さてどうしましょう:日本と世界の歴史散策
What should we do now? Explore the history of Japan and the world.
〜 PEKのひとりごと PEK’s soliloquy 〜
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xiii’’’’’’’’’’’’’’)番外編13 東日本大震災(Ⅰ)ヒューマンエラーと原発
かつて日本では、医療事故のうちヒューマンエラー(患者取違え、健康側臓器の摘出、医療器具の置忘れ、誤投与など)は、医療者が起こす筈がない「想定外」のこととされた。起こしたら犯人として罰するだけだった。それで対策を立てたつもりでいた。
最もマネジメントしなければならないリスクをマネジメントしない状態が永く続いた。だが被害者はあとを絶たなかった。
多くの犠牲を出してしまったが、その反省に立って、現在はずいぶん改善されてきた。つまり、ヒューマンエラーは確実に起こりうる。そういう前提で、複数の医療者によるダブルチェックなど各種の対策が立てられるように変化してきた。まだまだ不十分というご指摘もあるだろうけれど、である。
今回の原発事故も、甚大な被害と代償を支払うことになって初めて、抜本的な対策が求められようとしている。残念でならないが...。
そもそも論から云うと次のようになる。あんな高さの津波など来る筈がない。バックアップ電源が働かなくなるなどという事態が来る筈がない。そういった「想定外」の事情のために、世界を揺るがす大惨事になってしまった。今となれば「あと知恵」だが、システム設計思想自体の不備がこんなに大きく深刻な事態を招いた。
3月11日の夜に福島第一原発の電源喪失の第一報を聴いた時に非常に驚いた。直感として個人的に沢山のことを想像した。その時予想したことはその後ほとんどすべて起こってしまった。大気中へのベント、水素爆発、格納装置の破損、海洋への汚染水流出、大量避難民の発生、人体への被害、現場での困難な作業などなど。
ただ、原子爆弾が爆発したわけではない。外部被爆と内部被爆を峻別し、適切な対策を立てるなら、人間への被害を最小限に食い止められるだろうと予想した。
他方、予想できなかったことがある。風評被害である。科学的根拠に基づかない迷信的な忌避である。特に、海外の反応がことのほかヒステリックで感情的な印象だ。大地震と大津波の被害に対する暖かい同情と支援に感激したが、それも束の間、そのギャップの大きさに驚いた。
そして、それを煽る人たちの存在である。首相官邸+政府と東電とマスコミ非難に忙しい人々も含めてのことである。危険をあげつらう人はある種の人々の中ではいつの世でも人気者である。環境ホルモンもダイオキシンも。
彼らは首相官邸+政府と東電とマスコミのミスを数々述べ立てて、「こんなに危険なのに彼らは隠しているんですよ」「これから多くの子供たちに癌が発生します」「すでに手遅れです」「チェルノブイリでは100km以上離れたところで最も多くの被害が出ています」「彼らの言うことを信じてはいけません」「彼らこそ風評被害を生んでいる原因です」「彼らの仕事を取り上げて危機管理チームを作る以外にありません」「行動を起こすとしたら今です」などと述べる。
彼らの言うことに真実が含まれていないわけではない。特に飯館村の避難指示が未だにないこと、屋内退避指示から来る混乱、モニタリングの不十分さとそれがもたらす混乱や風評被害などに関しては、政府が批判されてしかるべきだという意見に賛成である。
しかし、彼らのレトリックに引っかかってはいけないと思う部分もある。外部被爆と内部被爆、確定的障害と確率的障害、すでに起こってしまったこととこれから防げることをいろいろと織り交ぜて危機を訴えているところである。聴く者の心証をある方向に持って行こうという意図がありありだ。
結果的に、全体としてバランスの欠けた誤った情報となっている。「真実だはこれだ」と言っておきながら、科学的には疑わしい「危機だ」「大変だ」という印象を聴く者に抱かせ記憶に残そうとする。これが風評被害を煽っているのでなくて、何なのだろう。聴いた第一印象である。
当たり前だが、汚染された食べ物を口にしてはならない。汚染された水を飲んではいけない。一度でも入って来たらダメか?そうとも限らない。正確には、体内に入る量を最低限にしなくてはならない。
自然放射線というものがある。自然界には一定量の放射性同位元素が含まれている。人工的に汚染されたものを口にし続けてはいけないという意味なのである。それで、内部被爆による小児甲状腺癌などの発症は防げる。
必要なのは必要十分な食品飲料水のモニタリングである。基準値を超える農作物や水産物は出荷停止にする。それ以外は安全である。今のところそれで納得する。モニタリングと出荷制限さえ正確に行われれば、一般国民の安心安全は十分と言えよう。
どこの誰が危機をさけぼうが、官邸や東電やマスコミが何と言おうが、福島第一原発事故は大変な事態であり、甚大な影響を及ぼしていることに変わりはない。それは最初から明々白々だった。大事なこととは何だろう?
