界の獲得


 言葉のおかげで、世界の全てが目の前になくても、世界の広さ深さを信じられるようになる。天国や前世といった、これまで味わったことのないもの、これからも決して味わえないものも信じられるようになる(図17)。


 自我の中に、子どもは「象徴界」に加えて、「現実界」や「想像界」という機能まで獲得できるようになる。


        

                 図17 現実界、想像界の獲得


 「去勢」とは次のように言い表すことができる。人間が「言葉を語る存在」となるために「欠くことのできないプロセス」である。去勢の効果は次のように言える。「不安定で未熟な『万能感』を捨てて、しなやかな「自由」を獲得する」ことである、と(図18)。


        

                  図18 しなやかな自由


 言葉を話すようになって、人は「現実」とじかに触れ合わえなくなった。しかし、その代わり「はるかに多様で幅広い現実」と、「複雑な関係」を持てるようになった(図19)。


        

             図19 言葉を介する触合いの多様さ、豊かさ


 言葉を獲得することは、次のように言い換えることができる。「他者による去勢を受け入れる」こと、「言葉という他者を体内に呑み込む」こと、「言葉という他者を自分にインストールする」こと(図20)。


 このようにして子どもは「人間」になってゆく。ラカンが言う人間の成長は「言葉」の獲得のプロセスで、一生続いてゆく。


        

                図20 成長は言葉の獲得過程


 ラカンは、「人間の心は言葉だけで成り立っている」「無意識は一つのランガージュ(langage)である」「それが心の本質である」と表現した。言葉を通して象徴界という主体性を得ることによって、現実界や想像界という機能まで同時に獲得する。


 言葉を獲得するプロセスが成長そのもので、それは一生涯にわたって続いてゆくという。こうしてラカンは、言葉を獲得するプロセスが心の成長にいかに重要かを説いた。


 次は、自我主体性の中身である、象徴界、現実界、想像界について、もう少し説明を加えてゆく。(つづく


脚注

2)一般に「言葉」は「記号」とされている。しかし、ラカンは「言葉」を単なる「記号」とはとらえない。本文にあるように「存在の代理物」と考える。「存在」を「言葉」によって「象徴」として受けとめる。子どもは、本物の代わりに、便利で成熟した「機能」を獲得する。そして安定するようになる。


(2214文字)