大変な事態であっても冷静で落ち着いた対応をしよう、もう起きてしまったこととこれから立てられる対策を峻別して行動しようと考えるか、危険だ危険だと感情的になりヒステリックに買いだめや自己避難に走るか。選択が私たちに求められている。
そもそも、正直なところ、津波のあとの原発事故の収拾策に、それほどの選択肢があったとは思えない。日本人なら誰がやっても、放射能汚染水の海洋への流出や風評被害など大なり小なり防げなかったのではないか。
情報をきちんと公開していたら?世界の英知を集めれば別だった?この国のリーダーたちが他国の申し出を断ったから?もっと迅速に決断していれば?今批判している人たちがリーダーだったら?
少しは変わるだろう。ただ、劇的に変わるとは、正直云って、私には信じられない。別のもっと批判的なことを云う人たちからもっと別の批判が起こると確信するからである。
世界の日本に対する評判が今回の原発事故で地に落ちている(らしい)が、首相官邸+政府と東電とマスコミを叩くだけでは解決しないだろう。首相の首をすげ替えるだけでは回復しないだろう。下記の抜本的対策を含めた、永年にわたる血のにじむような努力が日本人全員に求められることになる。
やるせないが、何とも大きな重荷を背負わされたものだ。
抜本的対策を考えるとする。例えば、もっとリーダーシップのある首相を選んでいれば...というなら、教育と文化を変え、本当にリーダーシップを発揮できる人材を育て、憲法を変えるなどして議院内閣制をやめて首相公選制とするしか方法がない。何十年とかかるだろうが。
首相官邸+政府と東電とマスコミを叩くのは、叩く人たちの自由だ。私も不満はイッパイある。自分を安全な場所に置いて裁判官か神のように一刀両断にしたい気持ちはある。ただ、首相官邸+政府と東電とマスコミ叩きは、彼らに一定の仕事を任せることにした私たち、その現実を変えようとしなかった私たちに、ブーメランとして返ってくるに違いない。
原発を電力供給源の一つとする政策を選び、上記のような(あと知恵によるとしても)杜撰なシステム設計思想で繁栄を享受する道を選んだ。そのような人間の英知(浅知恵)を遥かに超えた大自然の驚異の前に、我々はひとたまりもなく吹っ飛ばされてしまったのだ。
人間のやることに100%はない。「ヒューマンエラーは起こる」のである。事故やエラーを起こした人を罰すれば済むという前時代的な発想はやめようではないか。代わりに、ヒューマンエラーや大災害が起こっても大丈夫な社会やシステムをどうやって築くのか。それが問われているのではないだろうか。
大地震と大津波にあった日本人は、秩序があり思いやりにあふれ勇気ある行動をとれた。それらは海外のどの民族国民にもない特質らしい。
我々は大災害だけでなくヒューマンエラーにも適切に対処できる社会やシステムを構築する能力が備わっているか?大地震と大津波のあとの日本人の行動は、その能力を持っていることの証や希望となっていて欲しい。心からそう願う。
(3210文字)
2011年4月17日日曜日